「姥捨」の現実



「姥捨」の現実を直視すべし

石原知事が言うように、「信じられない親不幸者たち」と切って捨てれる単純な問題であろうか。否。もはや「親不孝」などと個人を攻めてウヤムヤにしようとしても無理な、この国の根幹に関わる根の深い問題なのだ。

「姥捨」の問題は日本人が最も避けたい話題の一つ。
現実を正面から受け止めて議論するのが苦手なのが日本人の特徴だからだ。だが、もう目をそらし続けるのは限界が来た、それが今回の「高齢者失踪」だろう。

なぜ「避けたい話題」なのか。
そこから考えないとこの問題の根深さは理解し難い。

『80~90歳になった老人の面倒を誰が看るか』
単純に言えばそういう事だが、実は全然単純ではない。

普通に考えれば老人は家族が看るのが常識。
だが要となる「家族制度」はもはや日本から消えている。

家族制度が崩壊すればどうなるか。
70歳を超えた子が90歳前後の親を看るという現実になる。

多くの場合一人でだ。
子自体がすでに介護が必要な年齢であろう。

その現実を沢山の日本人は知っている。
知ってはいるが、では自分が「認知症」になる可能性が高い高齢の親の面倒を看れるのかと。どうしても話はそこへ行き着く。

正直に言って「それだけは避けたい」のが本音であろう。
経済的負担のみならず、具体的に日常の世話をする者は想像を絶する労働を強いられるのが必須。その苦労は赤子を育てる以上の負担であるのは間違いない。赤子はいずれ成長して手が掛からなくなるが、老人の世話にはそれもない。

その負担を引き受けるには、自分の人生を犠牲にせねば無理である。
たとえ実の娘だろうと、それを喜んで引き受けるか。
まして今時の嫁がそれを快く受けるのか。
外で稼がなきゃならない息子などは絶望的。

その親に「財産」がある場合においては引き受け手もいる。
しかし無ければどうなるか。

家族どうしが親を「押し付け合い」、「たらい回し」にする。
若い世代ほど様々な事情を持ち出し引き受けない。

その結果高齢になってしまった子や孫が超高齢者を単独で看る事になる。
そしてそれは事実上不可能である。看る者が老人だからである。
そして殆どの場合他の家族とは縁が途絶え、従って何の援助も得られず、老人ホームの費用はもとより日々の生活費にすら窮する。

今回の事件の背景はそこにある。

日本人の総意において「それだけは避けたい」に軍配が挙がる。
しかしいまだに「世間体」だけは気にする傾向が強いので、表向き本音を吐けない。石原知事の様な資産家であれば専門の介護者を付ける事も可能だろうが多くの日本人にその余裕は無い。

しかし本心から親をどうでもいいと思っている訳では決してない。
できるならば、生涯面倒をみたいに決まっている。
日本社会独特の「世間体」と、多少は残る仏教や「楢山節考」的道徳観念。

だが都市においてはすでに家族が暮らす家屋の構造そのものからして老人の居場所はなく、独居が当たり前。
田舎は極度に過疎化が進み、都市に出た子供等が戻る可能性は極めて低く、かろうじて残る就学児童生徒もやがては都市に出て、老人だけが残り平均年齢を上げるのみ。

ただでさえ経済力低下などで中年過ぎても結婚できぬ者が、年老いた親を抱えていれば、今の日本では確実に嫁などもらえない。

これが偽らざる日本の現実であればこそ、逆に人々は直視をしない。

表立って声を荒げる行為を「美徳」と見做さない日本的メンタリティによって日本人はこれまで様々な問題に蓋をし、闇に葬ってきた。

しかしこの問題ばかりは絶対に黙殺出来まい。
なぜなら誰もが必ず老人になるからである。

国民が今回の事件を「一部の親不孝者の仕業」などという感覚で見ていれば、行政も動かない。現実に即した制度も成立が遅れる。

さらに「日本的メンタリティ」が問題になる。
【人様に迷惑をかけるくらいなら自分は消える】
日本人はこういう思考をしがちだからだ。
おそらく我々もいざ自分がその立場になればそう考える。
【自分の始末は自分でつける】だ。

このままではそうした感情に依存する世の中になる。
それを既成事実として見えなくしたい社会。
とうの昔に消えた「家族の絆」などに任せたままの高齢者福祉。
行政だけなく日本人全体が「見てみぬふり」をする可能性もある。

いつかは「安楽死」さえ合法化されるに違いない。
少子高齢化がこのまま進行すれば超高齢者を支える予算は無い。

そして多くの家庭は税金と家の家賃やローン、そして異常に高い教育費等に追われ続けてそれ以外の費用など捻出できない。

我が国は【豊かな国家】を目指し、豊かになった気でいた。
では「姥捨」をする国の、いったいどこが豊かだと言うのか。

経済優先という幻を追い求め、道徳観念はここまで崩壊した。
落ちるところまで堕ちた、いや、まだ墜落の途中というべきか。

まず「現実」を直視せねば落下傘は開くまい。

2010年08月04日 魚山人


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