都内で出会った鮨職人



霜降の雫

10月の声を聴いても一向に暑さが和らぎません。
そうであっても、やがて霜降(そうこう)は訪う事でしょう。

遅咲きの秋桜、曼珠沙華。
いつまでも紫陽花が残っているわけではありません。

「刹那」しか見ることのできない、今の我々。
殺伐と自己の殻に閉じこもり、広範な視点は茫漠の彼方。

知恵は回るようになれど、それは僅か半径数尺の世界
画竜点睛を欠いていることは、このことでしょうか。

犬猫と人間の違いを、どう把握するのか。
それが問題なのでしょう。

おいら達にできることは無に等しく、蜉蝣と大差ありません。

ヒエラルキーなるものに照らすならば、魚の目高のようなもの。
陸上に生きるものに喩えるならば、「虫螻」と言えましょう。

しかし、無に等しい目高でさえ、
「ぼうふら」からすれば槍を構えた恐ろしい兵隊。

虫けらと言えど、螳螂には巨大な鎌がある。

意地をみる気がして思わず喝采を送る。

だが、
目高は絶滅寸前、蟷螂も僅かの農薬で悶絶する。
ともに生息地は奪われ続け、やがて人知れず消え去る運命。

轍の底で夢は潰え、透明であるべき少年少女の眼も濁る。

儚し。

喜怒哀楽すら操作され、もう自分のナチュラルが分からない。
笑っても、怒っても、泣いても、それは能面のように乾いている。

去年、色々な柵(しがらみ)でもってよく顔を出す鮨屋で一人の板前と出会いました。

おいらは一目で「すれてる奴かそうでない奴か」すぐに分かります。
まあ、都心あたりのすし板に「すれてない奴」なんてのはいませんけどね(笑)

1、動きが機敏
2、機敏なうえに「刺さるような視線」

この二つですな。

すれてる野郎でも動きが機敏な者は多いんです。
たしかに仕事は速い。

だが、「視線」
これだけはどうしようもない。
都会が長いと、どうしても「目の回転」が早くなるんです。

一点を凝視することができんのですよ。

ところがね、心根に純なものを残している奴は凝視できるんです。
そしてそんな奴は間違いなく「地方から出てきた者」です。

(そんな単純なモンじゃありませんが、言葉にできる機微ではありません)

「目配り」「眼つき」、これでほとんど板前は分かります。

ま、仕事を見て「一目で気に入った」ってことですな、ようは。

で、その店のトップに、「アレ誰?」
色々と尋ねてみました。

・東北の某県で鮨屋をやっていた
・震災後、お客が激減して店を畳んだ
・仙台で雇われ仕事をしてたが、色々あってこっちに出てきた
・仕事を探したが、ツテがなく回転に入った
・1ヶ月続かず、調理師会に
・で、今ここに助に来ている

「なるほどなぁ~」
感じること多し。

仕事がハネたら飲みに連れだそうかと考えましたが、
少し考えて、それはやめておきました。
名前を記憶にとどめるだけにしておいたのです。

店に戻ると、ちょうど皆が帰り支度。
「お疲れ様でした~」と、帰って行きます。

最後の一人がいなくなった後、おいらはしばらく事務所へ。
「さあ、帰るとするか」
店内を一周し、外に出ようとした時、
何故か先ほど会った男を思いだしました。

何が心にひっかかっているか自分でもよく分かりません。
ツケ場に入り、電気を点けて佇んでいました。
何かを考え、感じているのですが、それはうまく説明できないのです。

「悲しく切ない」のかも知れないが、分からないんですよ。

「職人の仕事ってのは、しょせん"雫"にすぎないのか?」

「かんぴょう巻」を一本巻いて、それを写します。

「今の東京にゃワンサと江戸前職人がいるが、コレをまともに巻ける奴がどんだけ残ってるのか」

"いつものように"そう心で呟いてみますが、どうも迫力がない。


夏が終わり、秋風が吹き、やがて霜降。
霜の柱を踏んづけたような音が心に響く。

その心襞の詳細を説明する気になれないからこそ、霜降なのでしょう。

結局、こんな時は背筋をのばして正座し、
コイツをじっと見つめるしかないようです。


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