食材への贖罪  

食材への贖罪

究極の食べ物とは何か。
それは誰でも食べられます。

究極の食物は乳児期の母乳。
美味の究極は餓死寸前に食べる糖類です。

それ以上のものは無いでしょう。
グルメなどはコミックでしかありません。



人間の弱点は理想と現実の狭間で思考を停止してしまう事でしょうか。
そうしないと現実の世で生活できないのも事実です。

しかし現実の世界を広く知ろうとする姿勢を失くせば短絡な思考が習い性になり、何を語ってもそれは浅薄そのもの。人間を篤くする事はできません。

食物、そして料理というのはいったい何であるのか。


 


食べ物は人の口に入る最終段階。
ですので美味しく加工して人の口を楽しませるのが料理する人の仕事になりましょうか。

したがって知識を広めるといっても調理技術や食品の産地、どこそこの産のアレは旨いだの、あの品は超レア物だといった範囲に止まります。また普通はそれで充分ですし、調理技術や食材のみでも範囲が広すぎてナカナカって按配でしょう。

答の出ない哲学的な思索はまったく無意味と言えるのかも知れません。例えば自分が扱っている食べ物。その「食の原罪」などを考える事は生産性のない非合理なことかも知れません。

しかしじゃあその「合理性」ってのはいったい何です? 
生産現場においては機械の歯車(最近はロボット化と言いますな)、そして消費する立場としては大量飼育の家畜。

そんな合理化に満足して生涯を終える。
その様な人生にどんな意味があるってんですかね。


捕鯨は日本のお家芸で鯨食は日本の文化でした。
なぜ「文化」か。それは「食べる事は罪」って事を深く理解していたからですよ。

生き物の命を奪う。それを喰らう。それは動物としては自然な行為だが人としては「罪」である。だから贖罪に鯨に感謝し慈しみ、仏の元へ成仏させる、人と同じようにね。その表れが日本各地の鯨漁港周辺にある「鯨墓」なのです。

捕鯨に関してはもうあまり言う事もございません。
理不尽を呑んでしまった日本の敗北です。
「負け犬の・・・」ですからね。

しかし「反捕鯨」を唱える保護団体の横暴さもさることながら、一様に捕鯨に不快感を表明する欧米人にゃ納まりませんな。確かに絶滅させてはいけないとは思う。保護はすべきでしょう。しかし感情が先立ち理屈がまったく通用しないのですよ鯨類に関してはね。そして僅かな期間で日本人の関心も消え、文化もあっさり消えた。

そこで欧米人の食、その生産現場をつぶさに見たいと思った。
それを完全に叶えてくれた記録映画があります。

おいら的には過去の見聞ですでに知っている事ばかりの内容ですが、その撮影技術に驚き、「名作」だと感じました。それに多くの人はおそらく初見でショッキングな内容だと思うし、多くの人が知っておかねばならない話でもあると思いました。このブログでは初めての試みになりますがレビューです。


【いのちの食べかた】
2005年ドイツ
監督・撮影 ニコラウス・ゲイハルター
日本では2007年11月から2008年にかけて公開

食の生産現場は一般の人は勿論ですが、食べ物を販売している者にとっても縁が遠いのが現代の姿です。分業化が文明の極み。要するに「見えない」のですよ。その仕事に携る人以外にはまったく分からない。

これは特に食に限った話ではありませんで、現代は大概の物は生産現場が見えません。しかしこれは断言できますが、携帯やTVの生産現場を見たいと思う人はあまりいないが、食品の生産現場には興味津々ってのが人間でしょう。

当たり前ですな、ある意味で。
自分が毎日食べてる物です。
食品関係者でなくても見たくなる。

この【いのちの食べかた】は主に欧米の生産現場を撮ったものですが、肉や魚の生産ライン、処理の仕方は規模など細かな違いはあっても内容はほぼ日本の生産現場と同じです。

農産物には生物化学戦争用の防護服みたいなやつで(そんだけ猛毒って意味でしょうな)身を固めて機械的に農薬を撒く姿。戦闘機のコックピットの様な農薬散布車の運転席に座り四方に地平線のある広大過ぎる農地に黙々と農薬を散布。ラインの途中で巨大プールを流れる大量のリンゴ。サーモンの腹を裂き、内臓を抜くロボット。

肉は、種付け、去勢、帝王切開、そして屠殺シーンと解体作業。どれもこれもラインの流れ作業ですが、グロに弱い方は見ないほうが無難でしょう。『血の池』ってのは実は仏教の地獄ではなく、現代の工場にあるって事です。


この映画は効果音もBGMも解説も、意味のあるセリフもほぼ無し。
肉が、魚が、野菜が、ただ生産ラインに乗って行くカットが延々と続き、合間に生産作業者達が頬張るランチのシーンが挟まるのみ。なぜか誰も美味そうに食っていないのが印象的です。

鶏卵・キュウリ・パプリカ・アーモンド・ホワイトアスパラガス・乳牛・岩塩などの生産現場が画面を流れ去り、その画像だけで主張せんとする監督の言いたい事が奇妙によく理解できる。

秀逸はゴッホの絵画、クロサワの「夢」を彷彿させる幻想的に美しいヒマワリ畑にヒマワリ色した飛行機が現れて農薬を散布するシーン。

ヒマワリと対をなしていた青い空が薬で陰って暗い色になる。このシーンに音や説明などがあったら邪魔にしかならず、見る者のイマジネーションを損なうでしょう。

「なるほどなぁ」そう思いました。機械の音、家畜の鳴き声などの臨場音以外は入れない事で成功していますね。

これを観た人の感想は概ねこうなりましょうか。
「考えさせられる内容だった」

そして一定時間経過後、
「でも考えたってどうにもならんでしょう」

まあこんな感じになると思います。
まさにその反応が正解です。

「考えさせられ」  これは罪の自覚です。
「どうにもならん」 つまり思考停止でして、

これが人に課せられた罰ですな。

機械文明から逃げる事が出来ず、考えるのをやめてしまった姿は、この映画に登場する家畜達とどう違いましょうか。

ヒトの真実の姿は家畜と何も変わらない
これが食の原罪を持つ人間に与えられた罰なのかも知れない。


懸念すべきは、「考えさせられ」どころか「気持ち悪い」として菜食主義になってみたり、過激な思想に走り食品工場にテロしてみたり、そこまでではなくとも牧場の家畜を逃がそうとしたりといった行動に出る者がいるかもって事。

それでは自らの非を省みずに日本の捕鯨を責める欧米人と同じ。あまりに短絡的で子供の発想ですな。そんな事をしても何も変わりません。

問題はそんな幼稚なものではありません。

我々は全て「生産ライン」の上を流れているのです。
文明が続くかぎりこのラインを止める事はできません。
重要な事は「貧者のライン」が存在しない世界の姿。

では観ても仕方がない映画なんじゃないか。確かに考えてもしょうがないのであればみる意味は無いと言えましょう。

でもね、少なくともこれを観ていない方と食べ物に関するつっこんだ本当の話はできない。本にすればハードカバー何冊分もの内容になるこのドキュメント。

食品の事を語るならこれを観てからにして欲しい。
そう思いました。

いのちの食べかた ニコラウス・ゲイハルター

2009年08月19日

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