「板前稼業は不景気知らず」は昔の話

 
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庖丁の輝き・翳る闇

板前稼業は・・・・

板前だとて、必ずしも高価な庖丁を使ってるわけではありません。まぁ最初は庖丁の事などよく知りませんし。それに年季を重ねても庖丁に興味の無い板前は山の様におります。

世の中はそんなもん。

誠心誠意が通らない社会。
偽善が蔓延り、「清潔」が社会を覆いつくす。

たまらねぇっすね。息が詰まる。

そして、そんな世の中においらは関心が薄れる一方って按配。
定年ならぬ「諦念退職」願いか(笑)
まあ焦らずともそのうち癌かなんかで成仏しますけども(^^

話が逸れたようですけども、(いつもの事 笑)

『板前稼業は不景気知らず』
長い間そう云われ続けてきました。

「どうなってもオマンマは食える」

電話一本で次の職場が決まる。
だから明日の事など考えず店を簡単に上れた。

板によっては電話する必要すらない人もいて、向こうからお呼びが掛かる。つまり就職活動などまったく不要だし職安通いなども無縁。

だからこそ、板前は景気に左右されない堅実な仕事だとされて来たのです。

例外を除き、それも完全に終わってしまったようです。
もう過去の話ですね。

頑張って店を持ってもボンヤリしてればすぐに傾く時代。大規模店の過剰で流れが変化し、小資本の個人経営が厳しい。

時流に乗って洒落た料理などを出しても「アブク」なんざすぐ消えて無くなる。マスコミなんぞで一時的に客が増えても、それもアブク。腰をそえて取り組むのは、容易な事ではないのです。

お客も変わった。
いやさ、この日本って国全体がかも知れませんな。

多くの雇われ板前も普通の勤め人とまったく同じになっています。違うのは労働条件の厳しさだけ。殆どの板が深夜まで職場に拘束され、自分の時間なんぞありはしません。

こうした時代に庖丁を錆びさせないでいるのは難しい。板前たちはじっくり包丁と向き合える時間をもらえない。

そこをどう凌ぐのか。

簡単な事です。
この時代になっても泥だらけの手で飯を食う人間はいません。
それとまったく同じなんですよ、庖丁の手入れは。

仕事を終えたら磨いて光らせる。
あたり前の事なんですよそれは。

「心構え」とか言う以前にね、「仕事の一部」なんです。それが理解できず、「仕事終えたら一目散」ってな人は、板前をやめた方が良いでしょう。

人様が食べる料理を作る仕事なんです。どうせ不浄に行っても手も洗わない。そんな人間にゃ向かない。

たとえ張り合わせの霞庖丁であろうと、高価な本焼庖丁に負けぬほど磨き上る。

尺二の柳が七寸くらいになる程使い込んでる様です。多少クセはあるが研ぎ方は悪くない。いや、寧ろとても良い研ぎ方と言えるでしょう。刃線と鎬筋が、この板前の性格を反映しています。

壊れた柄はご愛嬌。
今度しっかりした黒檀の柄でも付けてやりましょう。
正しい研ぎ方をしてる御褒美です(^^

庖丁の刃が光輝くほど、漆黒の黒檀鞘と柄が良く映えます。

光ってのは「翳り」、つまり影(陰)と対になっております。

方向転換ができない国

光輝くって言えばサッカーの「ワールドカップ」。
今回も又、いつもみたいに「上っ面だけの空騒ぎ」になる予感がありましたが、さすがに「失われた20年」にて日本国民は疲弊しているんでしょう。衰退ムードのこの国は、全てにおいて元気ってものがない。だからでしょうね、予想ほど馬鹿な騒動にはなっていない様子ですな。

W杯ってのは五輪と同じく、国家事業でもあり、観客もそして選手にも、ナショナリズム意識が色濃く出ます。お国意識丸出しになる。

ですけどもおいらの場合は、
【強豪外国勢の華麗で的確な個人技】、これにつきますね。

先日のポルトガルとコートジボワール戦、あれですな。
両者とも得点には至らなかったものの、あれこそナショナルチームの試合だと言えましょう。ロナウドはやはりロナウドだし、他の選手も素晴らしい。ブラジルについては語る必要もないでしょう。

さてその試合で圧倒的な存在感を出していましたコートジボワールの「ディディエ・ドログバ」。彼はコートジボワールの、いやアフリカ人のカリスマ的英雄です。

長年の内戦、また人口の大多数がスラムでの暮らしを余儀なくされてるアフリカ人にとって、ヨーロッパで活躍するドロクバはヒーローそのもの。

輝くスーパースターのドロクバの背後に翳る陰。それがアフリカの社会であり、世界最大のスポーツ祭典・W杯の裏にある影なのです。

南アも他のアフリカ諸国同様、少し市街を離れればスラムだらけ。一昔前のアメリカの都市でよくあった「廃墟への不法入居」ってやつ。廃ビルではなく「掘っ立て小屋」が多いのが米国の大都市と違う。


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黒人大統領マンデラが94年に登場。それ以降人種差別大国南アフリカは大きく変化しました。「アパルトヘイト」によりW杯はもとより、大きなスポーツ大会は開催してもらえなかった「差別の国」も大きく変わった。

と、思われておりますが、事実と乖離した「お話」にすぎません。

実際は他のアフリカ諸国と同じく、一般人の大半は悲惨な暮らしをする以外ありません。むしろ「一握りの白人」が経済を独占する状況は、その「やり場のなさ感」により、他のアフリカ諸国より悪いと言えましょう。この国には白人達が出て行けない「色々な事情」があるのです。

多くは環境劣悪なスラムでまともに食えない暮らし。生きてゆく術のない黒人の多くが犯罪に走り、若死にする。筋金入りの差別公認国だった歴史は重く、今もその重さはこの国から抜けない。それに加えて独裁者ムガベから逃れてきた数百万のジンバブエ人達もいる。

オリンピックやW杯開催が決まると、その国は巨費を投じてインフラの整備をします。道路や空港の整備などですが、見逃せないのは街の「再開発」。それによる住民への立ち退き要求です。最近の北京五輪でも沢山の住居が「片付けられた」とか。

東京五輪でもあったそうですよ。
一応民主主義国家なので強制はなかったとは思いますし、駆り出された地方の労働者も、その後の高度成長の波にうまく吸収されたと聞きます。けども結果的に「ドヤ街」を生み出した原因のひとつでしょうな。

南アも同じです。
巨大事業によって貧困者を減らす為の経済効果も期待したでしょうね。もちろん純粋にワールドカップ開催は嬉しかったでしょうが。

しかし再開発によって「外国人に見せたくないもの」を隠す。
これもまったくもって同じ。というか、酷い。

マッチ箱の様なトタンのプレハブを郊外に沢山作り、そこに行き場のない人々を押し込める。近くに公共施設の無いその「キャンプ」は収容所としか形容できない。

一部「黒人の優遇政策、それによる白人貧困者の出現」などの報道が見られますが、少なくともこの「ブリキ箱」に白人はいませんな。

そもそも五輪やW杯は本当に巨大な経済波及効果を生むのか?

どうもこれが最近は疑わしい。経済学者の多くは否定的です。経済効果はすべて「先進国」に転がり込むシステムだからですね。

それやこれやで、W杯にも色々な影があり、その影には日の光の当たらぬ人々が大勢いるってことです。

しかしまあ、マンデラという偉人の出現は決して無駄ではなかった。その後に続いたムキベやズマも色々問題はあるものの、黒人と白人が融合した南アフリカを目指しています。まだまだ先は遠く、現状は悲惨なものですが、いずれ少しずつ良くなって行くと思いたい。なにしろ今では大国になったブラジルも、ついこの間まで最悪なスラムと犯罪と貧困と差別の国だったのですからね。

掘っ立て小屋の並ぶスラム。
そこで少年達がゴミから作ったボールを蹴って遊ぶ。
将来の夢はもちろん「ドロクバ」でしょう。
影の世界から光が当たる場所を目指して。

日本にはね、もう経済大国の地位は戻らない。
バブルの到来もありません。

そして経済力に見合うだけの国際的地位もつかみ損ねた。
ボンクラ政治と外交ベタでね。

でもそれがどうしたってんですよ。

目指す方向性を変えればよいだけの事ですよ。

だがその事に日本人は気付かない。

頭がガチガチで柔軟な思考が出来ない「硬直人間」ばかりだからです。

この国の近未来は真っ暗でしょう。
残念だが好材料が少なすぎます。

板前が庖丁を光らせることに興味を持たない。
たぶんそこらへんに根本的な問題があるはずです。

光輝を求めねば、ただ陰と闇が覆いつくすのみでしょう。

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手前板前.魚山人:The person who wrote this page筆者:文責=手前板前.魚山人