浜田省吾の凄さ



ハマショーは予言者か

男は見果てぬ夢を追い、
女は自分を幸せに出来る男を探し続ける。

本来ならそこに接点はない。

だが人間には「自己解釈」という武器がある。
「思いたい様に思う」、つまり希望的観測の内部実現です。

中途半端なスマホとタブレットPC いっそ合体させれば!?
キンドルのアマゾンが新型タブレット端末を発売
米インターネット小売大手アマゾン・ドットコム(Amazon.com)は28日、タブレット型端末「キンドル・ファイア(Kindle Fire)」を発表した。価格は199ドル(約1万5000円)と、米アップル(Apple)のiPad(アイパッド)の最安値モデルの半額以下。米国では11月15日に発売するという。【9月29日 AFP】

小っちぇえ見辛い画面をいちいち「両手」を使って扱う、どっこもスマートじゃねえ「スマートフォン」。スマホだろうがスマフォだろうが呼び方なんぞどうでもいい。どっからみても透析が近い末期のメタボ野郎ですよ、ありゃ。

「余計なモンばかり」ガバガバ食わせれば肥満になりますわな当然。
「スマホ時代到来」はビョーキとしか思えませんが、タブレット端末も同類。

今の人々はタブレットを「イケてる」と感じているらしい。
何がイケてるんだか。幼稚園児の落書きボードと同じじゃねぇか。
ダッサイにもほどってモンがあらぁね。←(おいらもスマ&タブ持ってますが(~_~;

「イケてる」ってのはスマホよりも小さなサイズの端末でもって、ワンタッチで20インチのバーチャル3Dディスプレイに展張できる奴を言うんだっての。用が済んだらディスプレイは格納されて本体はポケットに仕舞う。
ソニーなら作れるでしょうが(頑張れば)。
作れってぇの!「オリジナル」を。
血迷ってワケのわかんないモンの真似してる場合じゃねえ。
ソニー初のタブレット端末、9月17日発売
※どうやらGoogleが先手を打ったようである

なにが悲しくて「中途半端な大きさのベニヤ板」を持って歩いてんだって話。
【邪魔臭いだけ】でしょうが。

あんなモンを「カッコイイ」とか言って行列作るにおよんではもう、「コマシャーリズムに洗脳された現代人」なんて言葉だけじゃまだ足りない。

アレは「技術的後退」に違いない。
それを崇める今の人間は「退行」してると断言するね、おいらは。

読書したけりゃ本を買うし
映画はじっくり鑑賞したいんで「モバイルで観る」などアホ
音楽もゲームも専用機の方が絶対に良い

iPadのアップルは端末を売るためにコンテンツを充実させ、
アマゾンはコンテンツを売るためにタブレットを作ったらしい。

コンテンツ

これが問題ですわな。

「何を聴いて、何を観て、何を読むのか」
はたまたゲーム脳に拍車をかけて現実世界で生きるのをやめちまうのか。

音楽の方を向いてみましょう。
この10年ほど新しい「その時代のヒット曲」ってのを聴いたことが一度もありません。

音楽に無関心な訳ではないのです。
聴いても右の耳から左の耳に素通りして記憶に残らないだけ。

中身が薄すぎて存在感って奴がまったくないのです。
その理由は簡単明瞭。「訴求力」がゼロに等しいからです。

『メッセージ』が曖昧模糊としてるので心に響くモノは無。
(時々沖縄などから気になる歌手が出るが「システム」が原因か長続きしないのが残念)

訴求力を感じたのは詩では『Mr.Children』、曲では『L’Arc~en~Ciel』くらいまで。
それ以降出てきたミュージシャンに「濃密な何か」を感じたことはない。

これは『映画』も『本』も似たようなものです。
要するに【昔のコンテンツにしか人々をひきつける力がない】って事。

『アバター』のように確固たる理念を持つ監督が製作した超大作は稀な例外でしかなく、ほとんどすべての新作は軸足がぶれていて人の記憶に残らない。

ましてやTVコンテンツは問題外。
元々馬鹿げた番組しか作る能力がないところへもって不景気の波。

さすがに金満テレビ局といえど金の無駄遣いは出来ない。
米国テレビ業界が作った『24』など夢。

こうなるとやることは決まってる。
パクリか買収ですな。

パクリはマズイし米国ドラマは足元をみてふっ掛けてくんるで高価。
なので安く大量に買える韓国ドラマ。米製はちょこっと。

で、『韓流ブーム』ってわけですな。
何が韓流ブームなんだか(笑)
ケチケチ銭ゲバのテレビ業界にまんまと乗せられちゃってまあ。

「在りし日の素直さ」で受けている韓流を見習ってですな。
(一度も観たことないけど・・・なんとなくそうかと  笑)

マトモな番組をテメェで作ろうって気になれよって言いたいね。

もっとも「テレビ離れ」の潮流はもう変わらんと思いますが。

そして残念な事に「Web」のサイトもコンテンツもテレビの二の舞を演じようとしてますな。

このような状況で「コンテンツ」「コンテンツ」と云われてもね。
「昔のコンテンツ」だけでどうすんだって事でしょう。

いくら現代人が多様化してようが「中身のないモン」にはいつか飽きる。
飽きるスピードはハードの進化よりも早い。

ところが「腰のあるソフト」製作には消極的、または無能力ときてる。

それでもって「ハコを買え」「ハコを買え」って言われてもねえ
「うるせぇよバカヤロウ」です。

中身の入ってないペラペラの板っきれをどうすんだって。

ところが人々は「うるせぇ」どころか大喜びで買い求める。
摩訶不思議と言うか「やれやれ」と言うか・・・・

まぁ、「変な大きさのベニア板」が丁度良いんでしょうかね。
薄っぺらさがよくお似合いですんで。

スティーブ・ジョブズがまだ若くして世を去った。合掌。
全世界からあらゆる御悔みの言葉が発信されてますので、あえて言うことはありません。言うとすれば好きか嫌いか、それだけでしょう。
ジョブズと、彼のApple製品をおいらは好きでした。
夢中になるほど機械には強くないので、「ジョブズが持ってるいる何か」が好きだったのだと思います。
だだし、スマホとタブ端末に眼の色を変えている「現在の世界」は嫌いです。

デジタル時代と浜田省吾

この社会では時々奇妙なことが起きます。
例えば『浜田省吾』の設立した事務所に『尾崎豊』がいたこと。

尾崎豊なるミュージシャンは知る限りにおいて駄作が殆ど無く、魂のこもった名曲ばかりを世に送り出した天才。傑作のひとつ『OH MY LITTLE GIRL』を作ったのが二十歳前というから真性の天才としか言い様がない。

浜田省吾というミュージシャンを一言で表現すれば【反骨の男】
ヒットした楽曲はポップな曲や甘いバラード調ですが、本質はロック野郎です。

ここまでメディアに靡かずビックネームになったミュージシャンは稀有でしょう。

ほとんどテレビに出る事はないがコンサートチケットは即完売。
長い年月にわたり絶大な人気を保っています。

先ほど「記憶に残らない」という話を書きましたが、
浜田省吾が人気を保つ秘密は「記憶に残る歌」ですな。

彼の楽曲は一度聴いたらそのまま頭に残り続ける特徴を持ってます。

独自のメロディラインもあるんでしょうが、世界観、つまり詩の力でしょう。

浜田省吾プロフィール

広島県出身 1952年生まれ

神奈川大学法学部中退

吉田拓郎で名高い「広島フォーク村」でバンド『愛奴』を結成 ドラムを担当

1974年頃再上京し拓郎のバック・バンドとして活動

1976年「路地裏の少年」でソロデビュー

しかし70年代は苦難の時代でブレイクから遠かった

80年代の幕開けを前にようやくヒット曲に恵まれる
「風を感じて」(日清カップヌードルのCMソング)

82年 初の武道館コンサートが成功

83年
ホリプロから独立して音楽事務所「ロード&スカイ」を設立
これ以降自分のスタイルを徐々に確立していく

1986年 2枚組アルバム『J.BOY』発表
デビュー10年目のこのアルバムは代表作となりチャート1位に

88年には静岡県浜名湖の野外コンサートで52,000人を動員

92年「悲しみは雪のように」がミリオンヒット

97年先輩吉田拓郎の50歳を祝って「イメージの詩」をカバー
(イメージの詩は拓郎のデビュー曲)

2011年現在も精力的にツアーを行い
公演内容も衰えを感じさせずハマショーらしさを維持

『もうひとつの土曜日』『悲しみは雪のように』『片思い』『丘の上の愛』
他にも切なく甘い秀逸なバラード曲が多いので女性ファンが多い。

しかしこの人の本質はアルバム『J.BOY』に凝縮されている。
『MONEY』や『JBOY』という曲こそ浜田省吾をハマショーたらしめている。

~時に理由もなく叫びたくなる 怒りに
~果てしなく続く生存競争 走り疲れ
家庭も仕事も投げ出し逝った友人

そして俺は心の空白埋めようと
山のような仕事抱えて凌いでる

J.BOY 掲げてた理想も今は遠く
J.BOY 守るべき誇りも見失い
J.BOY 頼りなく豊かなこの国に
J.BOY 何を賭け何を夢見よう

J.BOY 打ち砕け 日常ってやつを
J.BOY 受け止めろ 孤独ってやつを
J.BOY 吹きとばせ その空虚ってやつを

『JBOY』から抜粋

プロテストに満ちたメッセージが充満した歌詞。

「似非左思想」や「白痴的右思想」はなく物事の本質を捉えている。
だから記憶に残り内容がいつまでも古びない。

その片鱗はすでにデビュー時から垣間見える。
他のBIG達と同じくやはりデビュー曲にメッセージが深い。
「路地裏の少年」にはその後の路線がはっきり含まれている。

尾崎豊も似たタイプであった。
本質は「反骨の人」だが甘い曲ばかりヒットした。
彼が一時的とはいえ浜田の事務所に在籍したのは面白い。
(ロード&スカイにはスピッツも在籍)

いわゆる「BIG」は数多い。
しかし浜田省吾ほど「日本という国の現状」を考えさせる人は珍しい。

だからといって「音楽家」としての才能を疑うわけではない。
メロディセンスは抜群で作曲家としてまぎれもない。
その証拠に旅先などでふと口ずさんでいるのは彼の曲『AMERICA』です。

何故かいつまでも頭に残るメロディ、何十年経っても脳内でリフレインしてしまうほど。 浜田省吾にはそういう曲(『あれから二人』のような)がたくさんある。

典型的と言いますか、おいらがハマショーの曲で最高だと思う曲のひとつに『遠くへ - 1973年・春・20才』ってのがあります。物語がある詩の世界観といい、それを支えるメロディーといい、とにかくベストな歌。

ところでこの曲は「70年初期の学園紛争時代」が背景です。これが驚くべきことなんですよ。何故かと言いますと、同時期は岡林信康に代表される「フォークソング全盛時代」なんです。あらゆる歌手やバンドがフォークソングを歌い、それが若者に支持された時代。

その当時人気があったその手の曲と『遠くへ - 1973年・春・20才』を聞き比べてみて下さい。すると浜田省吾という人の才能がどれだけ凄いか分かります。
当時人気の他の歌手たちの曲が色あせて古びてしまい今はもう聞くことさえ出来なくなっているのに『遠くへ - 1973年・春・20才』は今現在でも古さを感じない。
まさに時代を超越する浜田省吾曲の真骨頂、このメロディーと歌詞は今の若者が聞いても心に響くんですよ。
(この曲が80年代に作られたにしても、1973年・春・20才のタイトル通り内容は70年初期のもの。浜田省吾が時代を感じさせない稀なシンガーソングライターなのは長い年月人気を保ち続ける秘密でもあるでしょう)
(ちなみに70年初期と言えば吉田拓郎の「イメージの詩」が浮かびますが、普遍的な内容からこの曲も古びることがありません。それを浜田省吾が拓郎の50歳祝いにカバーしてリリースしたのは感慨深い出来事でした)

そして歌の終わりに心で一言
「デジタル時代なんぞクソクラエ!」

アナクロなBlogにアナクロな記事(笑)
「現代という輩」からかけ離れてると、つくづく思います。

読む方も呆れ返ってるかも知れませんなぁ。
でもね、「それでもかまわない」、と、そう考えています。

浜田省吾は明らかに「反戦」であり、30年前から「反核」だったと思います。
この動画がいつまであるか分かりませんが、長く持つ事を祈っています。

震災で、そして原発で、徹底して打ちのめされた皆様。
日本にはこういう人もいるのです。元気を出してください。

聴き様によっては清志郎よりも強烈です
「あの戦争」のケジメをつけてないから日本はこうなるんだと。
だが、強く立ち上がる力もあるんだと。

浜田省吾 『ライジング・サン』

夜は必ず終わり、陽はまた昇ります。

なぜハマショーは予言者なのか。
それは次の二曲を聴いて頂ければわかります。

『とらわれの貧しい心で』

『愛の世代の前に』

YouTube 浜田省吾 Official YouTube Channel


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