銀座の次郎 


銀座の次郎

都内を歩かなくなって久しいです。
早い話外出が億劫。
旅に出るのは好きなんですがね。
それでも否応なく出なきゃいけない事もあります。

しかしご時勢と言いましょうか今更かもですが、丸々とよく肥えた方が多いですなぁ。小太りの人も含めたら「過半数」こえてますなこりゃ。昭和と平成の差かなぁ、なんて新宿の人並みを眺めて想ったりしました。

東京の街と人。
そいつを眺めると感じます。

「もう後戻りはできねぇんだなぁ」


ところでおいらの親方は偏屈なうえに変な事を言うのが好きでしてね、昔の話で、まだ見習いの頃です。厨房に神棚があり、羅紗の上等な奴の上に変な石っころが乗ってまして、訊ねたんですよ、「親父さん、あの汚い岩の欠けらですが、何であんなのを神棚においとくんですか?」

そしたらいきなり、

「このとんちきやろう!」
「あれはな、弁天様から頂いた大事な砥石だよ。見てわかんねぇかボンクラ」

そんなの見て分かるわきゃありませんよ。

「ちょいと上野の仲町まで野暮用で出たんだよ。少し時間があったんで、池にある上豊さんとこの包丁塚に寄って手ぇ合わせてきた。そのついでに弁天様にも手ぇ合わせたのよ」
「そしたらオメェ」
「飲みすぎちまってなぁ、べろべろで弁天様の所で倒れてたんだよ」
「明け方までくたばってて気が付いたら枕をしてた。その枕がこの砥石だ」

{ぬかしやがれ、このモウロクジジィが}
腹ん中ではそう思ったんですが、黙って神妙に聞いてました。

上野駅の不忍口からほんのちょっとテクテク歩きますと上野公園(上野恩賜公園)の南端に不忍池(しのばずのいけ)ってのがございます。周囲2kmくらいの小さな池で、堤で三つに仕切られております。そこに中ノ島がありましてね、スッポン感謝の碑や、ふぐ供養碑(東京ふぐ料理連盟 )に混じって上豊調理師会が建立した【包丁塚】ってのがあるんですよ、その近くに弁天堂があるんです。

おおかた仲町通りで飲んで酔っ払った記憶が多く、メチャクチャな話を拵えて坊主をからかったんでしょう。それが京都の内曇砥の上物だって分かったのは、ずっと後になって天然砥石を買える様になってからです。
ちなみに羅紗は保湿性が高く、乾燥させると欠けてしまう天然砥石を湿らせておく為でした。

その親方がね、晩年になってすっかり弱った頃にこう言ったんですよ、
「なぁ魚山人、俺はお前達が板前として大成する事を別に望んじゃいねぇ。ただ一つだけ遺言と思って頼みを聞いてくれ」

「なんですか」

「銀座の次郎みたいには、絶対になるな」

日本で一番美味しく栄養のある「残飯」が出るのは銀座です。
そこに生息するネズミ、即ち「次郎」も日本一巨大で、子猫を喰うくらいに大きい化けネズミです。「銀座の次郎」とはその肥え太った「銀座のネズミ」を指しています。*飲食業界の符丁で次郎はネズミ、太郎はゴキブリ。

つまり、「肥るな」と言っている訳ですよ。もちろん姿形、つまり体重増加だけの事をいってるんじゃなく、もっと奥深い意味があります。

戦後すぐの日本は痩せてガリガリでした。栄養失調もいいとこ。
でも外見はボロボロでも中身はあった。人ですな。信じられないくらい勉強し、努力する人達が芯を担っていたんです。
襤褸を纏って痩身ではあっても中身は肥えていたんです。
しかし今は逆になっている。外見は立派で肥えてる。しかし内情はガタガタボロボロ。中身が薄くなって行く一方。それが国の姿。
見栄や体裁が先行して肝心かなめのモンは置いてきぼり。それが人の姿。

果実はいつか熟して落下する。その前に虫食いになり芯がボロボロになる。それが自然の摂理ならば仕方がないとでも言うのでしょうか。

庖丁を見て「俺は次郎じゃねぇ」そう呟く日があったりします。





実際は遥として現実社会の螺旋から抜け出せるものじゃない。何をするにしても、それが前進なのか後退なのか、それは本人も含めておそらく誰にも分からないでしょう。しかしどっちみち人はいつまでも同じ場所に立っている事は出来ないのです。だから歩くしかありません。いつか絶対に訪れるたった一つの約束事以外、人間には確実な明日など何もない。それでも霧の中を歩いていくしかないんです。


Posted by 魚山人 at 2008年

この記事へのコメント



お問い合わせ・サイトポリシー
Copyright © 2023 手前板前. All Rights Reserved.