五年堪える力 


五年堪える力

「今年は年の瀬も正月もないだろう?」
そう電話で呟きました。

電話の相手は、以前このブログに書いたことのある若い衆。農家を継ぐために故郷の東北へ里帰りしたウチの板前です。

時々電話して様子を尋ねると、いつも決まり文句のように、この返事。今回も同じでした。
「いえ。俺はまだ幸せな方なんで大丈夫です」

田の大半は海水を吸ってしまい、数千万の損害を出した男がです。

あらゆる方面から支援はあるものの、はっきり言って再起には新たなる借入が発生するでしょう。千万単為の資金を投じないと元に戻らないはずです。



彼が、「俺はまだ・・・・」と言う言葉の裏。
言外の意味は分かっています。

「自分はまだ若い」
「それに手に職がある」
「おやっさんが河豚の資格も取らしてくれた」
「寿司も握れるようにしてくれた」
「だから困れば東京に戻り月額にして35万くらいは稼げる」

「けど周りには50歳、60歳で放り出されて困ってる人だらけ」
「ここには日給1万円になる仕事はほとんどない」

「もともと魚介に関係のある仕事してた人が多い」
「そんな人の再就職は厳しすぎる」
「やっとありついた臨時の片付け仕事も来年春には終わる」
「どうやって生きればいいのか分からない人達が本当に大勢いる」

漁師とか海産物加工のパートという仕事は基本給が低い。なので失業手当も低くなり、それだけでは生活できません。

年金生活者でも似たようなもんでしょう。仮設住宅の期限が切れたら生活が成り立つのか分からない。

収入の半分が家賃に消えたら、どうメシを食うのか。

最後は生活保護しかありません。
しかし東北の人は生真面目で働き者が多い。ギリギリになっても生活保護にだけは頼らないという人が多いんです。

ニュースはあまり報じないが、かなりの自殺者が出てると聞きます。震災の前から元々東北地方はその割合が高かった。性質が真面目だからだと、おいらは思います。

60歳、70歳になって家も職も失い、どんな再起があるのか。保険等大きなお金が入らない人達は、もう一度ローンが組めるのか。

再度ローンを組んでくれる金融機関などあるわけがない。人生をあきらめる人の気持ちは痛いほどわかりますよ。

「以前の暮らしに戻りたい」

だが廃墟と化した町とインフラは急には復元しません。
「元に戻る頃には自分は何歳になってるのか」
「そもそも仮設を追い出される時期に自分の仕事はあるのか」

何を考えても【否】しか出てこない。絶望が生きる気力を削いでしまう。

「俺はまだ・・」の言葉の背後にはそんな風景が広がっているのです。

彼がおいらの店に来て半年目。後輩が切り盛りするするクソ忙しい寿司店に行かせました。

「腱鞘炎になるくらい寿司を握ってこい」
「はい、分かりました。おやっさん」

1年、その店に預けました。それがおいらのやり方です。親方が自分にやってくれた方法をそのまま継いでます。

できるだけ「キツイ」店に行かせる。そのために「つきあい」は大事にしています。

潰れる奴もいるが潰れない奴もいる。潰れなかった奴はおいらが考える「板前」になります。板前モドキではなく、【板前】です。

おいらの下で五年辛抱できるかどうか。できた奴は「一人前」だと、そう思っております。

一年目は表面しか見えない。
二年目は馴れが出る。
三年目に馴れが間違いだったと分かる。
四年目に心構えが出来る。
五年目にどうにか【芽】が生えてくる。

復興もね、同じだと思うんですよ。最初の1~3年が辛い。誰も助けてくれないし、頑張ってるのに報われない。

日毎夜毎「絶望」みたいな壁に苦しみます。だって何を頑張っても「見える成果」が無ですからね。叱られて、縮こまり、心が明るくなる事など何もない。

でもね、だからと言って「終わり」ではないんですよ。死ぬ必要なんぞ何処にもありゃしません。

嘘だと思うなら「五年」待って下さい。

急がなくてもいいんです。「五年だけ」待って、辛抱して下さい。おいらはクソ政治家ではありません。約束します。
五年辛抱すれば、出来れば、必ず【礎】ができます

都会から「ええカッコシイ」の計算機みたいな連中が復興計画なんぞを持ち込むでしょうし、バカバブル屋が復興景気などを持ち込むでしょう。

でもね、おいら達が待ってるのはそんなモンじゃありません。「人のつながり」で作った三陸の魚介です。

だからバラバラにならないで欲しい。地域の「絆」を切らないでほしい。人間の手が入ってない「工業製品」など食いたくはないんですよ。

何年かかろうが問題ではありません。東北のおじちゃん、おばちゃんが作った三陸の海産物。それが食えるまで待ってますよ、日本人は。

日本人は「馬鹿」です。今年は流石に我慢の限界を超えました。

例えば「原発」、例えば「NHKの紅白」
歌が「励まし」だの「慰め」だの、そんなのはあり得ない。マスコミの屁理屈ですよ、そんなのは。

「壊滅した東北の町を見てこい」
「死の町と化した福島第一周辺は日本の領土じゃないってのか」

首を吊る寸前の年配者に「ガキの歌」が聴こえるわけがない。

なにが「歌合戦」だよ馬鹿野郎。

何かと偽善っぽく被災地支援で構成するんでしょうがね、その事自体が偽善そのものでしょうよ。

「挙国一致の支援」
それが不安で胸が一杯の被災者達への一番のメッセージじゃないのか。国営放送がその音頭をとらないで誰がとる?

なにが歌だって。ブ~ムじゃねぇんだ、大災害は。真剣に具体的な救済の手を考えるのが同胞ってもんだろうが。

そんな「馬鹿」でもやはり日本人は日本人。三陸魚介の美味さはDNAに刻まれています。

どんなにアホ臭い「グルメ」が充満していても、いつか必ず「海産物」に逆戻りします。

壁のデカさと、動きたくても動けない事情はよく分かります。でもね、どうせいつか必ず死ぬんです。

五年だけ先に延ばしてもどうって事はないですよ。慌てることはありません。見返してやりましょうや。カッコつけ野郎を。

「おやっさん」

「なんだよ?」

「年末、おせちの手伝いに行ってもいいですか?」

「もうおせちの営業はしないよ」
「義理のある人達にだけ作るだけだ」
「もうおせちなんぞ売る気はない」

「そんな・・・もったいないじゃないすか」

「うるせぇボンクラ」
「おせちの仕事はねぇけどな」
「ツラを出したいなら、いつでも来やがれ」
「このバカヤロウ」

2011年12月22日

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