
従来の考古学に加え、古人骨や石器などを分析する「形質人類学的」、ミトコンドリアDNAやY染色体DNAによって遺伝的系統樹を描き出した「分子人類学・人類遺伝学」などが個々に導き出した”日本人の始まり”をまとめて簡略にすると、概ね以下のようになります。
①、アフリカで現生人類(ホモ・サピエンス)が誕生。
②、①の集団のうち一部はサハラを南下し、一部は南下しなかった。
③、南下しなかった集団の中から、およそ6万年前頃に「ハプログループDE」と呼ばれるグループが分化(場所はアフリカ大陸の北東部)
④、ハプログループDEはさらにDとEに分化し、Dのグループは紅海を渡ってアフリカ大陸からユーラシア大陸へ移動。
⑤、Dの集団はさらに分化を繰り返しながら、北回り、南回りで東進を続け、やがて日本列島に到達。一部はアメリカ大陸へ渡る。
⑥、彼らが日本列島に至ったルートは、当時は陸橋によって繋がっていたと思われる北と、島伝いに北上可能な南、加えて長江沿岸から海流で渡れる九州西岸であり、このルートは縄文末期に稲作が伝播したルートとほぼ同じかと思われる。
⑦、彼らが日本列島の住民になったのは約3~4万年前であり、当地において徐々に特有の形質に変化していき、比較的低い身長、二重まぶたの大きな目、濃い髭、彫りの深い顔が際立っていく。原日本人の誕生であり、彼らは縄文人と呼ばれます。
縄文人は人類のY染色体分類によると、Dから分かれた「ハプログループD2」とされる人々であり、現在の日本人も約3分の1はこのD2であるとされています。
D2は日本列島のみでしか見られず、近隣のアジア諸国にも殆ど存在しないことから、数万年の歴史を持った「原日本民族」だと考えていいのかも知れません。
※それ以前、4万年以上前に存在していたかも知れない【旧人】と、さらに昔の【原人】については、これまでに確かな化石骨などが発見されていないこともあり除外。
(◯◯原人として世を騒がせた古人骨等は、後の調査で殆どが原人ではなく旧人か新人のものであったことが分かっています)
現代人と直接つながるホモ・サピエンスについての①~⑦です。
この縄文人が主役であった「縄文時代」というのをどう考えるかです。
石器の形態変化などから、おおよそ1万7000千年前から始まり、約3000年前の弥生時代移行期まで続いたとされる縄文文明。
「文明」と呼ばれるに相応しい時代に突入したのは、おそらく1万2000~1万3000年前くらいでしょう。つまり、最終氷期が終って「地球温暖化」が始まった時期です。
それまでは、マンモスやナウマンゾウなどの大型獣を追う狩猟民であり、小規模な集団がバラバラに生活していただけでしょう。
ところが温暖化で環境が激変。日本が大陸から切り離される程の大変動です。気候は短期間で変化し、植物相も変わってしまい、マンモスなどは絶滅してしまう。
こうした「大ショック」は、ヒトの進化を促します。
大勢の人々は環境の激変に適応できずに滅びてしまいますが、一部は生き延びて、新たなる「能力」を身につける。
昔風に言えば、旧石器から新石器に移行したということで、まず道具類が様変わりして、より複雑高度化する。
そして、食性も変化するのです。
狩猟がメインであったものが、落葉広葉樹林と照葉樹林の広がりもあり「狩猟採集」になる。大型動物が減った分、食性を多様化させるしかなかったのでしょう。
これが定住化を促し、動物を追うキャンプ式移動生活から、小集団がいくつか集合、竪穴住居という「イエ」と、ムラとか邑のような小さな「クニの原型」を形成させるきっかけだったと思われます。
狩猟や漁労もし、木の実などを採集もする。
かなり早い段階から原始的な稲作もしていたかも知れません(水耕は弥生時代から)
地球環境の激変が、縄文人を定住化へ誘い、それよって「社会」と「文化」が誕生したわけです。
もっとも安定して確保できた食料は「ドングリ」だと考えられています。狩猟採取といっても確実性はなく、食料の不安定は最大の懸念。採集が簡単だったドングリは、必然的に後世のコメのような主食に近いものだったのかも知れません。
ところが、ご存知のようにドングリはアクが強く、そのままではとても食べられません。
この解決法として彼らが生み出したものが、世界最古の土器である「縄文式土器」です。
つまり縄文式土器の原型はドングリのアクを抜くための調理器具だったわけです。
これによってヤマイモ、ワラビ、ゼンマイ、フキ、クズ、ノビルなどの植物も食べやすくなり、さらには漁労によって得た魚もこれで調理していたのでしょう。
すでに1万年以上前からこうした暮らしをしていたのです。(福井県鳥浜貝塚から出土した調理用と思われる土器は約1万1千~1万5千年前のものだった)
縄文時代を考えるときに想起せざるを得ないのは、その「長さ」です。8000年から1万数千年も続いているわけで、縄文文化というのは、実に【100世紀以上】もの長きに渡っているんですね。
昔の学者などは、縄文人をたんなる原始人扱いするのが常套でした。その根拠は「何も残っていないから」というもの。とくに「文字」と「巨大建造物」がまったく残ってない点がそういう見方をさせるのでしょう。
現に世界最古という土器が多数見つかっており、その土器の特徴から「縄文」という名称で呼ばれているわけですし、他と比べて知能が劣っていたと考える根拠などはありません。むしろその逆だったのではないか。
世界史のどこにもない、異様なほど長い長い期間続いたこの時代、一貫して「原始人のままであった」という考え方はちょっと変でしょう。
エジプトや黄河文明のように「確たる証拠」が残っていないにしても、100世紀もの間文明といえる程のものがなかったというのは少し違和感があります。
エジプト、メソポタミア、ペルシャ、ギリシャ、ローマ、どの世界文明を見ても「繁栄はきれいさっぱり消え去り今は当時の面影が無い」わけで、縄文期と後世の日本も「連綿とつながっている」ことはなく、完全に断ち切れたと考えるべきでしょう。
高度な文明があったとしても不思議ではない。
まぁだからと言ってムー大陸とか、そういった超古代文明を思い浮かべるのは「妄想」とか、良くても「SF」だと思いますけどね。再現性のない事象や、誰が見ても変化することのない物的証拠がないものは、いくら言ってもオカルトにしかなりません。
ローマが典型ですが、いかに優れた文明でも「文明は千年で滅びる」と云われます。
だとすれば、縄文は10回近く文明が勃興した可能性がありましょう。優れた文明が起きたが、千年ないしそれ以下で滅亡し、先の文明は忘れ去られ、山野に埋もれてしまう。列島のことですから、「海の底」に消え去ったという可能性も高い。
それは希望的観測というか、現段階では夢想に近いものでしょうけども、これから先証拠が出てこないと決めつけることも出来ません。
であるにせよ、1万年もの間、動物の毛皮や編布・網衣の貫頭衣だけを着ていたなどと考えるのは妙なものです。サルではなく、土器を生み出している人間なのですからね。千年紀を10回繰り返しても何の進化もなく同じというのは無理な考えでしょう。