料理は「アイデンティティ」  

料理は「アイデンティティ」

料理って奴に順位は付けられません。
しかし和食が洋食より一段下だと考えられているのは事実であり、明治からその傾向は一貫して非常に根深く日本人に浸透しております。「本場の料理に比べて日本料理は薄っぺらで話にならん」って切って捨てる「グルメ評論家」の数も多いのですよ今でもね。

こうした傾向には何らかの「理由」があるはずです。
でもその理由を考えるのは無意味だと思うんですよ。
「考えたい様に考え」「言いたいように言えばよい」です。

何故なら人は「国籍」で料理を選ばないからです。
その料理が「美味いかどうか」ですな、端的に言えば。

料理人が念頭におくべき事はね、
「何が美味いのか」
それだけで良いと思うんです。

「そもそも美味さの基準は何か」とか、「食べる人の舌の違い」なんて事はその過程で判断を下して行けばそれでいい。

そして最後には「自分が美味いと感ずる料理を作るしかない」
そこに至るでしょうな。料理を始めた初期に戻ってしまうんです。

それ以外何も無いからですよ。

料理とは「アイデンティティ」以外の何者でもないんです。
少なくとも料理人が作る料理はそう言えましょう。

なので世の中には洋食や中華に傾倒する人がいて当たり前。
そしておいらの様に「やっぱり和食でぃ!」ってな野郎もいる訳です。



骨の髄まで日本人

「トリュフ」のグルメ的価値を理解はしていますし、若いときは工夫して和食にも使ったりしました。でもね、おいらの感覚は「日本に自生するキノコ」の方が優れていると訴えます。

「高級食材もいい。けど芋でけっこう。だって美味いもの」
年齢を重ねるにつけそう考えるようになりました。

芋にもいろいろありますが、やはり「古事記」とか「日本書紀」にも記載される日本原産の【薯蕷】。この滋味はたまらない。

薯蕷(じょよ)とは自然薯(ヤマノイモ)の事です。
おいらは自然薯の香りに「日本そのもの」を感じます。

零余子

その自然薯や長芋の葉、その付け根(蔓のあたり)に、養分が集まって小さな粒根ができます。指の先ほどの大きさのイモですな。これをムカゴ(零余子)と言い、別名「珠菜」とも呼びます。


むかご

茶色い皮は「甘皮」ですので、すり鉢に入れて回せば剥けます。
調理方法は多種多彩、煮る、焼く、揚げる、米と炊き込んで「むかごめし」にしても旨いもんです。塩煎りやバター炒めなら「おやつ」にもなりますし、レンジで一発調理も可能。

これはいったん揚げたものです。

これを蒸し煮して暖かくします。
フラクトースを使い甘めに仕上げます。
では煮物椀かといえばそうではなく、先程書いた様な小指の先ほどの小さな物ですので、そのサイズから「デザート」にします。

【鶯菜】で青寄を作り、それでゼラドームを作り冷やしておきます。50度くらいで冷ました「むかごの旨煮」の上に冷えたドームをかぶせて出すわけです。外側は冷たく、芯は人肌の暖かいデザートが出来るって具合になります。

ちなみに鶯菜(うぐいす菜)とは、関東で「おせちの雑煮」に使う青物代表「小松菜」の事です。もしくは極小さな専用栽培。メジロとかウグイスの餌に使う事からウグイス菜とも呼ばれます。京都あたりでは鶯菜をお茶事・茶懐石に重宝します。

2009年12月17日

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