日本人とは何なのか~日本人とニホンの歴史(1)  

無史灯

現在見られる和食の原型とか日本料理の姿が定まったのは、鎌倉後期から室町時代にかけてのことです。

「食は文化なり」とはよく言ったもので、この時期には現在まで残る様々な日本の文化が花開いてます。

「食」について色々調べておりますとね、必ずといってよい程「食は結局ヒトなんだなぁ」という感慨が深まるんですよ。

「北条政子は面白いよなぁ。この尼将軍ってどんな食事をしてたんだろう? 政子をみてると応仁の乱が頭に出てくる。応仁といえば持統天皇。何を食べてたのかな。持統といえば伊勢神宮。神宮というと天照。こりゃどうしても卑弥呼が浮かんでくるが、彼女は何を食ってたのか。っていうか稲作になる前の縄文さん達は何を食っていたのか・・・・」

なにやら女性ばかりを追っているようですが(^_^;)
そうではありません。戦国時代に入るまでの日本は女性が目立つからですな。

女性の権利がなくなってしまったのは家父長制が固まった後の時代からです。それまでの日本は男女同権というか、女性の方がある意味地位が高い場合が多い。

その事は古墳時代から延々と続く「宮廷の偉いさんの正装やら髪型」から平民の女房達の強さ。万葉集とかの「女流風の文化」などに垣間見えるんですな。「記紀」に記されている神話から一貫してそうです。

 

クニの時代~イエの時代~個の時代

歴史には様々な区分の仕方がありますね。「歴史学」「地質学」における分け方がその代表でしょう。「年代」というのはだいたいこの二者によって決められてる様ですし。

しかし他にも色々な分類の仕方があります。
極論すれば、人の数だけ分類の仕方があると言えるでしょう。ものの考え方は自由ですからね。

個人であっても「視点によって」、「何を基準にするかによって」、分け方は沢山あるでしょう。

自分などは「日本の歴史は3つに分けられる」と思っています。

クニの時代
縄文から室町くらいまでの女性優位時代です。

イエの時代
武家が突出しだした「将門~徳川」までと、軍に依拠した昭和初期までと、会社という「イエ」に依拠した時代。 前期、中期、後期です。

個の時代
”弧の時代”と読んでもいいと思われる今のことです。
2001年(平成13年)から突入したと考えます。
その象徴は小泉さんの政権です。

現在の日本人の気質や性格は「イエの時代」に出来上がったとみています。
今でも基本的にはこの時代と同じで、それは注意深くみればすぐに分かることです。
会社や役所に対する考え方とか依存度をみれば一目瞭然ですし、女性の立場も相変わらず「子を産むのが仕事」という、「イエの時代特有の思考」からまったく変わっていない。

ところが時代は大きな変換をしていて、既に「個の時代」に入っている。
「はざま」というのは、可視できるようなものではありません。その中にいても気づかないのが普通だと思います。

いきなり「明日から」というものでもなく、±の「しろ」は当然ですからね。

さらに巨視的に見れば、「個の時代」というのは「惑星の時代」へのスタートアップ時期、はざま、間氷期のようなものでしかないと思います。

「地球紀」への滑り出しにすぎないでしょう。
地球紀元年がどれくらい先になるかまったく分かりませんけども、地質年代でみれば一瞬でしかない。

自分は誰で、何処からきたのか

『温故知新』という言葉は形骸化しやすいと思います。
次の二つが相反するからではないでしょうか。

(1)土台がなければ上階は造れない
(2)古いものに拘っていたら新しいものが生まれない

今を生きる人間は、どうしても(2)に傾斜します。
「プロセスより結果」だというわけで、果実は育てるよりも既に収穫されて商品になったものを食べたほうが効率的だからでしょうね。

深く考えれば(1)と(2)は矛盾しないのですが、表面的にはやはり磁極のように反発してしまうかと思います。

自分は、「歴史は自然と同じく循環するもの」という考え方を持っています。つまり、「一定のサイクルで同じことを繰り返す」と思っているわけです。

あるスパンで循環をしつつ、長い年月の末に「変異」が起きる。この変異を我々は「進化」とか「発展」などと解釈しているのではないのでしょうか。

このスパンというのが問題でして、人間の寿命は長くても百年程度なのですが、大きな循環というのは少なくとも千年万年単位で起きているものですから、ある程度「マクロな視点」を持たなきゃ全然見えてきません。

「歴史の大河」という言葉がよく使われますけども、川の中に生息する小魚などは上空から川の流れ全体を俯瞰することができません。

しかし幸いにしてと言うか不幸にしてと言うか、人間には想像力がありますので「地球や太陽系の鳥瞰図」すら作成可能です。これは「その気になれば誰でもマクロな視点を持てる」ということでもありましょう。

億、万、千、百といった異なるスパンの中で、延々と同じことを何度も繰り返し、ある時期に大きな異変が起きる。 自然環境の変化、種の絶滅、種の変異(進化)、破滅的な戦争、こうした大異変が起きて「次にステージ」に移行する。それが「歴史」なんだと思います。

理屈付けはともかくとしまして、【自分は誰で、何処からきたのか】というアイデンティティの根源に思いを馳せる事は誰にでもある筈です。

生き馬の目を抜くような社会で、刹那的に生きていくしかないからこそ、逆に足元を確認してみるということが大切なのではないかと思うんですよ。

和食・日本料理というものを生業にしている自分ですけども、「和食の歴史」よりも、結局はその背景である【日本人とは何なのか】という事に興味が向いてしまうのです。

「どこから来た」のか知らねば、「どこに行く」のかを知ることが出来ない。
世の中にimpatientなモメントが加わっているような気配がする現在だからこそ、遡行して「根っこ」を確かめてみたくなります。

歴史に詳しい方に比べれば、自分などが書くものはまったく幼稚な「雑感」にしかなりませんけども、そのぶん分かりやすく誰でも理解できるように、「簡単明瞭」を意識しつつ、時には妄想も交えながら、我々の「始まり」を眺めて行くとします。

2013年07月27日

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