今の日本



老骨に成長、錆くれの建て増し

古来の行事よりも、バレンタイン。

考えてみれば妙な国ですなぁ。
一事が万事と申しますが、
このへんに「集約」されている気がします。

上空から見る東京の夜景は美しいものです。
しかし、それが昼間ですとまるで残骸に見える。
秩序と調和のないビル群は非常に醜いと感じます。

(1)錆くれを見ようとしないのは何故か

あいも変わらずと言いましょうか、更に加速していると申しましょうか、やはり我が国は酷く「ズレ」ておるようです。

「成長戦略!」

なにが成長だというのやら。

まことに残念ですが、ぜんぶ失敗します。

原子炉建屋がぶっ飛んでも、
高速道路のトンネルが崩落して人死が出ても、
その「教え」に耳をかすことをしないザマでは。

建築には素人ですが、それでも分かることがある。
鉄骨や鉄筋が錆びてコンクリに「亀裂」が出始めた鉄筋平屋建ての家の上に、そんままビルをおっ建てればどうなるかくらいはね。

そんなことをする建築屋はいないと思う。
手抜き工事専門の悪徳土建屋を除けばですが。

税金という血液を吸って生きている「吸血鬼仲間」の群れは別として、世界で厳しい競争を経験している民間の企業はね、理解していますよ。

「自分達の競争力の無さに驚き、恐れ慄いている」状態です。

投機マネーが左右している為替がどうなろうと、それに連動して株価が上がろうと、そんなモンを信用していないのは他ならぬ「上場企業」なのです。

なので多少利益が出ても、絶対に従業員へ還元することはありません。つまり給料を上げる気などないって事です。
そもそも「利益」とやら自体が「本業の業績」によるものではなく、「他の要因」から出ているので、「ビビリ」はいっこうに収まらず、ますます用心深くなって行く。金を回す気はなく隠すのみ。

なぜ日本の企業はダメになったのか。
その根本的な原因を突き止める努力をせず、円高だの新興国だの、すべてを「外部要因」のせいにして、明日の見えぬ境遇へと自分達ではまり込んでいる。

実に簡単な答えですが、それが分からないのです。
「大企業病」ですよ。
早い話が「役所体質」になってしまったということです。

別の言い方をすれば「若さがなくなった」

それは仕方がないことで、何でも年をとるのは必然。
病気になるのはね、
「いつまでも若い気でいて新陳代謝をしない」からです。

アメリカの現代事情に詳しい方ならすぐ分かりましょう。
あの国ではどのような巨大財閥、巨大企業でも数十年すれば「新興企業」にトップの座を奪われてしまう。
長く続く大企業でも「中身」は10年で大きく変化して、昔の面影などは消えてしまう。誰もウカウカしてるヒマなどない。

だからこそ世界一のダイナミズムを失わない。もちろん、それがすべて良い事だと言う気は毛頭ありませんが。しかし日本にAppleやGoogleが誕生しない理由は明白です。

ダイナミズム。
円高でも文句をつけて料金を上げるし、円安になってもやはり料金を値上げする「電力会社の企業努力」
アレと非常に体質が似てしまい、もはや「自らの力」でなく他力本願になっている民間企業。それがこの国のダイナミズムです。

この国に巣食う異常な利権構造は、新しいモノが生まれるチャンスを全部破壊して、志を持つ人間を「ヒモ」のような輩に変えていくのですよ。

はっきり言って日本はサビだらけで軋んでいます。
ビルも道路も橋も、そして人の心も。

なにもかもが「古い」
「ゆとり」も古いし、「成長戦略」はもっと古い。

なぜ風化して古く陳腐になるのか?
それは「ゆとり」も「成長」も、ガセだからですよ。
「ホンマモン」ではなく、芯の無い外側だけのハリボテ。

本物をつかむことが出来ないし、その前に今や何が本物かさえも分からない。この国の内側にいると、「目利き能力」が消滅するからです。

骨粗しょう症になりかけている80近い老人の背に、「成長」という名の、柔道で鍛えあげた巨漢の若者を背負わせる。
そういう事を今やろうとしているのが分かっていない。

錆びた芯の入ったコンクリ建屋。
継ぎ足しではなく、普通に考えれば【解体と再建】でしょ?

そんな場所で、何で急に「成長」が出来るというのか。

腐った足元の土台をそんままにして「建て増し」
そこにどんな「立派なビル」が出来るっていうんです。

誰でも「新品」が好きなモンです。
やってみれば分かるが「メンテナンス」ほど面倒なもんはない。
古い、そして「膨大」。ウンザリしますよ。やってみると。

金も労力も埒外。まだ新しいものの方が楽チン。
それに新品でなきゃ誰も注目してくれない。

しかしね、
日本は大陸ではないし、我々はヤドカリではない。

造ったモンを片端からうっちゃって、次から次に新品を求めることはできないのです。限界ってものがある。

そもそも「グランドデザイン」も無いのに、何処に向かって何を成長させるのか、そのへんが分からんのです。ドコに走りだそうとしているのか。

第一走るためにはね、まずは「脚力」からでしょう。
理想的な筋肉が付くような「指導」「政策」

メタボでもって血管がボコボコ。
悪玉コレステで血の流れがにぶく、今にも詰まりそう。

その状態の者に何をすべきか。
ヘロヘロで疲れ果てている国民に向かって、イキナリ「さあ、全力疾走しなさい。〈水の補給〉はする。だけど医者に行かせるヒマはない」

「水の補給」とやらは税負担を重くする「ニンジン」
社会保障を削る誘い水。

そんなモンはね、
今流行りの、「根性論でもって体罰をくわせる」と同じ。

「科学」が無いでしょうが、どこにも。
「うさぎ跳び」の時代じゃあるまいし。

「飲食を控えさせ摂生させる」のが最新の科学であって、栄養剤や覚せい剤で誤魔化すのはドコソコの「ナニナニ軍」とか「詐欺集団」の発想です。

自分の考えでは、「根性論を口にする者ほど根性が無い」

(2)ではどうするのか

日本に求められるものは、軽挙妄動する国民の根っこを変えていくことです。言い換えれば、「ガキから大人になる」ってこと。

「それは成長するという意味ではないか」
そうではなく、成長に備えた準備段階です。
内部は幼児のまま、外部だけが老化しているからです。

成長を言う時代ではないし、成長などできる環境ではない。
嘘だと思うなら大企業の幹部に質してみて下さい。
働き盛りの勤め人10万人に本音を尋ねればよい。
「本気で経済が成長すると思っていますか?」

「体力をつける」のですよ。本当のね。

ガバガバ食うだけの性質じゃ体力はつかず、脂肪だけ。
本当に体力つけるためには「ストイック」さが必須なのです。

「締める」、つまり縮小なのですよ、成長ではなく。

数十年後に日本の人口は60年代と同じ程に後退します。
今までのやり方で経済成長するつもりであれば、方法は一つしかありません。海外に植民地を得て未発見の大陸を探し出して現住民を奴隷にする。奴隷を植民地で働かせ、そこで生産したモノを第三国に売りまくる。つまり何重にも搾取するわけです。すると我々は人口が減少しても金持ちのまま左うちわで暮らせます。

バカバカしいと思うでしょうが、内容は違えど今のグローバル経済はこれと同じ構造なんですよ。まるで同じだと言っていいでしょう。

しかし日本はこれが出来ません。
第一にそれが可能な「軍事力」が無い。
第二に日本人は海外との付き合いがドがつくほどヘタ。
忽ち抵抗軍を組織されて反乱。植民地など運営できない。
すぐ精神論を持ちだして、「アメとムチ」を行使できんからです。
そして、第三に日本は軍事力の代わりである「経済力」と「技術的優位性」を急速に失った。これでは「打って出る武器」がない。

しかし方法はまだある。
「メンテナンス国家」へと特化することです。

日本人の器用さがあれば、補修改修でもトップになれる。
「何もかも古くなってボロボロになって行く」のは世界共通。
需要が尽きることはない。

「打って出る」をしばらくの間ストップし、その技術を蓄積。
国内でもやることは山のようにある。

百年もたない醜悪な鉄筋コンクリの家を、千年経てもびくともしない太い柱を持つ日本建築に建て直す。そこからでしょう。

「太い柱」なんですよ。必要なのは。
贅肉をそぎ落とし、ストイックに無駄なものを排除していく。

ま、月収数百万円の議員さんの歳費も定数も減らすことはせず、10万円で暮らす貧困者の手当はあっさり切る連中です。
言うだけムダでしょうけどね。ストイックなんぞ。

錆くれた鉄骨と鉄筋。
それはまるで死にかけた老人の骨。

残念ですが、「同じ身体」でありながらブヨブヨの脂肪たちは、骨がスカスカで軋んでいることにまるで気がついていません。折れる寸前であり、折れたら自分にも影響するという事実を直視しない。

だからこそ、この期におよんで「ブドウ糖」なんでしょうね。

不自然な体重増加により骨はカルシウムをさらに失う。
コンクリのようにひび割れて、亀裂を大きくするでしょう。

国の上層部が「成長」という呪縛から抜けれない。
はるか彼方を睨んだ「デザイン」も描けない。
まして「シンプル化」などという発想など浮かぶよしもない。

それがこの国の「袋小路」の正体です。
不景気ではなく、袋小路なのですよ。

(3)生き残りをかけるのは【SIMPLE】

「ごみ屋敷」で暮らしていても何も感じなくなる。
ソコにある塵をゴミ箱に入れることすら出来ない精神構造。

それは在りし日の日本人にとって考えられない話です。
簡素、質素で清潔好き。畳にも縁側にもチリひとつ無い。

雑然とした日本の都市で暮らす人々は多かれ少なかれ「ゴミ屋敷メンタリティ」だと言えるかも知れません。

たった一人で暮らしていても、一週間もすれば満タンのゴミ袋がいくつも出る。いらないモノが山のように出てくる。

仕方がないのでしょう。
外出しても、テレビをつけても「ゴミの洪水」
もう「ゴミ箱」の容量が足りるものではありませんからね。

ゴミが溢れ出す環境には耐えられないのが日本人です。
本来はね。
それは今でも変わっていないと思います。

しかし容量オーバー。
それに耐える手段は「感受性の喪失」です。
早い話がシカトですな。「思考停止」とも言います。

高度成長以降そうして生きてきたわけですが、
実はもう「限界」なのではないか。そういう気がします。

人々の精神は多分、疲れ果てて擦り切れている。

いくら見ようとしなくても、1千兆円の借金とゴミの山は現実にそこにあるわけですからね。「処分方法が無い核のゴミ」「《人を信用できる心》という名のゴミ」

モノを売るのが難しい時代になりました。
モノとは”食”も含みますので当然外食業も厳しい。
不景気知らずと言われた「食べ物商売」がです。

「今の不景気のせい」
確かにそれもあるでしょう。
初任給が40年前と変わらないというアリサマ。
「なんてこった。何て国なんだ」
そう嘆いてみても、財布の紐を固く閉めるほかない。

しかしね、これは「不景気」が原因ではありません。

政府のエライさんたちが頑張って不況を克服できたとしても、「この流れ」は変わらないはずです。国民のマインドは変化しない。

今、世の中はナニヤラ妙な「期待感」が膨らんでいる様子。
確かに「安倍チーム」は頑張っており、自分も評価をすべき部分はそれなりに評価しています。商売人としても日本人としてもね。

でもね、「企業は給料を上げない」と思いますよ。
「上げられない」からです。
役所体質では「保身」が先に立ち、構造転換は無理。

つまり「ムダ」なんですよ、偉いさん方の気合は。

彼らの頭にあるのは「経済成長のみ」
過去50年と同じ発想しか頭に浮かばないのですな。
成長、成長と言うが、その具体策は何か?
そんなモンはないんですよ。

ピンハネ仕掛けの上から金を流しても途中で全部消える。
ヘタをすれば所得が上がらぬままインフレになる。

構造と仕組みに手を入れるしか方法はないのです。
だが、ソコだけは避けて、手を付ける気配はない。

財界。
「バンバン作って外国に売る」
その単純な思考から脱却できない。
そんな事が可能かどうか、だれも言わない。

少なくとも日本は、「モノを売る時代が終わった」のです。
正確に言えばモノを作ることが消滅するわけではない。
完全にモノ作りから決別するのは早くて100年先でしょう。
なのでそう急速な変化を感じることはありません。

「モノを大量に作って売る」時代が終わった。
そう言うべきでしょうね。

消費税の増税がトドメになるでしょう。
10%になったあと、それがハッキリしてくる筈です。

右肩利益の時代は終わりつつある。
今そういう状態の優良企業も、先は細い。
なぜならすぐにライバルに蹴散らされるからです。
外国のね。

もう同じことを繰り返している場合じゃないのかも知れません。

モノに金を使う日本人は減少を続ける。
金を使うとすれば、「満足」を得るためだけにでしょう。その満足を得られるのが「モノを買う」という行為とは限らない。何故かといえば日本人はモノにあきあきしてウンザリしているからです。

「本当に欲しいものは買えない」という面もウンザリに拍車をかけているでしょう。

今までのような方法では、日本人にモノを売ることができなくなるはずで、それは既に一部で現実化しています。

それは当然「料理」にも波及するはずです。

小手先であれこれ奇を衒うのではなく、日本人が心の奥では求めていながら自分でも気がついていないものを考える必要があるかも知れない。

実に単純なものでありながら今の世では手に入らない。
それは「質素」ではないかと思うんですよ。
つまりSIMPLEです。

これも言い古された感のする言葉ですけどね。
古びた気がするのはやはり「ガセ」だったからです。
だいたいね、「おっしゃれ~」とか言われる時点で終了。
何が「オシャレ」なんだか。

本物のシンプルってのは、
流行り廃りとは正反対なんです。

ファションではありませんので「トレンド」など無縁。
無縁であらねばならない。それが「本当」です。

21世紀半ばに向けて、「先進国では」SIMPLEが、いや「本物のシンプル」が大きな流れになると予測します。

ケバケバしいモンは徐々に「途上国」のみでしか受け入れられないようになっていくと思います。

だって「食い過ぎ」の次にはそれしかないでしょう。
頭がマモトなら、ですが。

さて、ブログを書くのは久しぶりの事になりましたけども、相変わらず下らない文章しか書けません。進歩なしで面目もありません。
読者の方にはコメの返答も書かず不義理を致しており心苦しい思い。しかし言い訳は苦手ですので、事情は書きません。
ただ、今年はブログを書く機会が減る気がします。

なんとか5年続けて来ることができました。
次の5年の為にも先を急ぐ必要はないと考えるからです。

それにね、こんな話を書いちまった以上、自分のサイトを締めなきゃどうにもなりません。「ゴミ箱状態」になっているサイトをナニするのに時間を食い、さらにリアルでも「シンプルな料理と商売」の試行に時間を食いそうです。

おいらは2100年まで生きる予定ですんで、「SIMPLE元年」を構築しておかなきゃね(←)

「メンテナンス」はとてつもなく面倒で時間がかかる。
新しいモノを作るよりはるかに疲れます。

でもやるしかないのですよ。
コツコツと。

2013年01月31日 魚山人


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