【料理の極限】その果ての光、あるいは闇 


【料理の極限】その果ての光、あるいは闇

以前、『パフューム』なる映画を観ました。

舞台は18世紀のパリ。
「人類に一人」とされる嗅覚を持つ男の物語です。
孤児でありながらなるべくして調香師になった男は『究極の香水』にとり憑かれている。
そしてそれを造り出してしまう・・・
そういうお話。

自分は映画の冒頭から引き込まれました。
監督のセンスを感じたからです。

18世紀のパリは「悪臭の街」、臭くてたまらない場所。
道を歩けば靴は「糞だらけ」だったはずです。

馬など動物の糞だけではない。
なにしろ窓から「便器の中身」を道に捨てるのが当たり前。

ベルサイユにさえ「水洗トイレ」はなし。
その何千年も前のインドや南米の都市には水洗トイレがあった。

いかに偏狭したキリスト教一辺倒が暗黒の中世ヨーロッパを支配していたか。その一端を感じさせる話ですな。

この監督はそのディテールを避けて通らない。
世界一臭い街で一番臭い所「パリの魚市場」

その描写が見事。
魚や家畜の臓物。それらの映像を並べて画面から臭気が漂う。

「この監督はまったく偽善の視点がない」
「下手なヒューマニズムよりも大事なことを理解している」

そう思いました。




この時代において「人権」や「人の命」がいかに軽いか。
それを完璧に表現しています。


だがテーマはそれではない。

「究極の香水」がテーマです。

現実離れした、あるいは「もしかしたら有るかも」という結末は実際に見て頂く他はありません。


パフューム ある人殺しの物語


この『パフューム』が暫くの間頭から消えませんでした。

その理由は料理との共通点です。
香水は「鼻」
料理は「舌」
違いは多分それだけではないか。

暫く色々考えていました。
「何か」が頭に引っかかっていたのです。

今じっくりと読んでいる本
『モダニスト・キュイジーヌ 料理のアートと科学』からか?

どうも違う。

そして突然思い出しました。

やはり本。
しかもこれもマルちゃんからの本。

「この世のものとは思えない傑作だから読んでみて」

そう言ってわざわざ持ってきてくれた本です。
何年くらい前かは忘れましたが。

人間とは思えぬ謎の料理人が繰り広げる不思議な物語。
『料理人』


『料理人』 ハリー・クレッシング著(ハヤカワ文庫)


このハリー・クレッシングなる作者は誰なのかまったく分からないとの事。
作品もこれ1作だけ。
内容から察するにプロのコックか料理研究家としか思えません。
そのうえプロの作家に負けない超ブラックな筆致。

『パフューム』と『料理人』の共通点。
両者ともに主人公が狂気的なまでに「自分の事しか考えてない」という事。

いや、目的のためなら自分さえもどうでもいい。

究極の香水に究極の料理。
それしか頭になく、その目的達成のためなら犠牲など関係なし。

おそらく真性の天才はこういうものでしょう。


芝居めいたエセヒューマニズムは欠片もない。
そもそも「人間性」があるのかどうかも疑わしい。

だが、考えてみれば「人間性」とは何でしょうか?

頭の中で鐘のように鳴り響きます。

芝居めいたエセヒューマニズム
芝居めいたエセヒューマニズム
芝居めいたエセヒューマニズム

たとえば「健康」とか「禁煙」
たとえば「環境保護」「動物保護」
おせっかいとしか言いようのない「規制」や「法律」

「アフリカで飢えている子供を助けませんか」
そう訴える文章を読むと、現実とは違う矛盾や誇張が書いてある。

「親切」の押し売りから産み落とされるモノ
それは虚勢された挙句「ニヒリズム」に走る若者の群れ。



少し話がズレたようです。
『パフューム』の調香師
観てるだけで究極の匂いがしてくる。

『料理人』のコック
読んでいるだけでヨダレが出て食いたくなる。

それはいったい何故なのか?

秋なればこそ、考えてみるのも面白いかも知れませんよ。

2011年09月17日

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