「料理はグルメじゃなく心ですよ」
そう言っても抽象に過ぎて感覚的に解らない。そう仰るお客様が多いのが現実です。偏屈板前の禅問答だと思ってしまうんでしょう。
これを理解するにうってつけの事例があります。
どんなに誉れの高い料理人が創った逸品でもね、仲居が不機嫌な面をして、あなたの卓にモノも言わずに「どんっ」とばかりに音をたてて放り出すように置き、一言も発することなくプイっと去ったとしましょう。
それはもう食べるに値する「料理」ではありません。
現実にこれに近い事は全国で絶え間なく起きていますから、見聞したり、経験したりで、実感としてお分かりいただけることでしょう。
料理は乱暴に扱われて多少形が崩れたにしろ、味が絶品なのは変わりありません、にもかかわらず、お客の食欲は戻らないでしょう。
これが料理なんです。
人間は餌を食べる家畜ではありません。繊細を宿す「心」で食を頂く生き物なんですよ。どれほど美味であろうが、先に心が受付ない食べ物は、心地よく喉を通らないどころか、口に入らない人もいます。
板前が客と接する機会が殆ど無い和食では、ある意味仲居さんの方が料理そのものよりも重要になってきます。そんな和食店の特徴をあげなくても、外食業は基本的にどこでも同じです。外食なさる時に接するのは料理人ではなくホール係です。
お客と直に接する寿司屋ですら、違いはありません。
もちろん、板の器量がものを言うのは確かですけども、名店の呼び声を何十年もの間保ち続ける寿司店の特徴は、ホールの素晴らしさですね。「次郎」
「久兵衛」、どこも共通してる。
言葉にすれば簡単明瞭なことなのですが、残念ながらこれだけ外食産業が巨大になっていながら、経営側、料理人、ホール係、それぞれにまったく「接客」というものの重要さを理解していない気がいたします。「マニュアル」を作ってみようとも、それを嘲笑い、ホール係を怒鳴り散らすだけの料理人が多かったりします。
「料理」を作る料理人を目指すのか、それとも「商品」を作るライン作業の「工員」になりたいのか、そこをよく考えてみるべきだと思います。
献立を書く料理人に申したいのは、
「【献立】とは料理だけではなく食空間におけるすべてを段取りすることをいう」
それを忘れてはいけないということです。
Posted by 魚山人 at 2007年
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