右の物を左に動かす  

右の物を左に動かす

2010年も残り僅か。
今年もあっという間でした。

短いながらも様々な事が起こり、それは概ねこの国の脆弱性を顕わにする事象ばかり。現実の世界から乖離してしまった感がある現代日本人といえど、さすがに垂れ込める暗雲に否応無く気付いた人が多かった事でありましょう。

難しく感じる方の為に簡単に書き直しますと、アタマはゲーム空間や低俗テレビ番組に直結したバーチャル脳ミソ。しかしその脳ミソから否応無く目が覚める時期が来たという事。

国際社会は競争の原理で動いており、それは戦争を続けているのに等しい。だから「戦う意志の無い者」は脱落して敗者になるしかない。そのような国際社会の一員である以上、その戦いの原理は国単位でも適応される。日本国内でも当然ながら「戦い=努力」を続けなきゃ生き残れないシステムが本来の姿。

だが、何故かこの国の親たちは子の世代に「戦い方」を伝えない。
「現実離れしたホンワリ」ばかりを子に与え続けてきた。

馬鹿なテレビを筆頭に、マスコミの在り方も拍車をかける。

若者は絶対に甘やかすべきではないが、それが分からぬ。
現実の戦争を見ずして「平和主義」など実現しない。

「平和国家」とは若者を甘やかす国ではない。
そこを誤解したままで日本は流されてきました。


「育て方」を間違えると、どうなるか。

「アジアはダサイ。貧乏臭いし」
「ついでに日本もダサイ」
「やっぱアメリカやヨーロッパでしょう」

「カッタリィ仕事なんてしてらんない」
「楽して儲ける方法はないか。なけりゃ親の年金でもいいや」
「とにかく勤めるのはメンドクセェし」

甘えて育つと人間の根っこが腐っていくという典型ですな。

このような国民を増殖させる結果になりますし、なっております。

ここまでになると、既に自己のアイデンティティーは崩壊してると言っていい。
もはや自分がどこの誰かも分かるまい。

バーチャル空間に自分の存在はあり、「現実」との接点が薄れていくのみ。そんなモンが世の中とまともに対峙できるわけがない。

そして、それでいつまでも暮らしが立つほど甘いものではない。




今の日本国は何かを外国に売らねば成立しません。
比率からすれば少数派の「輸出企業群」が、国民全員の「メシ」を賄っている構造になっています。では輸出企業ではない大多数は何をしているのかというと、非効率極まるシステムつまり「ぬるま湯」の中で分け前を要求するだけ。これは「タカリの構造」かも知れない。

まあ、「いびつ」な構造ですな。
今問題になっている「少子高齢化」は実は半世紀前から延々と続いておるわけです。「少子」を「輸出企業」に置き換えればね。

しかし先に書いた様に日本人は異様に子に甘い。
「若者に甘い」と言うべきなのか。

ともかくその親に育てられた者は誰も戦い方を知らぬし、戦いなどダサイという人間ばかり。その結果「戦士」である商社マンなどは減少し、「ぬるま湯組」の発言力が強まり、テレビの番組は早くからそういった人種で埋め尽くされている。

マスコミは肥大した縦割り行政の面々と同じく「タカリの親玉」と言ってよい存在と化し、そんな組織に厳しい現実を説く資格は無いし、説けもしない。

極論すれば「真面目に働いていない奴ほどカッコイイ」
そういう国家になってしまい、それが数十年続いておったのです。

ところが今年は為替市場に単独介入するほどの円高に。
ダサイはずのアジア。その代表格中国は日本を抜き世界二位の経済大国に。
就職活動の若者は仕事が見つからぬ事実に愕然。
30代40代、いや20代ですら職の安定に不安感を持つ。

これらの事象の背景は全部「ひとつながり」になっているんですが、それは多分ぬるま湯環境で育ってきた者には見えんでしょう。


「ヒモばかりになった街。その街から女が消えたらどうなるか」
そういう事なんですよ。

なぜヒモばかりになったのか。
なぜ女は逃げ出すのか。

それを考えればこの国の問題点はすべてクリアに見えます。


分からぬながらも「何か厳しい空気」を感じ、マスコミがリードして作ってきた「ふわふわの雰囲気」が、実は大ウソだった事を薄々感じる者が増えた1年でしょう。


さらにはこのタイミングで中国は軍事的圧力をかけてくる。
あの国は日本の国内事情を徹底的に研究しているんでしょうな。日本の弱い部分を知り尽くしており、折を見て北京の権力闘争にも日本を駒としてうまく利用してくる狡猾さがあります。

自国内の「反日」を煽っておきなながら、日本国内での「反中ムード」は許せないという傲岸不遜な威張りくさった態度の中国政府。

こんな理不尽さにすら対応する術がないほど日本は弱いのか。

とんでもない話ですな、対応する方法は幾らでもあるし、ギャフンと言わせる手段も多いんですよ。

だが悲しいかな日本国民はぬるま湯の中で目が見えなくなり、議会制民主主義でありながら、まず政治家を選べない。選ぶ方法も知らぬし、選ぶ基準もアヤフヤか皆無。

さらにマスコミにいい様に踊らされてるいる事実が分からない。
したがって「何者か分からないボンクラ」が国会義堂を独占する結果になる。

今の政権の迷走ぶりを笑える資格が国民にあるのか。
そういう事でしょうな。

民主党政権の不様な体たらくと下らぬ文句をつけるしか能がない自民党。
あれが我々日本国民の姿なのですよ。


しかしね、「もう笑って見ている余裕は無い」
それに気付いた国民がこの1年で増えたのではないか。

現実を直視するしかない。
まずはそこから始ると分かってきたんじゃないかな。

まぁ大部分は食いつぶす「スネ」がまだ残っており、そいつをガリガリ齧りながら現実から逃れているんでしょうがね。だが、いつかスネはただの白骨となり、収入は完全に途絶える。つまり最後は誰も甘やかしてくれる人間はいなくなるんですよ。


いざ荒波に立ち向かおうと一念発起。
だがどうすればいいのか。

今まではめんどくさい現実と向き合わなくてもなんとなく生活してこれた。繭に包まれていたからです。

そんな人種を雇う企業は躊躇するでしょう。
「どうせ使いものにはならん」
「なったとしても簡単にやめていく」

今は中途採用でも新卒でもこの手の危惧は変らない。


「ホンネを言えば真面目なアジア人を使いたい」
「日本人はもう駄目だ。とくに男子は使えない」

これはある企業の人事担当者から直接聞いた話です。

さすがにおいらは問いかけてみました。
「なぜです?」

そしたらね、

「頭は悪くないがその使い方を知らないし、体は動かない」
「積極性がアジア人の若者に比してゼロに等しい」
「男は特にその傾向が強い。草食系ってわけなんだろうね」

う~んと唸ったおいらは自分の店やら、業界の厨房に立つ若者達を思い浮かべてしまいました。思い当たるフシがあったからです。

※「とくに男子が」というのは即座に理解できます。
上に書いている「甘やかし大国日本」ではね、女子を甘やかす傾向がある父親の権限が弱く、息子に甘い母の力が強いからでしょう。つまり男子の方がより甘やかされている結果そうなるのでしょう。

一番大切なことが欠落してる気がしていたんですよ。
それはね、【手を動かす】ということです。

おいら達が若い衆だった頃は勤務時間であろうがなかろうが、「ボーっと突ったっている」事は絶対にありえない事でした。

必ず手を動かしている。それが当たり前なんですよ。
仕事中、手を動かしていない「間」には耐えられない。

ところが今の子はそれが平気らしいのです。
どうも指示されなきゃ動けない様だ。

仕事は上司に指示されて動けばいいというものではない。

仕事というのはね、キリが無いほどいっぱいある。
それはボケーってしてれば見つからない。気がつかない。

『自分で見つける・自分で気付く・自分でそれをやる』
それができなきゃ、成長などしません。


まな板の前に何億円もするロボットがいたとしましょう。
そのロボットは寿司を握るようにインプットされている。
人間の10倍のスピードで握る性能を持っている。

けどね、店の営業は寿司を握ってる時間など僅かなもの。

ネタを仕込み、カウンター内にネタを配置し、シャリの準備をする。いざ客の前で握り始めた時に「あれが無い、アレはどこ行った」などとうろたえないようにしておく為の準備は数え切れない程ある。

細かい事で気付き難いが、それが積み重なって売上を左右するんです。

ただ握るだけのガラクタなど、おいらなら次の日にお払い箱にします。
ロボットなど必要ではない。

いるのは「人間」なのです。

ピークを迎えた時に商品がスムーズに出る様に準備ができる『想像力を持って動ける者』が必要なんですよ。



「どんな準備をすればいいのか分からない」
「言われた仕事はやったし、他にする事が見つからない」

それならね、
まず目の前にある「何か」を右から左に移動させればいいんです。

左にやったら今度は右に。

手を動かしていれば見えてくるんです。色々なものが。

この先何が起きるのかを考えるきっかけになる。
うすらぼけ~っとしていては、何も始らないんですよ。

それは会社の為の行動でもあるが、それよりも自分自身の財産になるという事を知ってなきゃいけません。 仕事ができる人間というのはそういうことなんです。

東大を出たという「ハク」よりも、先を読んで手を動かせる人物の方が使えるに決まっている。僅かな期間で会社に役立つ企画立案をするでしょうからね。

どんな不景気な世になろうと、そのような人材は喉から手が出るほど欲しい。それが企業というものなんです。独立するにしたってそのセンスがなければ先々安定した収入を得る事はできません。

職場には眼のある人間が必ず一人二人はいるもんでね、役に立つ者をちゃんと見分けております。動きの良い者を見落としたりはしません。

職場に限らず見ている人は必ずどこかにいるんです。

そういう人々は「向上心をもって動ける人」を記憶に留めているんですよ。忘れる事はない。それは先々「仕事に困ることはない」という事につながっていくんです。つまり「動く事」がその人の財産になっている訳ですね。


いくら想像力が欠乏したバブル育ちの親であっても、子供を甘やかして育てる事がどういう結果を招くのか、今年起きた老いた親の年金をあてにする事例の多発とか、景気の不透明さにより日本人の若者の採用を嫌がる企業が出てきた事実を受けて少しは目が覚めたのではないでしょうかね。

それは何となく分かったが、どうやって我が子に厳しくすればよいのか分からない。そもそも躾の方法もよく分からない。

残念だがこの手の方々もかなり多い様ですな。
だからこそ「躾」と称した馬鹿な虐待事件などが起きる。

そもそも物事がよく理解できぬ三つ子にあれこれ教え込もうとするのは愚かなことなんですよ。我が子の適正すら分からぬ時期に英才教育など馬鹿げている。

子が幼少の頃は親が手本になるような生き方をすればそれでよい。
親が「まとも」になる事こそが一番の幼児教育

勉強机を持つ年齢になれば、それ以降は「よけいな手助けをしない」こと。これに尽きるでしょう。

いくら天才的に勉強ができる子であれ、自分の机や部屋を自分で片付ける事ができぬ人間はね、ろくなもんじゃねぇ。

勉強にしろスポーツにしろ何でもいいが、本物の適正を持っていればその子は自分で勝手にその道に進んでいきます。放っておいてもそうなる。その逆に適正がなければ親がいくら押し付けても無駄。

親にできる事、親の義務。
それは人間の基本を叩き込む事です。

創造を生み出す基礎。「手の使い方」ですな。
手を動かすのは脳を鍛え自分を磨く第一歩なんです。

少なくとも学校を出る年齢になっても自分の机の上さえ整理整頓できぬ子にはしない事です。何気なく「子供部屋の掃除」をしてなさる事でしょうが、それが将来どういう結果を招くのかを真剣に考えるべきでしょう。

できる事は自分でさせるのが教育なんですよ。



これからでも決して遅くはない。

まず手を出して右にあるものを左へ動かす。

とくに頭で考える必要はない。

文句を言う口を閉じ、そのかわり手を動かす。


それが元々日本人の「血」です。
だからこそ、我々は世界から抜きん出てていた。

それをそろそろ思い出す頃合でしょう。


2010年11月25日

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