太古の日本はフェミニズムが普通だったのか
日本には旧石器時代人が居住しており、この「縄文以前の原住民」は、どうも南方から来た人類であったらしい。先住民は既に世界初ともいえる【ナイフ型石器】を使っていました。
最終氷期が終わる頃(約1万8千年前)、北東アジア方面から【細石刃の石器】を使う集団がオホーツク海から北海道に歩いて渡ってきた。
確定的な事はまだまだ研究中というところですが、古モンゴロイド(縄文人)は母系のミトコンドリアDNA、父系のY染色体、いずれの分析からも、極めて珍しい「D系統」の形質を持っていたことが分かっています。
このD系統は世界でも珍しく、日本人以外ではチベット人やインド洋のアンダマン諸島の人々くらいのものであるといいます。
朝鮮半島や中国人にはほんの少数しか認めらず、日本本土、アイヌ人、沖縄人に多数みられるD2。
《ちなみに弥生人はO2b1(大陸系O系統)》
大陸にはあまり存在せず、日本で多い。
これはつまり、「大きく迂回して北と南から日本に来た」、加えて先住民(旧石器時代人)と混合した。
そのように想像できます。
このD2の人々が「縄文時代」を開いたわけです。
濃い眉毛、大きい目、二重まぶた、厚めの唇、要するに縄文人は、後世の「切れ長一重まぶた」の日本人とは違う顔立ちだったんですな。
では、その「縄文時代」の暮らしぶりはどのうようなものだったのか。
・氷河期が終わりを迎え、日本列島は動植物が繁栄する楽園ともいえる環境に変化
・男性は狩猟・漁労、女性は植物や貝類の採集を行う合理的な分業体制を持つ狩猟採集生活
・原始的な農業を行っていたらしき証拠が次々に発見されている
・早い時期から丸木舟を操り、効率的な漁労を行っていた他、遠く外海まで航海していた
(船でなければ渡れない伊豆諸島などから石器が発見されている)
・住居跡に残る調理設備らしき遺構、土器や包丁のような石器
こうした暮らしが実に1万年以上も。
これらのことを総合的に考えて、縄文人は世界に類例にないほど豊かでバラエティに満ちた「食文化」を持っていたのではないでしょうか。
こうした中で洗練された土器や石器が「発明」されるわけですが、そのプロセスを「生活目線」で想像すれば、男性と女性が「同権」だったとしか思えません。
中世~近・現代のような社会からすれば、調理に関する道具を使用するのは女性の専従事項。
「女は家事をやれ」ということで、「男の方が偉い」というバカのような思考回路ですわな。ま、今も変わらないという根強さ。
だが、太古の日本ではそんな下らないモンはなかったと思えるんですな。世界的にも農業が定着して以降でしょうね、女性を家内労働奴隷とみなすようになったのは。
そう思う根拠は、石器や縄文土器が「調理道具」として開発されたものだからです。最初は狩猟用でしょうが、洗練され、土器まで作ったのは料理目的。
これを洗練させたのが「女性だけ」だったとは考えられず、男性の関与がなければ無理というもの。
どうすれば便利な使い良い道具を開発できるかというと、実際の経験者でなければ開発も何もない。
つまり「男も家事(調理)をしていた」ということ。
男女は「とても仲良し」の同権。
それどころか、後年になると「女性上位」になっていったのでないか。深く崇拝するようになったのでは。
土偶と勾玉
7000千年前(縄文中期)から存在していたとされる奇妙な装飾品(?)である、『勾玉/曲玉(まがたま)』。この不思議なモノはいったい何なのか。
勾玉
これは「ヒトの生命」を形にしたものでしょう。
どう見てもこの造作は「胎児」としか思えません。
その胎児を宿す女性への畏敬と崇拝。
自分は、勾玉が存在した時代が【日本が女性のクニであった時代】だと考えています。ちょうど古墳時代まで続いていますからね勾玉は。卑弥呼、アマテラスを経て女系天皇が散見される時代。
そして「土偶」です。
1万年以上も前から作られていた土の人形。
縄文期の物とされる発見された土偶の、ほぼ全部が【女性像】なんですな。
縄文中期の代表的土偶「縄文のビーナス」
後の古墳時代の埴輪に比べると、
色々な面で逆に「新しい」とさえ思えてしまう縄文時代の「遮光器土偶」
女性は信仰の対象だったんじゃないでしょうか。
【誕生と豊穣】の象徴。
生物の第一義は「子孫を残すこと」
これは個体の意志とは無関係の遺伝子レベルの動機ですから、「生きている意味は何か」の解答とも言えるでしょう。
ヒトも生物であるかぎり、最優先でDNAを次世代に残す事が宿命であって当然です。
「ヒトにとって一番大事なのは子供を産み育て子孫を残す事」
このナチュラルな思考が普通にできた太古の人々が、女性を崇めるのは極めて自然ではないでしょうか。
現生人類の祖先「おっ母さんミトコンドリア・イブ」
日本の歴史も先史段階(文字史料が現われるまでの時代)はなぜか「女性が目立つ」のですね。
その代表は天照大御神と卑弥呼、その後の女系天皇から尼将軍「北条政子」など、弥生、古墳、鎌倉前期までは女性の活躍が際立っていて、「男女同権」とも言えるような国だったのです。
そのような事に留意しつつ「クニの成り立ち」などを、アレコレと書いていこうかなと思います。
2013年08月19日