そんなものはありゃしません。
「絶対」なんてものがあれば、人は誰も苦労なんざしないでしょう。
外食業の世界もご多分に漏れず厳しいものがあります。競争のなかで消えて行く店が後を断ちません。どうすれば儲かるかを考える経営側と、少しでもまともな料理を出したい調理師の軋轢も相変わらずの様子です。
料理人といえど修行開始時期には、夢を描いてる者、何も考えずただ料理業界に漠然と就職した者に分かれます。夢を持たぬ者も修行の過程で志を持つ者と何時までも夢など持てぬ者に分かれて行きます。
そして前者の中から料理とは所詮自分自身の手で全てを采配しなければ満足なものなど作れない事に気づく者が現れます。そして独立への確かな構想を描き出します。さらにその中の、意志が強く、幸運に恵まれた者が自分の暖簾を出す事になります。
ところが開店時に余るほどの回転資金を持つ者はごく僅かなもので、だいたいにおいてギリギリの資本で商いを始めるのが普通です。
料理人は経営学を勉強する仕事ではなく、調味料の種類を覚えるのが仕事。ですから「自転車操業」のイメージすら持ったことがないでしょう。
周囲の手助けや祝福を受けて夢も大きく看板を出し、最初は懸命に頑張ります。しかしたちまち雇われ時代に戻りたいくらいの苦境に直面します。毎日胃痛に悩やむ者もいるかも知れません。祝儀で駆けつけてくれた縁故知者も1ヵ月後には足が遠くなります。
お客が来ません。
どうやって客を呼んだらよいのかその方法も分からない。
ウデに自信のある料理人は営業の基本である広告宣伝費などに頭が回らない。
途方にくれる事になってしまうんです。
旨い料理を作る自信がある。だけど雇われでは本領を発揮できない。
自分が本気で作った料理なら絶対にお客が来る。
従って商売になる。だから独立する。
この三段論法で商売を開始したってわけですが、ここには大きな勘違いが潜んでいますな。この考えは〈自分が〉ばかりで、客観性がまるで無い。
客観性とは読んで字のごとく、お客から見たその性質です。
有名人でもなく、店が繁華街の駅前にあるわけでもない。
何で最初からその料理人の腕前が人様に分かるってんですか。
もしその板前なりが多少冷静な客観視ができる人間で、本当に旨い料理を作るウデがあったとしてもね、店が黒字になるのは早くて半年以上先です。つまり毎月赤字。自分の給料や奥さんの給料などまったく出ません。たとえ一年後でも黒字になればまだ可能性はありますが、そのまま雇われ時代の給料の何割ってのが続き、生活に窮していつの間にか消えてしまう。そんな料理人をおいらは記憶できないくらい沢山知っています。
自分の人生をかけるイベントですよ独立ってのは。
最低でも半年間は一銭の収入も入ってこない事くらい冷静に考えれば分かることで、その覚悟と準備くらいして掛かるべきでしょう。行き当たりばったりと謗られる結果になっても仕方がない。
中には幸運がいくつも重なり「当てる」者もいますが、人生は「くじ」ではありません。自分の将来や家族、支援をしてくれた人達。それを背負った土壇場なんですよ。失敗してよいわけがありません。
おいらが独立したのは20代です。やはり開店から半年くらいは儲かりませんでした。良いものを出したいと必要以上に高価な仕入れをしたのも原因の一つで、職人気質が前面に出すぎてもいました。それが一年後くらいからでしょうか、自分がお客様の方を向いていなくて、押し売り根性まるだしって気がついたんですよ。
スターでもなんでもありませんので、見ず知らずの方がおいらの顔を見に来て下さるわけもありません。だからおいらの方がお客を見なきゃいけないんですよ。それを悟ったんです。それからは来店して下さるお客様の顔を全員記憶するって義務を自分に課しました。だってそれが当然でしょう。世の中に沢山ある食べ物屋の中から自分の店に来てくれて、お金を置いていってくれるんですよ。感謝しなければお天道様に顔向けできません。
おいらは市場であれこれ仕入れする時もね、この魚は誰々さん、この野菜はあの人って感じでモノを手にした瞬間に売り手が決まります。そしてそれはほぼ外れる事がありません。思い描いた人の胃袋に収まります。ランチや会席でもそれは同じ。出す人間の顔と作るべき料理が頭の中で事前に組み合わさります。一人二人って人数ではないのでそんなの普通は憶えられる訳がありませんが、これが仕事の不思議なところでしてね、全員憶えております。年月はかかりましたがおいらの財産ですからね、あの顔この顔が。
商売ってのは物々交換が基本ですよね。お金ってのも所詮は物ですからね。それを物と交換する。誰もが物を買ってはそれを人様に売る。それが商売で、世の中はそうして動いています。だから値打ちのある物を持つ者が商売に成功すると考えられます。たしかにダイヤやプラチナなどはその理屈にあてはまるでしょうけど、それは特別な商売でしかありません。一般の人間からかけ離れているからです。本当に値打ちがあるのはモノではないんです。
料理人は作り出す料理が「モノ」ってわけで、それを売って商売してますし、どんな人間でも何かモノを売ることで生活しています。でもね、もし商売に秘訣ってのがあるとすれば、それはモノを売る事じゃないって思うんですよ。
モノってのはただの「媒体」で、それを通じて【人とつながりを持つ】のが本当の商売じゃないかって気がします。
日本一安いくて、日本一美味い店があったとします。
しかも料理人は天下に名高い名人。
しかし行列でくたびれて漸く旨いメシを食べたあなたの顔を、その料理名人は見もしないし、知る気持ちすらありません。これがモノだけでつながる商売です。
一ヵ月後、あなたは自分の顔を憶えている店主の店に戻り、そこで食事をすることになります。料理はたかが食べ物、たかが「モノ」です。互いに顔を知り言葉は交わさなくとも、目で挨拶のできる、人間と人間の間に流れる何かの方が「そんなモノ」より確かなんですよ。モノには心がなく人間にはあるからです。心とは記憶と情です。
いかに愛着執着を持とうが、それがモノならば永遠にあなたに愛も情も何も返してくれません。つまりモノを愛するのは自分自身を愛しているのと同じなんです。情は自分以外の人間に対して注ぐもので、そして注ぎ返され、支えあうのがヒトなんですよ。だからこそヒトの漢字は「人」と書くんです。
ここには料理関係の方も訪問してくださっているかもしれません。そして独立を夢見る調理師さんもおられるでしょう。一言申し添えます。料理の腕をみがくのも大事です。ですがお客さんの顔をよく見ていますかどうか自問自答されることをおすすめしたいのです。口下手でもいっこうに構いません。むしろ口達者よりも好感がもてます。大切なのは目を合わせる事。目を合わせなければ心は通いません。
あなたの目を真っ直ぐに見返すお客様がおられましら、その人は必ずあなた個人のお客になって下さることでしょう。あなたが誠実であり続ければ、その人数が一人また一人と時間をかけて増えていきます。その方達に対する感謝の気持ちを失わない限り、あなたは独立しても商売が軌道にのります。
あなたのお客様は「モノ」を食べに来てるのではなく、あなたの心を味わいに来てくださっている事を絶対に忘れてはいけませんよ。
軌道に乗りますと、要請があるにしろ無いにしろ拡大路線に人は踏み込みます。
大きくする事が「成功」だという一般的な認識もありますし、またチャレンジ精神もあるでしょう。それを否定はしません。個人の考え方ですからね。
ですが商いを大きくすれば当然人の顔が見えなくなり、そのうちモノだけでお客様とつながってしまう結果は避けられません。ヒトを見失うのです。
それは企業ではあっても商売ではないという気がするのですよ。
満足のいく仕事ができて、それでメシを食っていければ充分じゃないですか。相手の顔が浮かばないモノを機械的に作り続けて金を余分に拵えても、それを墓までは持って行けんでしょう。大金を得るだけが幸福だとばかりは言えない事を知ってもらいたい。
まぁこの辺のところは人によって考え方に差異がでるのは当然ですから水掛け論にしかならないとも言えますけどね。自分はそう思うってだけのことです。
そして例え料理に関係がない方でも同じです。
幸運を運んでくれるのは決して「モノ」などではありません。
あなたを幸せにしてくれるのは「人」なんです。どうぞ自分以外の周囲の人々を温かい目線でよく見るようにして下さい。いつの日かそれはさらに温かな何かに変わりあなたに戻ってきますし、そうならないにしてもそれが人生を明るく豊かにするコツなのですよ。
人の世は疲れることばかりです。良い時もあれば谷底から容易に抜けられない時期もあります。むしろその時期の方が多いのが人生ですが、でも気持ちを失ってはいけませんよ。せめてこのブログを訪問くださり、この一文を目に止めて下さった方だけでも、「人」と「モノ」の違い、そのはっきりした差を再認識して頂き、さらには後の世代にもそれを伝えていって欲しいと思ったりいたします。
そしてどうぞ心身健やかにお過ごしくださいますように願っております。
顔の交わらぬ事を深謝し筒 魚
Posted by 魚山人 2008年08月08日
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