塩花 / 盛り塩  

花も咲かぬ場所

鮎の季節です。
刺身と焼き魚は、典型的な板前の仕事だと、昔、強く感じたものです。
特に鯛の塩焼き。立派な『鯛の姿焼き』を作るのは、実はそう簡単でもありません。
要領を得るまで失敗の連続と言ってもいいでしょう。
串の打ち方、火加減、少しマズイとグチャグチャですね。


しかし一番大事なのは 塩 なんですよ。
「あがり」の鯛と「活」の鯛では仕方も大きく違いますし、鯛の大小、身の締まり具合を総合的に判断して、焼く何時間前に塩をするか決めます。
魚の繊維の加減を見破り、塩のまわり方を即座に計算する。
経験を積まなきゃ無理な話です。


塩の浸透圧を促進させ、身が爆ぜたりしないように、輪切り大根に十数本の金串を通した道具(剣山をイメージして下さい)を使い、焼く何時間も前に魚の表裏をブツブツと刺し、それから塩を振ります。
これが【くい塩】
塩振りは魚の身を締め、『旨味だけを引き出す』のが目的です。
当然「しょっぱいだけの塩」など使いません。


おいらね、塩の事を考えてる時に想うんですよ。
この世で、人間の【命】にもっとも貢献してるのは「太陽」の次に「塩」なんじゃないのかなって。
海は生命の母なんてよく言いますが、塩は「海が形を変えたもの」って言ってもいいし。指先を包丁で切ってしまい、流れてくる血をしゃぶった経験がありますでしょう?ありゃね「塩」の味です。
最高級の好適ミネラルバランスを持つ天然塩の味なんですよ。
全身を網羅して流れる「生命活動に不可欠な」血管の中を流れている【命のもと】は、塩が形を変えたもの。
そう考えるんです。

その好例が原始宗教じゃないかな。
太陽信仰とかの【禊】の儀式ですね。
塩は邪を祓う神聖な位置にあり欠かせません。
葬式帰りに塩を振るのは現在もやる事です。

商売でもありますね。
【盛り塩】がそうです。
高貴な身分の人が乗る「牛車」の牛を玄関先で止めるため。
ルーツは中国、晋の時代。
武帝を乗せた羊車を止めるために、知恵のある官女が玄関に塩を盛り、羊を玄関先に引き止めて武帝を呼び込むのに成功したという故事。
その故事に習い、料理屋などでは打ち水をした後の玄関に、三つかみの塩を盛るという縁起が起きました。
話の真偽はさておきまして、塩の重要性を後世に残す伝承です。


変な話ですがね、
おいら最近、『塩の薄さ』を感じてしょうがないんですよ。
今の世の中に対してです。
血が薄くなってる、そう言ってもいいかもしれませんね。
この漠然とした【希薄感】を説明するには、おいらの頭じゃ不十分な様です。だから伝えきれません。
ガキの頃と比べて、確かに何かが「消えている」と思うんですが。


おいらは季節の花が咲くのを見るのが好きなんですよ。
ここ数年、何故か花が「咲くのを嫌がってる」気がするんです。
おちろん気のせいでしょうがね(笑
でも、もし思い過ごしじゃ無いとしたら、
花も生き物なら、人間も生き物。
人生の花が満開に咲ける世の中じゃなくなっていくのかな。
この塩気の薄い、スィーツな社会で。


ちなみに、先ほどの「盛り塩」は別名【塩花】といいます。



Posted by 魚山人 2007年06月11日

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