PCやり過ぎ・テレビの見すぎは危険?  

ハコは人語で語らず

料理人である板前という職業の、「板前」という部分を前面に出してネット上で表現してみたらどんな感じになるか。ブログを始める前にそれくらいは考えたと思います。

漠然とした目標でしたが、GoogleとYahooで、「板前」という検索でトップページに表示されれば、それは一つの結果を得たと言えるかも知れない。

人は、今自分が行っている作業に、何らかの目に見える結果が得られぬと気力を維持するのが難しいもの。

Webの世界においては検索順位がすなわちやったことの結果・成果なんだと素人ながら直感的に理解しておりました。

そうして数年が経過致しました。PCとネットに関わる前と後に、どうも違いがある様です。

やる前よりも確実に「馬鹿」になっているのですよ。

 

PCの操作にも少し慣れ、人類の集合知ともいえるインターネットにつながり、そこから情報を得る。総体としての知識は増えたはずです。

なのになぜバカになっているのか。

パソコンで知りたい情報を検索し、有用なアプリをダウンロードし、動画サイトでニュースを見、ブログとHPを更新する。

この作業は大変に疲労はしますが、その疲労が「血肉になっていない」のですよ。読書で疲労するのとは本質的に違う。

分かりやすく例えますとね、自動車でしか移動しない人と、歩きで移動する人の「足の筋肉の違い」です。

最新型の車は申し分なく快適であり、その快適さに慣れてしまうともう車の無い生活にはなかなか戻れません。

そしていつの日か自分が百メートルも走れない事に気が付く。

我々がPCに向かって行う作業の大半は「情報処理」のみ。

考えてみたらこれは【面倒を強制するテレビ】ですな。

テレビはハコの前にぼんやり座っていればよいが、PCは頻繁にチャンネルをいじくる必要のある意地悪なテレビです。

PCとはコンピューターではなく、テレビなんですよ。例外的な少数のハードユーザー以外の我々大半のユーザーにとってはね。

それを証明しているのが、PCをこの世に送り出したアップルが発売した「iPad」でしょう。iPadの隠れた主張は「完全なテレビ化」です。

「発信」の部分を思い切りカットし、「あなたがたは受け手に徹して欲しい」というアップルのメッセージがはっきりと表れてますよこの機械は。

ですが「情報のカンニングペーパー」として考えた場合、iPadには抜群の汎用性と可能性がありますので、爆発的に普及するかも知れません。

作業に厖大な情報バンクを要する例えば医療などの現場では手離せなくなるはずです。

とにかくコンピューターと考えてこの機械を買うべきではないでしょうね。最初から「カンペ」目的ならiPad購入はおすすめですが。

でもね、異様なる独占型閉鎖系路線を修正しなければ、アップルという会社自体にトラブルが発生する可能性が濃厚だと思いますよ。

PCとテレビ。「考える必要がない」という点で両者は同じものではないか。

ただしPCはその疲労度から「やっている感」が非常に強い。だが実際は情報を処理してるだけで、「考える部分」を使わない。

おそらくクリエイターの多くは深思考の触発を他のメディアから得ている気がします。

それは多分活字や絵画や風景や食べ物と、そして生身の人間という従来通りのものでしょう。PCではない何かです。

自分の話に戻りますと、Webに関わる以前に比べ「メキメキと」思考が硬直化し、柔軟性を失い、新たなアイデアの着想が困難になって行く我の姿に驚くというか呆然とする最近のおいらがいます。

PCの作業は極端に疲労します。ネットを介し世界中の情報と接する事もできるし、ブログを書く事もできる。だが実際は「何もしていない」のではないか。

まったく無駄に時間を浪費しているからこそ、こんなに疲労感が深いのかも知れません。「虚無疲れ」ってやつですよ。

やっている事に意味があれば人は心地よく疲労します。素晴らしい本を読破した後のようにね。

更新時に記事を書くときに重い鎖となってしまう西洋の諺があります。この言葉により公開しなかった記事がどれだけあるか。

それは、『語る者は知らず、知る者は語らず』

しかしおいらが深く尊敬する料理人は、洋の東西を問わず例外なく自分のレシピや調理法を公開して憚らぬ方々ばかり。それが唯一の慰めでしょうか。

2010年05月28日

この記事へのコメント


こんばんは、魚山人さん。

確かにPC、それもWEBに繋ぎ発信していると疲れますね。情報を得ようとしても、本物の情報などありません。
魚山人さんは別物ですが(^^;。

10年程前から実感していました。
WEB社会自体が虚構世界なのに、そこに本物の情報など流れるはずがありません。そこに見られるのは人間社会の縮図ではないでしょうか?

もちろん仰られる様に、レシピを公開して頂いたり、学術関係では非常に有用な物も数多く存在します。

根源は簡便性、企業、個人、官庁を問わず何時でもPR出来ます。私の子供の頃から考えると夢の世界です。これはすごい情報だな、などと追っていくと利益誘導ページです。

所詮人間は社会生活を営む動物です。

対人、対面が基本です。ヴァーチャル世界に毒されている、周りの人間を見ると憐憫さえ覚えます。

本当のインテリジェンスは人間からしか得ることが出来ません。
手紙、もしくは普通の電話が懐かしく感じます。もともとPC、WEBなどというのは軍事、学術社会の産物。
一般人が使う代物ではありません。使ってますけど(^^;

昔、今でも尊敬する先輩がいました。
飲んでいた時のこと「藤井君、難しいことを難しく言うのは簡単。難しいことを易しく言うのは難しい。それ以上に知識をひらけかさない事。それが知性じゃないだろうか。」 今回のお話は、当時を懐かしく思いだされます。

長文にて失礼いたしました。.

Posted by 藤井茂男 at 2010年05月28日 19:12



アップル社は二十年以上前からパーソナルなコンピューターのあるべき姿を模索してきましたからね。
個人的にはiPadが欲しくてたまりません。.

Posted by 愛読者 at 2010年05月28日 22:57



こんばんは、藤井さん。

たしかに夢のようです。
我々が年少だった頃に、こんな便利なものができるとは考えもしませんでしたからね。
もうPCが無い状態には戻れはしないでしょう。

しかし殆どの場合WEB上は「ゴミの山」です。

そしておいら自身もそのゴミを撒き散らす行為に加わっているわけで、その感覚が疲労感を加速させるのですよ。書けば書くほどゴミを増やしてる気がするのです。
どこかで自分を糊塗せぬ限り、書くのは不可能になっていく。

まぁそう考える自分だけが自分ではありませんので、続けていられるわけですけどね(^_^).

Posted by 魚山人 at 2010年05月29日 00:39



こんばんは、愛読者さん。

iPadのインパクトは「アップルⅠ・Ⅱ」や「マッキントッシュ」が登場した時に等しいものがあると思いますよ。

今までのPCと違い、これこそ本当の「パーソナル」コンピューターだという気がします。あるいはその嚆矢となるでしょう。


「何でもかんでもできる機能過多」から、必要な機能だけに絞り込んだスタイルであり、これこそが大勢の人が待ち望んだパーソナルコンピューターでしょうな。

スマートフォンとAR(拡張現実)の組み合わせなど、ようやくにして技術が我々の日常に舞い降りて来つつあるのではないか。

PCはそこに到る過渡期の道具であり、iPadが新しい扉の姿を見せておるのでしょう。

ジョブズはおそらく「誰でも使えるコンピューター」を世に出したいのでしょうな。日常との完全なる融合です。好意的に考えれば、だからこそ頑なに全ての機能を塀で囲っているのかも知れません。

完璧主義者であり、だからサードパーティ・ソフトにも厳しい制限をかけてるのかもしれない。アドビ・フラッシュの件もそうした意向からかも。

しかしすでにアップルに対し独禁法で調査が開始されている様に、「独占」の感じは拭えません。どうなっていくか推移を見守りたいですね。.

Posted by 魚山人 at 2010年05月29日 00:39




お疲れ様ッス!

PCだのiPatだの
意味不明だ

そりゃ『馬鹿』にもなんだろよ(笑)

だいたい電話番号を覚えらんなくなったし
約束事なんざ いちいち確認しなきゃ守れネェんだろ?

爺の記事ゎ生きてっから
好きなんだよ

その爺が白旗上げるよな記事書くんか?

【便利=豊か】ジャ決してネェしな

五月病ジャネェのか?爺?

それなりに
みんな活かされてんべよ
日本人ゎ(かなり微妙)

近い将来が答えてくれるはず

俺ゎそう思ってますが…

オヤスミ夜.

Posted by 鯔次郎† at 2010年05月29日 03:05



お疲れ様鯔さん。

五月病。そんな可愛らしいもんじゃねぇ(笑)

そろそろ寿命でしょう。引退を急がなきゃなんねぇ。
ボケになってから引退しても遅いからね(^^).

Posted by 魚山人 at 2010年05月29日 05:30

テレビをみるのは時間のムダ

テレビを観るのは時間の損失。今ではハッキリとそう確信しています。

ちょっと前までは、優れたドキュメンタリー番組などを見逃すケースを心配したりとかしていましたが、もうそうした思いも消え失せました。

そうした面白い番組を見逃すロスよりも、番組を視聴している時間を別の事に使った方がプラス。それに気がついたからですね、「未練」が完全に消えたのは。

そもそも、そのような優れた面白い番組は全体からすれば0コンマ何パーセントの割合でしかなく、残り100%近くの放送内容は「ゴミ」

ゲスそのものの下らない番組か、横並び一直線で何の個性もないノッペラボウの報道番組はもはや脳停止状態。

どのチャンネルでもどの時間帯でも同じこと。マスゴミとは、まさに言い得て妙。

たった一冊の本が読みたいからといって、一千万の蔵書がある図書館を探し回るのは馬鹿げております。

ネット検索のほうが無駄がない。もう、テレビに「用はない」のです。

気違いじみた消費税増税への執念は、増税されても絶対に税収も増えないし財政状態も良くならないのが分かり切ってる「消費税」そのものにあるのではなく、この法案が潰れる事がきっかけとなって次々と既得権益にメスを入れられる可能性を恐れるからでしょうな。

このようなニュースもネットですぐに知ることができます。もしも、このニュースをテレビの報道で見ればどうなるか?

必ず「バイアス」がかかるでしょう。
なぜならテレビも新聞も大きな既得権益にあぐらをかく「体制側」だからです。

なぜ増税が必要か

なぜ逆進的な一律課税なのか

増税した分をどう使うのか

それで財政健全化はあるのか

社会保障はこれで安心へと向かうのか

年金は受け取れるのか

そもそも、5%程度の消費税増税に意味はあるのか

こうした「説明」も「議論」もまったく無しでひたすら強行突破。
同じですな、原発再稼働の段取りと。

こうした事態に一番大声で警鐘を鳴らさねばいけないのは誰か?
マスコミですよ。中でも影響力が大きいテレビ局です。

それが、まったくの正反対。消費税増税を深く掘り下げようとする気配はまるでなし。異常ですな日本のメディアは。

そもそも何が面白くてテレビを観るんでしょうか。
想像ですが、観たいからスイッチを入れてると言うよりも、習慣的にリモコンのスイッチをオンにする人が大半なのではないか。

「自動化」ですな。いったんスイッチを入れれば、その番組が面白くなくても消さないで次々にチャンネルを変える。

本人は「暇つぶし」と思いがちですが、そうではありません。一種の「中毒」と言えましょう。依存症なのです。

何かに似てませんか。そう、「ゴミのような食事」とそっくりです。

惰性からくる習慣にすぎぬと分からぬままに、「食べなきゃ死ぬ」「観なきゃ死ぬ」との思い込み。死にゃしませんよアナタ、そんなもんで。

栄養としての値打ちがないゴミメシを何も考えることなくポリポリ、グビグビ、モグモグ。で、肉体には消化の負担をかけて体脂肪を増やす。

オツムの方は情報としても娯楽としても値打ちゼロ(いや、マイナスです)のバカテレビに毒される。

「我慢できないもん」
そんな事は絶対にありません。
我慢できるんです。簡単にね。なぜなら、両方とも人間には必要がないモンだからですよ元々。

観なくて困ることは何もないんです。

肉体もアタマ(精神)もメタボにお気をつけて下さいね。ま、右も左もスマホという「全員右へ倣え」のアリサマじゃ、こんな話も無駄かも知れませんが。

もう少し『活字』を読むようにすべきでしょう。大新聞以外の文字列です。若者たちの本離れには背筋が寒くなります。

テレビの画面から得られるのは知識ではなくゴミ。白痴化するだけです。
お願いしますよ、日本の若い衆。

2012年05月09日

この記事へのコメント

お疲れ様です爺。
日本の若い衆 鯔次郎です。(←40ヅラ下げて 笑)


物事の核心に一切合切触れないどころか 真実にモザイク掛けちまう有様。優れたジャーナリストゎ干され 上っ面だけを冷やかし茶化し…よくもま-スポンサー達ゎ銭出すこと(笑)ま シーシェパードのスポンサーと変わりないか。
小沢の報道なんて酷かったモンね。逆に見る人が見たら単に小沢バッシングのデキレースとしか写らネェダロけど。

「お茶の間」
たくさんの家族が 世代や嗜好の違いでチャンネル争い。
それも ま 家族団欒の一部っちゃ一部。我が家ゎ飯食うのも睡眠すんのも たったの5人と淋しいモンだが同じ部屋。テレビもその部屋に1台だけ。俺が休みの晩飯時ゎまさに家族団欒タイム。不思議とテレビゎついている。が 話が盛り上がると誰も見ちゃいネェ。本当に必要なくなった。勿論 今コメ書き中だがテレビゎついてない。
だいたい「お茶の間」自体どっか行っちまった感すらある。


活字。
こんな仕事してっとよ
中々時間なくて 本とか読む気にならない。そこでだ。数年前から とってもためになる活字媒体を携帯越しに見つけたんだが最近朦朧が酷い。筆者の。

そいや最近あんまし聞かなくなったな「ご利用ゎ計画的に」ッツーCM(笑)
一時ゎサラ金いないと番組作れないの?ってほど朝から晩まで「ご利用ゎ計画的に」って。 ま しっかり計画的に経営してほしかったのゎ蓋開けりゃサラ金屋のほうだったんすが。
その程度。

そいや爺。
俺のカミサン!
そうだよ!美人のカミサンがね
「NHKの受信料ゎ払わない」←だって。なんでも彼女いわく「内容が銭払うに値しネェじゃん。」 さすがだ。.

Posted by 鯔次郎 at 2012年05月10日 00:45



ぼらじろー様、おつかれです。

僕の記憶が確かならば・・だ、( ←アルツのくせに 笑
以前にも同じ指摘をしたはずなんだが・・

>朦朧が酷い

そんな日本語は無いね。

「耄碌が酷い」とするのが正しい。
朦朧とは意識朦朧、朦朧状態とか品詞と接続して使う形動。
「朦朧としている」はよいが、「朦朧がひどい」ではオカシイ。

正しい日本語を使えってんだボンクラ。
(↑おいらもしょっちゅう間違い文章を書いてるが 笑)

ま、そんなこたぁどうでもいい。
カミさんに宜しく。.

Posted by 魚山人 at 2012年05月10日 13:27



魚山人さん おはようございます。お泊り介護の朝、何もなくよく寝ている静かな朝です。

マスコミはマスゴミだからマズゴミに。(笑
難しいけれど分別して一部を資源ゴミにできるのでしょうか。
日本にジャーナリズムは無く、あるのはジャリリズム。
朝からダジャリで m(__)m

いろいろありますがネットの可能性を信じたい気持です。(こちらもゴミの方が圧倒的に多いですが、、、)グーグルさんやHALにマスコミ・議員・官僚のウォッチ&批評&評価を継続してやってもらいたいものです。
悪魔にすべてを売り渡すことになるかもしれませんが、、、。.

Posted by 庄助 at 2012年05月13日 06:47



こんばんは、庄助さん。

現在は国粋主義やファシズムが萌芽する環境が整いつつあるようです。
新たなる金融危機、世界的な経済恐慌がもう一度起きれば決定打になりましょう。

1930年代への後退ですが、人類が進歩してない以上しかたがありません。
人々の進化を促すべき役目のあったマスコミは、逆に人の精神を後退させて頭を悪くするばかりで終わり、インターネットへバトンを渡す。

もしも1930年代の再現が起きたらマスコミはどう出るか?
狂人であるヒトラーを神格化したように、オツムの足りないファシストの走狗となるでしょうね、たぶん。.

Posted by 魚山人 at 2012年05月14日 19:00



勇気を持って初書き込みです。

ずっと粋なブログだなあと思って拝読しておりました。

人としての礼儀を重んじていらっしゃる姿勢、職人的姿勢、本当に素晴らしいと思いながら読ませていただいていました。

政治的考えまで近くてびっくりです。

今後ともよろしくお願いいたします。
こっそり応援しておりますので。

Posted by さとうー at 2012年05月29日 23:03



こんばんは。

嬉しいお便りをありがとう存じます。
この記事を選んで初投稿して下さった事はさらに嬉しい(^_^

これからも宜しくお願い致します。

Posted by 魚山人 at 2012年05月29日 23:29



魚山人さん 

はじめまして♪
考え方にすごく共感することが多くて、励みになりとても為になります。
ここまで世の中のことが分かっている人って、実際あまりいないのではないですか?
少なくとも私の周りにはいません><;
食べ物一つとっても、ごみ食品とは考えてもいないし、こちらが変人扱いされるのがおちです。なんなんでしょう。完全に洗脳されていて話すのもあほらしくなってきます。
魚山人さんの世の中を見る目や、人間性のようなものが、こちらのブログにものすごく現れていて、男気のようなものを感じます。
そして頭がいい。
頭のいい人が書く文章は、やはり読者に分かりやすいというか意味不明?ということがないのですよね。
これからも楽しみに有難く読ませていただきます。.

Posted by くりーむころん at 2012年07月01日 02:26



こんにちは、くりーむころんさん。
どうもありがとうございます(^_^

おいらはね、ろくな教育を受けていないし頭も悪い。
だけど一般的な日本人は教育レベルが高く、大卒者の割合が先進国でも高いほう。

なのに何故・・・・・?と思うことが沢山あります。

どちらが正常でどちらが異常か。
書いていて自分が異常なんじゃないかと思うことも多いんですよ。
それでも書くのをやめないのはね、自分の「経験」を信じているからです。

Posted by 魚山人 at 2012年07月01日 08:43



魚山人さん

はじめまして。

小僧のコードです。


いつも書き込みさせていただきたい衝動に駆られていたのですが、
駄文ながらコメントさせていただきます。


「日本はどうしたらよくなるのか…僕に何ができるのか」
と考えてすごす毎日です。


テレビは高校を卒業してからずっと見てません。基本的に新書や文庫を読んでいます。
たまに母がテレビを見ているのを見て、
苦言を呈しています。


話が変わってしまいますが、
原発事故・節電騒動・マスゴミ・官主主義国ニホン~まとめ
読ませていただきました。

若い僕らこそ、嘘や欺瞞だらけの情報に流されず、
本質を捉えるべきなのですよね。



20代前半のはなたれ小僧ですが、
ブログ応援しています。

Posted by コード at 2012年07月01日 16:10



こんばんは、コードさん。

爺さん達は先が長くないので生きてるうちに「どんな無茶」でもやります。
彼等は日本国を愛していません。
(つまりあなた方若い人を愛しておらんということ)

では何を愛しているのか。
政治家の場合は「自分の権力」
官僚の場合は「自分の省庁」
結局、「自分の地位だけ」を愛しているのですよ。

国を愛してなどおりません。これっぽっちもね。
愛するフリをして利用してるだけです。
ハイエナが肉をむさぼるように日本を喰うだけ。

極端に申し上げましょう。
愛する地位を守るためなら、「日本が滅んでもいい」し「国民が死んでもいい」

それが本当のところです。
嘘だと思うなら、昭和初期の歴史を研究してみればいいです。
そして今現在、彼らの理不尽な行動を注意ぶかく見ればいい。

原発がさらに事故を起こそうが、消費税を強行して国民が苦しもうが、そんなことはどうでもいいんですよ。

なぜなら、「そのとき、自分はもう死んでいるはず」と思ってるからです。

こんな連中が長年国家を動かしてきたのに、なぜ国は無事なのか。
むしろそれが不思議なくらいです。

それはね、国には「老人だけじゃなく若い人がいるから」です。

老人の夢は国家を道連れにして死ぬこと。

それを許さないのは「将来がある若人」なのです。

しかし老人たちは長い年月をかけて手を打ってきた。

それは「若者をアホにしてしまう」という手です。

そして成功した。
効果を高めたのが「テレビ・マスコミ」

(効果がありすぎて、いい歳をした大人までアホになった。つまり大成功)

あなた方の年代の多くが政治よりもAKBに夢中なのがその証明です。

お分かりでしょうかな
あなた方がアホのままでいると、彼らは遠からず「国を滅ぼす」のです。

彼らの本質は変わらない。
権力と保身の為なら躊躇いなくどんな事でもする。

それを止めるはずの若者たちは選挙にさえこないので「いないも同然」

はっきり聞こえますよ、滅びの足音が。

あなた方20代の日本人が、ぼんやりしている暇など本当は全然ないのです。

生きて、家族を持ち、幸せになりたいのならば、残された道は一つだけです。

己の力で将来を勝ち取って欲しい。
人を愛し、国を愛せる人間になって欲しい。

そう願っております。.

Posted by 魚山人 at 2012年07月02日 01:22



魚三人さん、こんばんは。
先日はお忙しい中のコメント、
どうもありがとうございました。
またコメントさせていただきます。

 僕はコードさんのように若い方には、
あえてテレビを見てもらいたいなと考えます。
それは、テレビの「何」が不気味なのかをもっと見つめてほしいからです。
 テレビには社会の「隠したい事」「復習したい相手」が常に映し出されている。
と言ったらちょっと大袈裟でしょうか?

 ネット社会で知識の定義が変わって来ている現代は、
自分の頭と身体で、どれだけ理解と体験に切り込むかという姿勢が無視できないように、
活きた経験からの「腑に落ちる」や「合点」、「承知」がためされているなと感じます。
それがなければ、たとえ有名校を卒業して、何社面接を受けたところで内定はもらえません。
仮に内定してもその後は言わずと知れた事。
同じ顔、同じ眼してますもの。

 相手がテレビでも、知る事は超える力になります。
単一の答えはありませんが、方法なら「考える」頭の数だけあります。

ある方の「日本人が日本を語れなくなっている」との指摘に僕も他人事ではない焦りを感じます。
工芸の世界に飛び込もうかと二の足踏んでますが、、、(汗)

 グスコーブドリの伝記が上映されますね。
雨ニモマケズ観に行きたいと思います。

おやすみなさい。.

Posted by つばさ at 2012年07月02日 23:55



こんばんは(^_^

そういう事もありましょうね。
物事は多面的。色々な考え方を否定はしません。
「敵を知らずに戦えない」という趣旨であれば同意します。


おいらの基本的な考え方を書いておきましょう。

「1万回教習動画を見ても、桂剥きは上手にならない」

手に覚えさせる。ま、オッサンの思い込みかも知れませんが(笑)

視覚情報と「ヒリヒリする実体験」は、まるで別の物です。
「身につかない」のですよ、映像からの情報だけでは。

だから時間の無駄だと書いております。
その時間を「実体験」に使ったほうが良い。

無人機を画像で操り、アルカイダ兵士を殺せば、さほど苦痛は感じない。

だが、目の前で「自分も殺られるかも」という極度の緊張感を持ったうえで殺害すれば精神を変容させるほど「重いもの」が胸に残る。

テレビの映像は一種のファンタジーであり、現実ではありません。
少なくとも「アチラの現実」であって、「自分の現実」とはなりえない。

自分自身が生身の体で様々な事を「実体験する」
それがなきゃ、「何も身につかない」
そう思っています。

Posted by 魚山人 at 2012年07月03日 20:12

若者がパソコンだけに依存してはいけない理由

板前(料理人)に限らず、若い時にしておくべき事と言いましょうか「姿勢」とした方がいいのか、いずれにしろ「こうあるべき」だと思うのが幾つかあります。

◎読書をする
◎他人と議論をする
◎手を使い何かを実際に作る
◎見知らぬ地を自分の目で見てくる

これを見て気付いた方もおられましょう。全てが「インターネットの便利さ」と、相反しているのです。

「読書」ですが、漫画は存外ですので活字じゃなきゃいけません。ネット上にも文字はあるし、テキストはWeb上でも重要視されております。

紙に書かれた活字じゃなきゃいけないんでしょうか。何か違いでもあるんでしょうか。「ある」とおいらは思います。

パソコン画面を通じて読む文字はね「脳が画像として捉えている」と思うのですよ。映像と差は無い気がします。活字を読んでいるのはとは明らかに違う。

紙に書かれた活字は、いうまでもなく「想像力」を育みます。「考える力」そのものを鍛えるのですよ。

ところが画像や映像は「情報量」があまりに多すぎます。したがって脳は理論的に処理できず、曖昧なイメージとして「感覚的」に保存してしまう。

完全に受動的になり能動的に向き合う事が出来ません。つまり脳が鍛えられていないのです。

「他人と議論をする」
実際の人間と言を交えて意見を言い合う行為。

これと「ネット掲示板での議論」の違い。この違いについては説明の必要はないでしょう。人間性の育成という観点からみて天と地の差があります。

「手を使い何かを実際に作る」
頭にあるものと現実に出来るものとはまるで違います。

高度なWebサイトデザイン能力があっても、鋸と金槌を使い犬小屋ひとつまともには作れないでしょう。

ゲーム空間でモンスターを倒す勇者でも、世界一の大金持ちであったにしても、現実では千円を稼ぐにも四苦八苦。

手に何かを覚えさせる事で人は先へ進めるのです。そして仮想空間と現実の違いが区別できる人間になります。手が覚えている事が「キーボードの素早い操作」のみではいけません。

「見知らぬ地を自分の目で見てくる」
これも同じですね。そのままの意味です。

PC画面で世界のどの場所でも見る事が可能ですが、それは絵にすぎません。脳でイメージとして適当に処理され、あっという間に消却されて行くでしょう。

「経験」を重ねたという事にはならないのです。


お金を稼ぐのは容易ではありません。
最近はどうも画面上で大金を稼ぐ風潮が強い様子。バーチャルにて現実にお金を動かしている世なればですね。

システム上それはありえる話ですが、それには高度な技能が必要であり、「誰にでもできる」などと考えるのは大きな間違いです。


投資とギャンブル

投資とギャンブルの違いはなんでしょう。ひとことで言うなら「オカルトの有無」でしょうかね。オカルトとは「根拠に欠ける」という意味です。

事業に投資はつきものですが、裏の取れないものに投資する人間はおりません。リスクは付いて回るがリスクの確率が高すきる場合でも投資はしません。それが商売です。

ではギャンブルに投じる金銭の根拠はなんでしょう。
「科学的に証明できない自分の思い込み」です。

実証は出来ないにも関わらず「絶対間違いない」とギャンブラーは主張します。

科学的に見れば確率にしかすぎないものを「何かがある」と信じているのですね。こうした類のものを「オカルト」と称します。

確率ですのでどんな事でも起こります。

奇跡的な大勝ちだって当然起きるので、実は奇跡的でも何でもありません。連続して勝ち続けることも稀ではありません。よく起きる出来事なのです。

その確率の不思議さに人間は勝てないのです。どうしても「思い込み」と数学的確率の違いを実感できない。

「何かがある」と思ってしまう。
だから世界中オカルトで満ちているわけです。

だからパチンコ屋から客が消えることはない。
外れ馬券はこれからもたくさん中に舞う。

でも残念ながら確率は収束します。
科学の法則に、人間のオカルトは負けます。

それは「恒常的に利益をあげる事が出来ない」という意味です。
定期的な収入は絶対に得られない。

そして打ち手に有利なバクチは世に存在しない。
なので続ければほぼ必ず原資を食い赤字と化す。

つまり、それがギャンブルです。

近年個人でも為替を取引できるFXなるものがございます。手軽な投資として人気が高い。やれ数億を稼いだなど勇ましい話が聞こえますけども、数分先のレートさえ予測できぬというシロモノは、投資というよりギャンブルと呼ぶ以外にない。

もしFXをやるのであれば、その部分はしっかり認識して始める必要がありましょう。これを『投資』にできる人間は極めて少数であり、大半の人にとってはたんなるギャンブルだと思います。甘い誘惑で日本人の貯蓄を吸い上げ、海外に流失させる仕組みの様に感じます。

業者は自分の腹を一切痛めずに手数料でぼろ儲け。あるいは円高デフレの構造の一角を担っているのではないか。

バブルが崩壊した折、日本から消えた数百兆もの金。あれを彷彿させるところがありますね。お金というのは消滅しません。地球上の何処かへ移動はするが消えて無くなりはしない。

鬱蒼とした厚い雲に覆われた日本。
その頭上に舞うのはハゲタカって訳でしょう。

この記事は「誡」という題目をつけました。日本語はとても難しいものです。 たとえば「見苦しい」という単純な言葉一つとっても、目に映る何かが醜いの意か、それとも己自身が苦しいのか。

ブログの記事を書くのはサービス精神のなせる業かあるいは自己満足の範疇か。自分自身では「サービス精神」に分があるように分析しておりますけども、その度が過ぎると墓穴を掘る仕儀となります。

それは「見苦しくなる」という意味です。己が書く文章の重苦しさに、たまには息を抜かねば窒息し、読者の方も辟易するのではないかという思考は、サービス精神が生み出すものだと理解しております。

しかし悲しきかなそれは自分の地ではないので、軽佻には無理が生じます。それが見苦しさを発生させる。

たえず自分自身を戒めていなきゃならねぇ。それはおいらが死ぬ瞬間まで続けなきゃいけない。若かりし日、そういう風に生きようと決めたからです。

匿名ブログという、ある種歯止めが無きに等しい形態であったにしろ、文章はおいらという人間が書いております。ですから自分の則に従う義務がござまいす。

人様を誡める文章の本質は、書いている自分自身を諫めて戒めているという事でしょうね。おいらはそう考えているのですよ。

暑さが本番を迎えます。
短い夏ではありますが、気を緩めてはいけません。体調管理の基本は栄養と睡眠、そして「過食をしない」です。大食いと栄養補給を混同しては駄目ですよ。まるで逆の意味です。健康に留意しつつ、夏を楽しまれて下さい。

禦三

2010年07月18日

この記事へのコメント


おはようございます 魚山人さん

連休で お忙しいとは思いますが 抜けた 番手さんの穴を
埋めるため魚山人さんも 板場に立って大変なのではないでしょうか?

まあ こんな事を書くと 浜の板さんの 「ジジィ~ 若い衆の邪魔スンナよ」 って言う声が聞こえてきそうですが~(汗)

ギャンブルですか ・・・

もう 6年ほど前になりますが ・・・ 私の知り合いが 友達と
一緒に東京に出ようかと悩んでおりました

その知り合いの友達は 某車ディーラーでサービスマンをやっていたのですが
それを辞めしまい もっと稼げる東京に出て金を貯めたい と言う事らしかったのですが
私の知り合いも 金を稼げる東京に出てみたいと言う事でした

まあ 私よりも かなり若い連中ですが 私は 東京で金を稼ぐのは
こんな地方で 働くよりも ずうっと厳しい事だと言ったのですが
修学旅行でしか行った事がない東京ってのは 金が眠る街という風に見えるんでしょうな ・・・

止めた方が良いとは言っていたのですが 本人達は 行く気で考えておりました
そんな中 その知り合いが その友人に 当座の小遣い稼ぎにと スロットを教え込みました

ビギナーズラックって言う奴でしょうな ・・・
教えてもらった翌日に その友達は 30万以上の金を 1日で稼ぎました

もう これで 連中の夢は 東京よりもパチンコ屋に向いてしまいました

来る日も来る日も パチンコ屋に行き 金を注ぎ込みます

結果 3ヵ月後には 東京に行ってアパートを借りる為に貯めてた貯金も無くなり また 地元で働く羽目になっていました

こんな結果なら 東京に行って 血反吐を吐くほど苦労した方が
よっぽど 本人の為になった

ギャンブルで蔵を建てた奴はいねえ ・・・ 本当でしょうな

まあ 結果として 若い連中にとっては いい勉強になったのかも知れません


話しは変わって たいらさんの愛車が見つかれば良いですね ・・・

以前 ある飲み屋のマスターの車が 盗まれた ・・・

車は ・・・ ベンツ

みんなが思ったのは 盗んだ犯人が可哀相だ ・・・

そのマスター ・・・ ヤーコウ(幹部)ですから 見つかったら
 それこそタダじゃすまない ・・・(汗)

捕まったら 結果が分るだけに 捕まらない方が良いんじゃないのかと言うのが夜の街の意見でした(笑)

たいらさんの愛車を盗んだ奴が その筋の方じゃなくて
早く見つかるのを祈っております.

Posted by トミー at 2010年07月19日 07:32



こんにちは、トミーさん。

志を大きくもって勝負に出るのは危険がつきもの。
あるていど無茶を承知でやるわけです。
そんな無謀さをおいらは嫌いじゃありません。
杓子定規な「おりこうさん」よりもその方が人間らしい。

だがバクチはこうしたものとは別モンです。
よほどの余裕がなきゃゲームとして楽しめないし、余裕があってもその余裕が『焦って何も見えなくなる銭の亡者』に変化するのは時間の問題。それがギャンブルですな。

ちなみに番手はまだ残っておりますよ(^_^)
やがて独立して行くでしょうけどね。ギャンブルやってなきゃ、もう5年も前に独立できてるはずですが。まぁいくら叱っても特効薬はありませんわな、あの病気にゃ。.

Posted by 魚山人 at 2010年07月19日 07:49

 

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