吉田拓郎



《ひらひら》 拓郎へのファンレター

70~80年代に青春を通過した者にとって、吉田拓郎ほど格好良い男は他にいない。とにかく何もかもがカッコイイのだ。

時は過ぎ21世紀現在、
初老から老人になろうとしている今になっても、

なにかにつれ、折に触れ、頭の中でリフレインする曲は

【類のない拓郎のオリジナルメロディ】と
【誰にも媚びる事がない男ぽっい気骨が漲り、モノゴトの本質を刺し貫く、ゆえに色あせて古びる事がなく時代を超越した普遍的な拓郎の詞】
であったりする。

そんな日本人は想像以上に多いはずだ。

もちろん人はそれぞれだから皆がそうだとは言わない。
拓郎に興味がなく、陽水だったり永ちゃんやYMOやタツロー、もしくはアイドルや演歌、それに洋楽しか聴かないという人もいる。

そうだとしても、拓郎ほど圧倒的な影響力があったミュージシャンは他にいない。
あれから半世紀が過ぎた今だからこそ断言できる。

吉田拓郎は日本のポピュラーソングを変えてしまった「神」
先駆者にして創設者だったのだと。


洋食にも中華にもカブレた事がある。
アジア料理も研究し、一時最高だと思ったことがある。

でもやはり【和食】が最高だと結論し、死ぬまで和食だと思った。

ワインがどんだけ奥深いかは分かってます。
でもね、おいらは死ぬ前にポン酒を飲む。

理由はたったの一つ。
おいらが【日本人】だからですよ。

今ね、サッカーの日本代表が決勝へ進み、
おいらは死ぬほど嬉しい。

元気の無い日本。
そいつをぶち破ろうとする選手達に涙が出る。

腐り切り、自業自得で最低の20年。
バカヤロウにどうしても歯止めがかからない。

人の苦しみが解らない。
人の痛みが解らない。
楽して儲ければ勝ち。

まるでチンドン屋の猿芝居。
中身なんぞまるで無い。

困った人を助けないから、テメェが今度は苦しむハメになる。
ガキの様に目先の欲で右往左往。

「滅んじまえクソ国民」
あまりのだらしなさにそう思うこともある。

テメェ達がワガママほざいてられんのはね、
腰が折れ曲がった老婆達、
その曲がった腰のおかげなんだと考えもしない。

婆ちゃんや、そして母ちゃんがいた。
さんざん苦労して育ててくれた。

それはテメェを「情」も「涙」もねぇハンチクにする為じゃねぇんだ!

本当に大切なモンを脇に押しやりカッコつけてる。
その見苦しさを理解できない情けない思考回路。

日本人も世界中に出て定着してる。
中国人だけじゃありません移民は。

故郷への愛はどちらも変わらない。
中国人はね「仲間に命より大事な金を出し」

日本人は何か分かりますか?

「計算(打算)なき、涙」です。

「アホ」とも言うべき情。
西洋人や中国人の様に「損得計算」ができない情。

だからこそ海外に出た日本人は絶対に日本を忘れられない。

腹が立ちます例ですけどね。
「オレオレ詐欺」で虎の子を振り込んでしまう老人達。
その被害者が多いってのが日本って国の本質なんですよ。

かけがえのない「日本人の魂」を消そうとしてる。
その罪を犯してる人間は《売国奴》です。
裁判など必要ねぇ。その場で撃ち殺せばいい。
弱者を食い、「情」を逆手に取る罪は国家反逆罪と同じです。

テメェの母ちゃんの「墓石」に唾を吐き、
汚ぇ靴で蹴っ飛ばす。

それがどういう行為なんだか考えてみろい!

吉田拓郎

もし今拓郎が病に斃れたとしたらおいらは耐えられません。
この十年で拓郎という男の意味を痛感してるからです。

拓郎はね「スットッパー」だったんですよ。
高度成長後の日本に現れた「歯止め」だった。

拓郎の功績はあまりに過小評価に過ぎる。

おいらを含め、「拓郎の出現が日本を駄目にした」
そう考えた人間も多いでしょう。今もおそらく大勢いる。

しかし誰も考えない。
「もし拓郎がいなかったらどうなっていたか」を。

もし拓郎がスターでなかったら、
そしてもし拓郎が『制服』みたいな唄を歌ってなければ、

少なくとも「浜田省吾」も、「長渕剛」も、「桑田圭祐」も、歌を始めたかどうか分からない。
どれだけ多くの人間が拓郎の影響を受けたかは想像に余る。

これだけは確実に言えます。
拓郎はたんなる「歌手」ではなかった。

日本が高度成長の罠に陥ったとき、
そのまま「アメリカ」になってしまう可能性は多大にあった。

その時期も時期。
突然現れたのが拓郎であり、

【アメリカかぶれのフリしながら「日本」を唄った】

日本人は日本人なんだと「楔」を打ち込んだんです。

「俺達は日本人だし、日本人のままでいいんだ」
そう語部は歌っている。

ペニーレインでバーボンを飲むよりも、釣りをする南こうせつを歌うほうが楽しそうな男。

ビートルズの教えよりも、下駄を鳴らして歩く男。

人はどうして悲しくなるのか、その本質を最初から知っていた男。

今はまだ人生を語らずと言いながら、全てを語りつくした男

日本が蓄積してく「知識」をクソだと切って捨てた。

いつまで嘘を唄い続けて欲しい。

真実という名の嘘を。   ずっと、ずっと 元気 なままで

『ひらひら』 吉田 拓郎 

ラッシュアワーをごらんよ
今朝もまた
見出し人間の群れが
押し合いへし合い 出かけて行くよ
商売取引うまく行くのは
ほんとの話じゃなくて どこかで仕入れた噂話

用心しろよ 用心しろよ
ああ そのうち君も狙われる

おいらもヒラヒラ お前もヒラヒラ
あいつもヒラヒラ 日本中ヒラヒラ
ちょいとマッチを擦りゃあ 燃えてしまいそうな
そんな頼りない世の中さ

おいらもヒラヒラ お前もヒラヒラ
あいつもヒラヒラ 日本中ヒラヒラ

21世紀もかなり過ぎた現在もまったくコレと同じ。
拓郎という人は、何十年も前の青年時代から、
日本と日本人の本質が嫌になるほど見えていたんですなぁ。
おそらく天性のものでしょう。

2010/6 魚山人

「音楽家&詩人」としての吉田拓郎

感情の赴くままにブログを書くと、
あとから自分で読み返した時に、なんとも言えない感情にとらわれてしまう事がある。「これはいったい何だ」という、そんな感じ。

ま、それがあるのでブログを長期間書き続けるのは困難なんでしょうなあ。自分で自分にブレーキかけちゃうから。

コレに気づいた時、「80年代の拓郎の苦難」みたいなモンがなんとなく理解できたような、できないような。

でもね、「吉田拓郎を感情抜きに冷静に語れ」というのはちょっと無理なんですよ。
数十年間も拓郎の唄を聴いてきたオイラ達みたいな人間には。

それでも敢えて「吉田拓郎という人」は唄から切り離す必要があるんじゃないか。

ファンになると、その人の何もかもを知りたくなってしまうが、そうではなく、拓郎という人間を追いかけず、【拓郎が創った音楽】のみに関心をよせると。

そうでなきゃ、音楽家としての拓郎の偉大さを見失う可能性があるもの。

拓郎のコアなファンだと、プライベートから何から知っているのが当然だから、いつの間にか「拓郎の人生」と「拓郎の音楽」を混合というか重ね合わせるというか、ちょっと違う方向に行ってしまいがち。

つまり曲を聴いて拓郎の人生を知った気になってしまうと。

結果的に「俺の歌は嘘だらけ」と拓郎に言わせてしまうわけですな。

曲も詩も創作物なんですよ。つまりフィクション。多少拓郎の実生活を織り込んでいようと、ツクリモノはツクリモノ。
だって当然でしょ、創作家なんだから拓郎は。

で、音楽と詩の創作家としての吉田拓郎はどうなのか。なんです。

とてつもない天才でしょ。どう考えても。

けっして色褪せる事がない魂のこもった名曲を、こんなに沢山作った歌手って、拓郎の他に誰もいないもの。

いるとすれば「中島みゆき」か「浜田省吾」くらいではないか。
(矢沢永吉とか長渕剛も入るのでしょうが、挙げ始めたらキリがなくなってしまうし、おいら個人の感想でしかないし)

拓郎は日本の音楽、っていうか時代そのものを動かした人。

この評価が広まらないのは、
「スキャンダラスな拓郎の人生には目を向けるが、その音楽はマトモに聴いてない人」が多いから、でしょうね。
ま、本人の「シャイ&マイペース&世俗に毒されない綺麗で頑固な心」そんな性格ゆえの世(音楽芸能界)渡り下手もあったと思いますが。

いかにも。
外見だけで評価し、中身は全然見ようとしない国民性のなせるわざ。そのよい例じゃないか。(これがアメリカなら音楽の中身を正当に評価されていた筈です)

あの拓郎も、そろそろ七十代後半に。
永遠の青春を刻みつけ、子供少年青年のまま歳をとらないイメージしかない音楽の巨星でさえも老齢になってしまうこの人間世界。

ラストアルバムを最後に一切の活動から身を引くとの事。
寂しさはあるが、それが「吉田拓郎」としては正解かなと。

本人がどうあれ、「吉田拓郎という人の拓郎節」は何があっても消えないのだから。本人が引退してもです。

創作者というのは感情が高揚したときに良いアイデアが浮かぶというが、拓郎もプライベートで何かしらのエポックがあった時期に名曲を書く傾向がある。
そして感情の起伏は年齢に左右され、そういう高揚感やエポックは高齢になると遠ざかり、過去の記憶としてしか浮かばない。
過去の栄光にすがるのは拓郎が最も嫌う行いである。

いい唄は何十年でも残る、その唄に人の魂が入っていたら、永遠に残る

『人生を語らず』
そうは言っても拓郎の事はいくら語っても足りない、何でしょうかねコレ。

字余りでメチャクチャな歌い方、なのに心に沁み入るメロディがありリズムがある。そんな「拓郎節」

拓郎節が炸裂する曲は山のようにありますが、おいらお気入りのこの曲は、まさに拓郎節です

『大阪行きは何番ホーム』

YouTube 吉田拓郎


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