歴史には様々な区分の仕方がありますね。「歴史学」「地質学」における分け方がその代表でしょう。「年代」というのはだいたいこの二者によって決められてる様ですし。
しかし他にも色々な分類の仕方があります。
極論すれば、人の数だけ分類の仕方があると言えるでしょう。ものの考え方は自由ですからね。
個人であっても「視点によって」、「何を基準にするかによって」、分け方は沢山あるでしょう。
自分などは「日本の歴史は3つに分けられる」と思っています。
「クニの時代」
縄文から室町くらいまでの女性優位時代です。
「イエの時代」
武家が突出しだした「将門~徳川」までと、軍に依拠した昭和初期までと、会社という「イエ」に依拠した時代。
前期、中期、後期です。
「個の時代」
”弧の時代”と読んでもいいと思われる今のことです。
2001年(平成13年)から突入したと考えます。
その象徴は小泉さんの政権です。
現在の日本人の気質や性格は「イエの時代」に出来上がったとみています。
今でも基本的にはこの時代と同じで、それは注意深くみればすぐに分かることです。
会社や役所に対する考え方とか依存度をみれば一目瞭然ですし、女性の立場も相変わらず「子を産むのが仕事」という、「イエの時代特有の思考」からまったく変わっていない。
ところが時代は大きな変換をしていて、既に「個の時代」に入っている。
「はざま」というのは、可視できるようなものではありません。その中にいても気づかないのが普通だと思います。
いきなり「明日から」というものでもなく、±の「しろ」は当然ですからね。
さらに巨視的に見れば、「個の時代」というのは「惑星の時代」へのスタートアップ時期、はざま、間氷期のようなものでしかないと思います。
「地球紀」への滑り出しにすぎないでしょう。
地球紀元年がどれくらい先になるかまったく分かりませんけども、地質年代でみれば一瞬でしかない。
自分は誰で、何処からきたのか
『温故知新』という言葉は形骸化しやすいと思います。
次の二つが相反するからではないでしょうか。
(1)土台がなければ上階は造れない
(2)古いものに拘っていたら新しいものが生まれない
今を生きる人間は、どうしても(2)に傾斜します。
「プロセスより結果」だというわけで、果実は育てるよりも既に収穫されて商品になったものを食べたほうが効率的だからでしょうね。
深く考えれば(1)と(2)は矛盾しないのですが、表面的にはやはり磁極のように反発してしまうかと思います。
自分は、「歴史は自然と同じく循環するもの」という考え方を持っています。つまり、「一定のサイクルで同じことを繰り返す」と思っているわけです。
あるスパンで循環をしつつ、長い年月の末に「変異」が起きる。この変異を我々は「進化」とか「発展」などと解釈しているのではないのでしょうか。
このスパンというのが問題でして、人間の寿命は長くても百年程度なのですが、大きな循環というのは少なくとも千年万年単位で起きているものですから、ある程度「マクロな視点」を持たなきゃ全然見えてきません。
「歴史の大河」という言葉がよく使われますけども、川の中に生息する小魚などは上空から川の流れ全体を俯瞰することができません。
しかし幸いにしてと言うか不幸にしてと言うか、人間には想像力がありますので「地球や太陽系の鳥瞰図」すら作成可能です。これは「その気になれば誰でもマクロな視点を持てる」ということでもありましょう。
億、万、千、百といった異なるスパンの中で、延々と同じことを何度も繰り返し、ある時期に大きな異変が起きる。
自然環境の変化、種の絶滅、種の変異(進化)、破滅的な戦争、こうした大異変が起きて「次にステージ」に移行する。それが「歴史」なんだと思います。
理屈付けはともかくとしまして、【自分は誰で、何処からきたのか】というアイデンティティの根源に思いを馳せる事は誰にでもある筈です。
生き馬の目を抜くような社会で、刹那的に生きていくしかないからこそ、逆に足元を確認してみるということが大切なのではないかと思うんですよ。
和食・日本料理というものを生業にしている自分ですけども、「和食の歴史」よりも、結局はその背景である【日本人とは何なのか】という事に興味が向いてしまうのです。
「どこから来た」のか知らねば、「どこに行く」のかを知ることが出来ない。
世の中にimpatientなモメントが加わっているような気配がする現在だからこそ、遡行して「根っこ」を確かめてみたくなります。
歴史に詳しい方に比べれば、自分などが書くものはまったく幼稚な「雑感」にしかなりませんけども、そのぶん分かりやすく誰でも理解できるように、「簡単明瞭」を意識しつつ、時には妄想も交えながら、我々の「始まり」を眺めて行くとします。
2013年07月27日
Comment
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さすがだよ爺。
お疲れ様です。
またコメしに来ますから。
ほら!黒マル
俺 爺get(笑)
夏メバルが釣れない(T_T)
とりあえず 簡単なコメだけね。
生き物ってのゎ幼少期に本能を開花させる。。
猫 数ヵ月兄弟と生後過ごさねば 狂った猫となる。
人間も 同じように 猟奇的殺人を犯すヤツわ根本的にイカレてるし また 些細な争い事も
爺の記事の通りだね。
クニ?イエ?…
肝心なのゎその次。
そこが滅茶苦茶なのに
経済や学力を重視する風潮。
足元つか 根本的なモンが 欠落。
それがなにか わかってるくせに シカト。
これが自民党。笑
爺 相変わらず良い記事だね。
ォフザケコメを してるつもりゎいっさいがっさいネェのよ。俺。
ただ 眠いm(__)m
すまねぇm(__)m
また改めてコメしに来ます。
Posted by 鯔次郎 at 2013年07月27日 02:21
おつかれさま、鯔さん。
>眠いm(__)m すまねぇm(__)m
それでもコメしてくれるからなぁボラジは(ノ_-。)
律儀な男だねぇ。ま、今更だが(笑)
今の人達は、あまりにも視野が狭窄してんじゃないかと思う。おそらく心に余裕が無いからだろうね。
グラフってのがあるよね。
学生から営業マンなどが日常目にしてるヤツ。
あれは「時間軸」を変えた瞬間まったく別物になる。
それを説明しやすいのは株取引などのチャート
いわゆる「ローソク足」というんだが、その「足」を分単位、時間単位、月単位で切り替えると、まったく違う様相になるんだね。
「分足」しか見ていない者が、いきなり「日足」に切り替えると、何かまったく関係ないモノに見えてしまう。
だが違うモノであるわけがなく、同じモノだ。
たんに「時間軸」が違うだけの話。
時間軸だけの問題ではない。
空間もそうだし他にもある。
我々の「目」は、簡単に錯覚をするのです。
「分足」で見た、感じたものが、事実の全てだと思い込んでしまう。
それが「視野狭窄」なのですよ。
分足は5分足につながっているし、
60分足、日足、週足、月足、年足の一部でしかない。
視野狭窄になるのは、簡単にいうと「勉強嫌いだった」からだ(笑) 嫌な言葉ではあるが教養がないからだろう。
しかし、ではなぜ「東大を出ている」のに視野狭窄の者がいるのかという疑問が出る。
その疑問の答は簡単なことでね、秀才の多くは「想像力を養っていない」からだよ。
分足ばかりではなく、日足、週足を同時に把握できるということは、「全体像を把握する」のと同義と言っていい。
官僚は自分が属する省庁しか見ていないから、「世界の中の日本の位置」が見えない。どんだけ国費を使って外国に行こうが、「基本は省内」なので地球の裏に行っても省益しか頭にない。なので外国生活はまったく税金のムダだよ。
東電幹部やNTT幹部は「村の中」しか見ていないので「ユーザーが見えない」というわけだろう。他にも「社内だけ」しか見てない企業は多い。
どちらにしろ、日本の国民を見ていないのは確かだ。
そして「日本全体の利益」も見えていない。
自分の国を美化して外国をあしざまに罵る連中に至っては、視野狭窄を通り越して「脳の病気」の類だろう。
日本であろうが、他のいかなる国であろうが、「自慢できない知られたくない部分」が必ずあるものだ。
そして「血生臭くて陰惨な過去」が必ずある。
人間は過ちを犯すし、それは全人類の性質だからだ。
そこを他の国が責めるのは国際的なタブーなのだよ。
さもなきゃ国際秩序が崩壊する。
それに触れてもいいのは、唯一「自分の国の場合」のみであって他国のそれは触れてはいけない。
戦後のドイツがお手本だね。
その逆をやるのが「ファシスト」なのだ。
戦前のドイツが典型。
自分の国の欠点を隠して何もかも美化する。
そして他国を責めだして、排斥が始まる。
だから世界中でファシストは忌み嫌われるのだよ。
日本とドイツは似たような立場だったのに、なぜ日本だけがいつまでも特定の国から責められ続けるのか。
それを疑問に思うなら、ドイツがしてきた事を研究してみるのが筋ってもんだろう。
彼らはまず戦犯を徹底的に追求して、ナチズムを法律で完全に禁じた。ナチが仮に巧妙に目を逃れて政治家などになっていたとすれば、ヨーロッパ中の大スキャンダルになる。そして必ず刑務所行きだ。
日本はどうだ?
戦犯の多くが見逃され、政財界の闇に消えてしまい(闇どころか首相になった者さえいるが)、そのせいで「事実上戦前と同じ体制」のままで進んできた。
日本のシステムはその多くが戦争前と同じなのだよ。
戦犯を美化する連中が21世紀になっても存在するのは、そういう背景があるからだ。
ドイツと比べれば、反省していないのは子供にでも分かる。これでどうして「謝罪」が通用すると思えるのか? 反省していればこその謝罪だろう、普通は。
タブーを犯している隣国が存在しようと、「サイコの真似をする者はサイコ」なのであり、非がないと言うのならば堂々と無視をしていればいいことだろう。狂人のような振る舞いが日本の印象をどれだけ落とすかを考えろってこと。
話がソレちまったが(笑)
ようするに、想像力不足が全体像を見えなくする。
これを養う最も簡単で精度の高い方法が、【歴史を全体的につなげて見ていく】ことだろうと思います。
口で言うのは簡単だが、通史というのは途方も無い。
しかしまぁおいらは歴史学者じゃないし逆にそれが強みだろう。
詳細に入っていけば(専門的になりすぎれば)、分のグラフになり、日や週のグラフが消えてしまうからね。
「踏み込み過ぎれば見えなくなる」を教訓にして、できるかぎり単純に書いてみるつもりですよ。
次回をお楽しみに(^_^
Posted by 魚山人 at 2013年07月27日 08:48
クニの時代~イエの時代~個の時代。。。
なるほどね~
「小泉政権」「2001年プラマイ」
《お家》への忠誠が崩壊する時代の始まりですか。。
いくらイエにしがみつくマインドが残ってようが、、、
個の時代はもう始まっていると。。。。。
う~~~~~~m~n 流石というか・・・
イエへの粘着力が失くなったのか
イエに見捨てられたのか
どっちにしても本格化はこれからカモ
興味深いのは《クニの時代中期~後期》
正史が編纂され倭が日本に移行した
5~8世紀あたりが面白いですよね
>鯔さん
>黒マル
(=´`(●) ´`=)ノ-3
Posted by まるこ at 2013年07月27日 20:14
勉強させていただきありがとうございます。一言一言が心に染み渡ります。色々と思い返す事ばかりです。
自分も頑張ろう。這い上がろうと思います。ありがとうございました。
Posted by 鍋洗い歴10年 at 2013年07月28日 00:23
な~にを言ってヤガル爺。
今さら(笑)
眠気にゎなんとか耐えれるだけの余力を残し コメしてます。
さて風呂。
なんすが どうも入る気にならない。
あ
「お疲れ様です」←これ忘れたからだ。(笑)
まいどながら 糞コメに返事コメ
ありがとうございますデスヨ。
がね!!
足足足足足足足足足足…
(*^▽^)/★*☆♪
耳から煙出てるよ今俺。
座標軸を決定し そこにワープなんぞ 俺に出来るかッツーの!!←完全に崩壊。
意味不明(笑)
「足」
単に 足元 を みる。
ことが 出来ないみたいね。
今ゎ。
政治のせいにもしないし
時代のせいにもしないし
…………
でも
誰かの「せい」に するのが得意になったね。
要するに無責任なんだよな。
もちろん♪!!
次 期待してます。
街中プリウス
偽善者だらけ。(笑)
黒マル?
なにか御不満でも?
俺 黒マルにゎ素直なコメ書いてるつもりなんだがダメ??
あ そう。なるほど。
が
俺みたいのも多数イルッチャ居るのよ(笑)
ゴメンね♪
Posted by 鯔次郎 at 2013年07月28日 02:06
鍋洗さん
こちらこそありがとうございます。
こんな偏狭で過疎なブログに、ありがたきお言葉。
感謝いたします。
鯔さん
なにやら写真を送ってもらったが・・・
生々しい傷跡って・・あのね(~_~;
まぁいいや。ありがとう。
選挙が終わるたびに思うことがあります。
「口を噤んだらおこぼれを頂戴できるだろう」
「余計なことは、見ざる、言わざる、聞かざる」
「黙っていたほうが利口というもの」
「長いものには巻かれろだな」
「モノを深く考えたら損をする」
この国の有権者はそれを基準に投票する。
「分け前をよこせ」だけが動機なんだろう。
「誇りを持てる国にしよう」という動機はない。
「みかえり」を期待できない者は棄権して無投票。
民度が低すぎると言えばそれまでだが。
「金の成る木」と「打ち出の小槌」を持つ者に票を投じるのは、きわめて原始的かつ人間的な行動だろうね。
イエの時代まではそれで良かったのかも知れない。
しかし潮目はあきらかに変わった。
潮流の速度も違うものになるだろう。
それに気付けない者は溺れていくのかも知れないね。
Posted by 魚山人 at 2013年07月28日 05:14