サルからヒトへの歴史~日本人とは何なのか(2)  

歴史遡行~ヒトの始まり

「民族の誇り」という言葉にはプラスの面とマイナスの面があると思います。

世界中でポジティブに使われている日常的な言葉になっておりますが、実はプロパガンダの極めつけだという見方もできます。

そもそも「誇らしい」という感情は、突き詰めれば自分を「偉いんだ」と褒めることに他ならない。

「自分(たち)は偉いんだ」
本来の意味を深慮すれば、これは決して美しいものではない。
むしろとても恥ずかしいことなんだとも思えます。

「誇り」を主張するグループはその他のグループから複雑な感情を持たれてしまうでしょう。

普通に考えて、「俺達は偉いんだ」と言う連中に対して「そうですとも、あなた方はとても素晴らしい。とても偉い」なんていう感情を持つと思いますか?

そう言わせることができるとすれば、「それなりの理由」が必要でしょう。

その「理由」は、原理的に二つしかありません。
「力による圧倒」、そして「差違」です。

このいずれかによって他のヒト(グループ)から、「尊敬」か「恐怖心」を獲得することができます。

「うらやましいなぁ」「自分(たち)もああいうふうになりたい」
こういう感情やその他の容認系は「尊敬」に属する項目。

「逆らえない」「不本意だが支配に甘んじるしかない」
そんなネガティブな感情は「恐怖心」に属します。

ヒトも含めた動物は、「力による圧倒」か、「他との違い」を持つことで一定のシェア(テリトリー)を得ています。

力のない生き物は特殊な能力を持つしかありません。
鳥は翼を持ち、昆虫は変態する。

ヒトはどうしたか?
「脳を大きくした」が答です。

人類は一種だけが延々と進化して来たわけではなく、様々な亜種が存在しました。そして「頭蓋の容積が大きい種」がテリトリーを拡大し、他の種族は絶滅してしまいます。

生物が種を存続していく為には、優れた「力」か「生き残れる能力」を身につけるしかない。能力とは他の種と異なる身体のシステムです。
ヒトは脳を変異させる道を選んだのでしょう。

「誇り」とか「民族」とかいうものは、猿人や原人段階では存在していないでしょうね。そのようなものが意味を持つのは、農業を始めることになる数万年前くらいからだと思います。

集団化して定着するようになれば、「結束」が不可欠になってきます。グループを「何かの力」でまとめておかないと、農業が成立せず集落がバラバラになって崩壊するからです。

ここで再び生物の原理が浮上する。
「力による圧倒」「他との差違」
この二つにうちどれかが突出した者が支配者になる。

優れた支配者は「共通の目的」を持たせる手段をとる。
そうでないものは暴力による支配を選ぶでしょう。

暴力による支配は効率が悪い。
抑圧は短期的には効果的でも、殺戮の連鎖を生みやがて衰退していく。早い話、殺し合いになっては農業も何もない。

キリがありませんので、まとめます。
ようするに「誇りを持つ」という言葉は間違っていて、「誇りを”持たされている”」が正しい解釈の仕方だということです。

古代から続く「最も効果的な支配方法」でしょうね。

「他と違うんだ」ということが、なんで誇りになるのか?
違うからって「いばる根拠」になるのかってこと。

傲慢と誇りは違う?
違いはしません、同根ですよ。

他との違いを普通に受け入れることが出来なくなった。
違うものは違うと素直に感じる心が消えたのは何故か。
そこをよく考えてみてください。

他がどうであれ、それによって自分が偉い(誇らしい)と思う心が「ヒトとしての自然体」だと本気で思いますか?

そんなモンは「集団を維持するために糊塗した、欺瞞にまみれた自然体」ですな。主人に去勢された家畜か、洗脳をうけて盲従するカルトの信者。それと大差ないでしょう。

民族の誇りとやらは、「誰にとって」プラスなのか?
「自然に発生した」などという考え方は笑止千万です。

表層的な思考ではここまで「逆転した意見」に行き着かないと思います。自分だって日常的、習慣的に「人は誇りを持たなきゃいかん」なんてことを普通に言うし、その言葉に疑問なんて感じません。

「ヒトは何なのか」と、原始まで時間を遡ってみたときに、やっと分かってくるんですよ。
「人間は知恵の使い方で色々な”思い込み”を持っているが、基本的には動物のままである」ということが分かってくるんです。

「知恵」とか「文明」とか「人類は偉大」とかいう、”思い込み”にドップリ浸かって、動物の一種であることを忘れている。なので「民族の誇り」なんていう言葉が、いかに危険で欺瞞に満ちた都合のいい「ゴタク」なのか気づくこともない。

自分(たち)は「色が白い」とか「美しい」「優れている」とか「ケンカが強い」とか「金持ちである」とかいう「妙ちくりんな誇り」を主張して、いがみ合い争い合っている「偉い人類」とやら。

年端も行かない女子を嬲ったあげく虐殺する野郎が後を断たないインドのアリサマ。表面化しない数を含めればいったいどんな地獄なのか。命の値打ちがゼロな人々の存在。

あの連中の精神構造にはね、
「偉いから、他の偉くない者を奴隷のように扱っても許されるし、力の弱い女は役に立たないからモノのように扱ってもいい」
「なぜなら自分(たち)は他と違い優れているからである」
「それは誇らしいことである」

絶対にこういったものが内包されています。

カースト(笑)
上位の民族は落ちぶれても「偉い」ので、何をしてもいい「権利」があるという遺伝子でしょうな。

他の人種も、いや全人類がこれと「五十歩百歩」ですよ。
何故か誇りを持ちたがり、何故か偉いと思い込む。

その「偉いさん達」も「支配してもいい偉くない奴ら」も、実はたった一人の「同じお母さん」から生まれている。

そういう事を教えてくれるのが歴史です。



ヒト以前~サルから賢いヒトへ

霊長類は恐竜が衰退していく時期(白亜紀末期頃、8000万年前くらい)に、1億年以上地球を支配していた恐竜と入れ替わるように進化が始まったようです。

原始的なサルから少し知能の発達したサルに進化したのは、だいたい2500万年前くらいとみられます。

祖先は、おおよそ700~1000万年前頃に「サルをやめて人になった」と推測されているみたいですな。

ヒトの祖先である【猿人】は、現在のところ400~600万年前くらいに出現したと考えられています。

手が器用に使えるようになった事で、原始的な道具(動物の骨や木の枝など)を早い段階で使用していたでしょう。

現在分かっている最古の猿人は約500万年前。
500万年というのはコロラドのグランド・キャニオンが形成された年月と同じです。(数千万年という説もある)
恐竜は2億年近くも地上を支配していたわけですし、500万年が長いと感じるか短いと感じるか微妙なとこですね。

アルディピテクス属が約500万年前、アウストラロピテクス属が約400万年前。

猿人の時代は約200万年前まで続き、後期には原始的な石器も使っていたようです。

猿人よりもヒトらしくなった【原人】は、脳が現生人類の75%くらいあり、打ち付けて割った丸い小石、初期の石器である「礫器」を使っていたらしい。猿人に比べればかなり高度で精巧な石器だと言えるでしょう。
ジャワ原人で有名なホモ・エレクトスなどがよく知られるところですね。

原人の後期に、「火の使用」ができるようになったようで、これは「道具の使用」に次ぐ革新的な出来事と言えましょう。火を用いて調理するという「ヒトらしさ」も、この時期からです。

【旧人】は約20万年前に現れたネアンデルタール人のことで、2万数千年前に絶滅したとされます。

ネアンデルタール人はかぎりなく現生人類に近く、埋葬の習慣や芸術的な壁画を描けるような「文化」と呼べそうなものを持っていたようです。

そういう事もあり、学者たちも長い間「ホモ・ネアンデルターレンシスがホモ・サピエンスに進化した」のだと考えていました。

分子時計~古人類学の変遷

自分が学生時代に教わったのは、【人類は猿人から原人、原人から旧人、旧人から新人に進化した】という説で、これが常識として語られていたものです。

ところが、80年代以降に分子生物学などが急速に進展して古人類学の分野にも大きな影響を与えるようになり、例えば「ネアンデルタール人がホモ・サピエンスに進化した」つまり旧人が新人になったという説は、ほぼ間違いだったという事になりました。

つまり我々の常識は覆がえされたわけです。
今では、【前の種からDNAが分岐した】と考えるのが普通のようです。

新人と旧人は、同じ原人(最後まで生き残った優秀な種族の優れた個体でしょう)から極めて近い時期か、ほぼ同時期に分岐し、同じ時代を生きていたが、旧人は滅び、新人は生き残って現生人類に至る。そういうことです。

つまり、生物というのは細胞が分裂するように「種が分岐」して誕生し、その種は死滅するかさらに分岐して次の種を生み出すという「生き物の生涯」をマクロに拡大したような循環で進化をするということでしょうか。

これは「多次元宇宙」と似ているなあと思います。
宇宙は並行して無数に存在するという理論です。

スケールがまるで違うというだけで、宇宙も「生まれて」「それが分岐し」「進化して」「さらに次が生まれる」そのサイクルはミクロと同じなのでしょう。消え去ったものもあるでしょうしね。宇宙とか生命とはそういうものなのかも知れませんねぇ。

我々が知っているだけでも数えきれない程の生物種がおりますけども、ヒトという種に相当する宇宙(最も進化した宇宙)とはどういうものなんでしょうか。もしかして我々が存在するこの宇宙がそれなのか。

ホモ・サピエンス~その母親

ミトコンドリアDNAは、母親から子に受け継がれますが、父親から受け継がれることはありません。

ですから、母親の母親、その母の母の母の母の・・という具合にミトコンドリアDNAを追跡調査すれば、どこまでも女系をたどることが出来るわけです。父親の系統は無理だけど、母の系統は遡ることができる。

UCバークレーの研究者グループは、多くの民族を含む147人のミトコンドリアDNA(133種類のミトコンドリアDNA)の塩基配列を解析し、系統樹を作成しました。

その結果、全人類の共通の祖先がアフリカに存在した1人の女性だということが分ります。

その女性が【ミトコンドリア・イブ】です。

(※唯一無二の存在だと誤解されやすいが、そうではなく、系統を遡れたある一つのサンプルと解釈すべきものです)

(※男性にだけ伝わる染色体を遡ると6万年前の”Y染色体アダム”に到達し、これが男性の共通の祖先とされる。しかしY染色体は途切れやすい事もあり、Y染色体アダムも概念に近い存在です)

まあ、「昔は我々の土地だった」とかいう領土問題など笑止だということです。
それを言い出せば、全ての土地は「現生人類のビックマザー」である彼女のものだからです。

そりゃそうでしょう、今地球上にいる我々ヒトは、この「おっ母さん」の子孫なんですから。

この母が存在した国が世界中の領土権を主張してくれば、それが通ってしまうからですな。「昔は・・」が通るならね。

つまり人類が生息する全ての土地は中央アフリカ人のものという理屈になってしまうのです。

学者さんたちの間で主流になっている「アフリカ単一起源説」によりますと、約800~1000万年前にヒマラヤ山脈の造山活動が活発になった影響でアフリカ北部に乾燥した空気が流れ込みサハラ砂漠ができた。

アフリカ東部では大地溝帯が形成されてインド洋からの風を遮断。こうしたことからそれまであった熱帯雨林が急速にサバンナ化。

広葉樹の果実が主食のサルにとって熱帯雨林減少は死活問題。サバンナ化によって広葉樹が激減してしまったのでサルや類人猿はかなりの数が滅びたのではないか。

じりじりと樹木が減っていき、木の枝から枝への「樹上生活」は難しくなる。移動するために木から降りて隣の木まで地上に降りて移動しなきゃならない。

モモンガやムササビなどのように空中を飛ぶといった解決法を選んだ哺乳類もいれば、サルのままでいた種も多かったが、ヒトの祖先は多分そういう手段が選べないほど厳しい環境だったのではないか。

歩いて、立ち上がる。
二足歩行の選択肢しかなかったのかも知れません。

流れを最初から追ってみましても、ヒトの進化はどうも「厳しい環境」が鍵だったと思われるんですよ。数百万年の間ずっとそうです。かなりの近縁種(亜種)が滅びたことでしょうし、それはつまり非常に厳しい危機的な環境だったということです。

生きるか死ぬかの厳しさに直面し、生き延びた種がいる。
それが要するに「分岐」であり進化なんでしょうね。
古い種では環境に耐えられず、適応した機能を持つ新しい種にバトンタッチしたのでしょう。

一部の類人猿は木から降りることで生き延びた。
サバンナで生存率を高めるには「遠くを見れる能力」が有利であったと思われます。

樹木が減れば果実なども減るわけで、そうなれば生き残るために狩猟者になるしかなかったでしょう。肉食が主で、僅かな木の実などは副食にしかならない。

サルのような四つん這いでは草の向こう側が見えないので獲物を狩るにも不利だし、捕食者(肉食獣)に襲われやすい。なので立ち上がって「二足歩行」をするようになった。

立ち上がると必然的に手が使いやすくなり、指先が器用になっていきます。これが脳の発達を促すことになったんでしょう。

二足歩行が、脳を巨大化させて知能を著しく発達させた要因だとされます。【ヒト属】の誕生ですな。

※白亜紀のティラノサウルスが代表的な肉食恐竜は「二足歩行」だったとされていて、ひとつの種が数百万年は存続したと思います。彼らは本当に「脳ナシ」だったのか?

不自然なほど小さな手は事実上「ほとんど何の役にも立たなかっただろう」ということで「恐竜は爬虫類なので脳ナシ」だと片付けられているみたいですね。

しかし「何百万年もの間役に立たない手をそのままにしておく」ことが生物進化上あるんでしょうか?

人類以外に二本足で歩くのは一部の類人猿とダチョウくらいのもので、他は恐竜だけでしょう。こういう面から見つめなおすと面白いですね。

ヒト属は猿人から原人に移行し、やがて更新世(洪積世)後期のリス氷期(12~25万年前)を迎えます。

「氷期」に突入した地球は環境が急変、ヒト属ははこれによって大幅に激減したらしい。まぁ氷期が来るたびにそうなったんでしょうけどね。それまでも。

リス氷期に突入した頃に、新種のホモ・サピエンスが誕生します。我々人類の直接の祖先が現れたのです。約25万年前のこと。

ミンデル氷期(50万年前)の頃に、ホモ・エレクトゥスから古いタイプのホモ・サピエンスに移行しており、これが脳を発達させていた。

そこから新種のホモ・サピエンスが分岐した。
同じ種からネアンデルタール人も分岐。
つまり新人と旧人は共通の祖先から誕生したのです。

氷河期がかぶることが面白いですね。
人類の遺伝的多様性は他の種に比べて小さく、これは非常に小規模な集団から進化した結果であろうとされています。

上に記したように絶滅寸前まで減ったということでしょうかね。
寒さ攻撃に耐えぬいて、鍛えられ、生き残った結果、人類はサルにはない寒冷地での適応を身に付けることができ、同時に衣服や火の使い方も巧くなり知能もさらに進化。地球の隅々まで広がり、今では数十億の人口に。

「ミトコンドリア・イブ」は、こうした大変動期に出てきたお母さんだというわけです。現在地球にいる人類の直系の祖。

イブの子孫たちは、進化した知恵を携えて「外の世界」に出て行くようになりました。5~10万年前のことです。

これを【出アフリカ】といいます。
旧約聖書にあるモーセの『出エジプト』を想わせますが、これに因む呼び方なのでしょう。

たちまちユーラシア大陸の隅々まで広がり、東の果てである日本に来たのは約10万年前。
(すでにホモ亜種が存在していて、その後イブ系が来たのかは微妙なとこです)

※(現在日本で発見されている最古の人類の足跡は前期旧石器の「砂原遺跡」で、約12万年前のもの。通常の学説では5~6万年前に日本に来た人類が最古とされる。この辺は簡単に説明し難いので、次章で整理して書いてみます)

まだ農業というものが存在していませんので、必然的に狩猟で生きていたのでしょうから、動物を追って暮らすしかなく、動物の移動に合わせて人類も拡散したので、数万年という早い期間で世界に広がったのかも知れません。

ネアンデルタール人は非常に現生人類に近く、知能も高くてホモ・サピエンスとあまり変わりなかった様です。4万年前に滅びたか新人に移行したと思われていたわけですけも、先述のように別の種であることが分り、「我々と直接つながりはない」となりました。

ところが最近になって、新人と混血した可能性が出てきたり、数千年前まで存在していたかも知れないなどという説も出て来ました。ヨーロッパで多く発見されるネアンデルタール人ですが、もしかしたらこの種族が日本に来てる可能性もあるかも知れません。

2013年07月28日

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