食品添加物には、植物や細菌などから抽出した既存添加物(天然添加物)と、化学合成した指定添加物(合成添加物)があり、これに植物などから抽出する「天然香料」と、通常食べたり飲んだりする食品飲料を添加物のように使用する「一般飲食物添加物」があります。
食品添加物の概要と表示
(2015年現在、指定添加物443品目、既存添加物365品目が厚労省のリストに収載されています。天然香料と一般飲食物添加物を加えると合計はおよそ1500品目)
※この数はアメリカや欧州より遥かに多く、日本は「添加物大国」と言えます。
※このすべてをここで紹介する事はできませんので、気になる添加物のほんの一部だけをピックアップしております。
存在そのものがグレーゾーンの食品添加物
添加物の最も厄介な点は、「良い」「悪い」がはっきりしないことです。
「無添加・無農薬」が良いという風潮になっていて、「自然に近いほど良いのだ」と思い込みがちですが、それは不衛生と危険のリスクを忘れた考えでもあります。農薬が農業生産性を高め、添加物が食中毒を減らしているのは、まぎれもない事実なのです。
「無添加が良い」は誤った考え方ですね。むしろ危険です。
しかし、農薬や添加物の多くが「猛毒」であることも事実。
そのほとんど全てに「致死量」があって、それをオーバーすれば体内の組織を破壊し、死に至らせるものばかり。
使い方を誤れば非常に危険。実はこのような物質は身の回りに沢山あります。法によって厳しく制限されつつもたくさん使われているのは、要するに「便利で役立つ」からです。
このようなものには2つの大きなルールが必要。
・厳格な規制や基準、それに違反した場合の重い罰則
・使用者のモラリティ
日本の食品規制・食事情は、この両方に「穴」があり、そのことに対する疑念が拭い切れないのです。
つまり、「物質」の問題ではなく「扱われ方」、もっといえば「人(信頼)の問題」ということになります。
疑わしきは"無視"の食品行政
1955年に起きた『森永ヒ素ミルク中毒事件』によって食品衛生法が変わったのは事件から2年後。これはようするに事件発生に関して法律がなんの役にも立っていなかったという事実が、誰の目にも明らかになったということです。
こうした事件を防ぐ役にはたってなかったのですね。
そして、「そんな事件は想定外だったから」で終わりです。
この事件を皮切りに、国内企業の偽装表示や中国の食品に検査が及ばず、事実上野放し状態である『今現在』に至るまで、基本的な構造はまったく同じです。
歴史を振り返りますと、食べ物を所管している厚労省は(他の省庁も同じですが)、具体的な被害者が出てこないと動かないことがはっきりしています。
「きちんと使用基準を守っていれば安全だ」
「国民も企業もきちんと道徳を守っているはず」
いわば性善説に拠るわけですけども、お役所としてこれはある程度はやむを得ないことでしょう。犯罪を疑うようなスタンスは警察と検察くらいのもので、それ以外の役所は市民を信じるのが当然なのですから。
問題は、企業に性善説が通用しないことです。
「利益か安全か」と問われた場合、表向きは必ず安心安全を主張しますが、そのことが逆に安全を重視していない証明のようになっています。利益を優先させている企業にかぎって、安心安全を言いたがるからですね。
考えてみてください。
本当に安全であれば、何でわざわざ安心安全を強調する必要があるんです? 疑われるようなことをまったくしていなければ、そんなこと言う必要はありません。
疑われていると認識している、そして疑われるようなことをしてきた(している)からこそ、大声で安心安全というしかないんです。
「被害が出るまでは何もしない」のが、行政と企業の基本姿勢であれば、それは「我々のカラダを使って人体実験をしている」のと同じだと言えましょう。
「豆腐とか添加物がなければ作れない。添加物前提の食べ物はたくさんある」、それはそうですが、だから他の添加物がすべて安全なのだということにはならんでしょう。
そもそも厚労省が認可している添加物は「その一種について」であって、実際にはその一種だけ使用している食品など数えるほどしかなく、大半は二種以上の添加物を使用しています。
そうした複合使用によってどうなるのかは、「誰も分からない」のです。分かっているのは「すぐに死なないこと」だけといってよいでしょう。しかし、企業にとってはそれだけで充分なのです。悪評と裁判の敗訴、それ以外は問題にしていないからです。問題はいかに売れるかであって、安全性の優先度はその後。疑念があっても売れそうなら疑念をブラックボックスに入れて見えなくする。「被害者が出るまでは害がない」です。
最初に、「添加物が人間の食生活に貢献しているのは事実で、なんでも無添加が良いと考えるのは危険」だと書きました。加えて、添加物が非常に便利であると。
しかし、その便利さは誰の為の便利さなのか。
消費者のための便利さか、販売者にとっての便利さか。
そこをよく考えてみるべきでしょう。
食べ物はもともと腐るのが自然なのです。
それを少しでも長く引き伸ばすために冷蔵・冷凍などの技術が進んだわけですが、添加物は「食品の性質を変える」ことで腐敗を防止し保存性を高めています。
このことをどう受け止めるか、それは人によって違いが出てくるでしょう。しかし、否定する人も、肯定する人も、「結局自分の身は自分で守るしかない」という点で同じではないでしょうか。
そして、添加物を使用する側の立場になった人には「決して邪悪になるな」と言いたいですね。目先の利益に負けて良心を失い邪悪になれば、いつの日か必ずそれが自分にはね返ってきます。
安全か危険かの議論以前に、【多少なりとも危険性が指摘されている物質を、なぜ食べ物に加えないといけないのか】という根源的な課題に目を向ける方が、一人でも増えることを願うばかりです。
添加物を使わなければ低品質を隠せない"材料"、添加物を使わないと製造できない"商品"、「素肌美人は化粧をする必要がない」つまりはそういう事なのですよ。