節食記 七 


節食記 七

45日ぶりにコメを食してみた。
激烈とも言える旨さを感じる。

元々米食は自分にとって危うい境界線。
米が何よりも好きだからである。
だからこそ一度手を付ければ止まらぬ可能性が高い。
絶対的に回避してきたのはその為である。
栄養面でもしかり、
「米でなきゃメシを食った気がしない」は、
単なる言葉ではないのだ。事実でもある。

美味の極致を堪能できた。
そしてその後24時間以上、不調不快に見舞われた。
腹は不愉快な程の腹満感で膨脹し、腸の周辺が痛い。
眠い。
頭痛もしてくる。
膨脹間はあれど排泄はない。
長距離徒歩や運動にて明らかに代謝が阻害されているのを感ずる。
その他、その他。
それが治まると今度はいやらしい空腹感が頭をもたげる。
何でもいいから食べようと懸想する自分がいる。


たまらず翌日は一日水だけの完全断食を決行。




この記録の「六」の結びに書いたように、これらの不快感は予測はしていた。
しかし日本人である自分にとって「普通食」または「主食」とは米を食べる事をさしている。通常食に戻るというのは米を食べて初めて成り立つ言葉だ。
一日一食に米を入れるべきだとの思いがあった。そうでないと「一食」という言葉が曖昧朦朧としてしまい、意味を失う可能性があるからだ。
しかし米は一方で全てを覆す魔力を秘めているのも確かだ。
いくら食べても飽きがこないという魔力。
従って今回の行動は重大な実験だったかも知れない。
この節食実験そのものの岐路になるほどのエポックだろう。


結論を言えば節食と米は相容れない。
米食とは両立できないと思われる。


50日目。
生ジュースをジューサーで搾りながら考える。
人参三本に林檎一個に青物少々。
これをミキサーではなくジューサーで搾ると、小さいジューサーでは途中で器械が止まってしまうだろう。それは「カス」のせいである。驚くほど大量のカスが出るのである。1キロは超えないが、見た目の嵩では2キロをオーバーしてるくらいなのだ。本当にびっくりするくらいのカスが出る。これは実際にやってみないと実感できないだろう。
これが通常は全部体内に入るのだ。それを想う。
いらざる胃腸活動の負担を考えざるを得ない。
当然その他の器官の負荷もそうとうであろう。


減量を目指しつつ食欲に苦しむ人がいれば、この大量の「カス」を目の前に出して食物が体内に入った後の姿を示してやると、その効果たるや絶大なものがあろう。などと余計な事まで考える。
二本の人参で驚くべき嵩になる
*器械にもよるが人参はサイコロ状に細かくカットしておいた方がやり易い



適度な筋トレと運動で体力の低下はなく体はむしろ軽い。
体重は10キロ減。痩型体型の自分はこれが限界であるらしく、そこで止まっている。総合的な体力というか生命力はさすがに落ちたかも知れない。
しかし主食を抜いたうえに一日一食たらずという生活を約二ヶ月近く持続しながら正常に生きており生活している。
米食を試みたのは「余計」だったのかも知れない。
食べた事による苦痛がこれほどならば、食の意味とは何か。
食べる事の楽しみが無い人生のつまらなさと比較した時に、果たして天秤棒はどちらに傾くのか。今はまだどちらとも決めることはできない。
その結論を出すには二ヶ月という期間では短すぎる。
まだまだ先は長い。

 

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