板前の晩年  

板前の晩年

十条まで所要がありまして、久しぶりにこの界隈を訪ねました。
「変わんないねここら辺は」
「いやそれでも多少変わったのかな、池袋がアレだし」

用事を手早く切り上げ、商店街を歩いてみます。
商品の安さに目を回しながら、いろんな店をひやかして歩く。
やはり都内でも名高い商店街だけの事はあり、活気がある。

雪枯れ

美味そうなスイーツ屋さんの前で足を止め、ハイカラな菓子をジロジロ見てましたら、綺麗なおねぇちゃんに声をかけられました。

「何かお気に入りがありましたぁ、お兄さん」
「いや、お兄さんってアンタ、おいらそんな歳じゃねぇ」(~_~;)

お兄ちゃんって呼びかけは商売慣れした人の慣用語でもって特別な意味などありません。

そんなもん慣れてるはずなのに何故か照れてしまいシドロモドロ(^_^;)

雰囲気のある女性であり、かつ、いい歳をしたオヤジがケーキなどをしつこく見回していたシチュエーションが一瞬ドロドロになった誘引でしょうかね。

それプラス、心の芯に「実年齢より10歳は若く見えるはずだ」っていう《のぼせ》があるんでしょうな。見苦しくもあり恥ずかしいこってす。馬鹿ですわ。

怪しまれないうちにそこを引き上げ、帰る事にしました。




車を置いた場所の寸前で長い踏み切りにひっかかり、街の風景、警笛の音、電車の音、人々の顔、そんなもんを見るともなしに見ておりましたら、突然昔馴染みの顔が頭に浮かびました。

若い時に数年間一緒に仕事をした寿司職人です。

そういえばあいつとは長いこと会ってない。
確かこのあたりに居たはずだが、う~ん、思い出せねぇ。

その男は新宿で10年、世田谷かどっかで4~5年、そんな感じで、自分の店は持つことなく、流れ歩いていた奴です。昔は銀座でも3年ばかり働いていたはずです。奴とは言っても年齢的には向こうが上になりますが。

なぜこんな場所で突然そいつが頭に浮かんだのか、それがとても気になり、所在を知ってそうな仲間へ携帯で連絡をとりました。

うまい具合に今勤めている店が分かりました。
どうやら中規模のチェーン店に籍を置いているらしい。

その会社名を聞いて少し眉をひそめる。
奴はおいらよりも10くらい年上、その歳になってあのチェーン店にいるなら、きっと切ない立場になっているに違いないという予感がしたからです。

「このご時世だ、難しいことになってなきゃいいんだが」
そう思いつつ、場所はどうせ帰り道の途中。
のぞいてみる事にしました。

まぁ、巣鴨だか茗荷谷だか、
そんな様なところです。違うかも知れませんが。

店に入ると、内装は今風、板前達は元気がいい。

しかし一般の方には「元気よく」聞こえる声も、おいらの耳にゃ「なげやり」に聞こえます。カウンターに座り、板のツラを見れば一目瞭然。「疲労」を隠しきれてません。「かわいそうに、やられてるなココも」そう感じる。

「悪循環スパイラル」です。
日本がおかれてるデフレの状況とそっくりな奴です。
売上が減る
人を減らす
するとよけいに売上が下がる
また減らす
サービスの質が劣悪になり、ますます客は来なくなる
そのしわ寄せはすべて従業員の負担になる
ってことですな。

長居は無用。彼の事を訪ねてみました。
「今休んでます」
「定休日かな?」
「いえ、病気らしくて」
そこで店長を呼んで詳しい話を聞きました。

入院らしいので病院を聞き、行ってみることに。
やっとこさ本人に会えました。

予想していたよりも元気。
「癌じゃなくてただの潰瘍だったよ。切ったらすっきりした」
「何しに来たのよ突然魚ちゃんは、驚くだろうがよアホ」
そう言って笑う。
豪快な笑い。
この性格ゆえにおいらは年上でも奴と呼ぶのです。

「10年もツラ出さないで何入院なんかしてんだよアンタ。相変わらず横着な奴だねまったく、ろくでもねぇ」
「で、いつ頃治る?、治ったらどうする?戻れるのか会社に」

「一週間で出られる。会社には戻れないみたいだね。五年もいたんだが」

「なんでだ」

「代わりの板を入れたって言ってた。戻る場所はないらしい」

「ひでぇ話だねぇ、ったく。ひでぇ会社だ」


ですけどね、こんな話はいくらでもあるんですよ。

この男は失業保険が出るだろうからまだ良い方です。
こうした高齢の板前の多くは切られたらそれで終わりです。

板前ってのは離婚率が高い。
特に雇われで点々と店を移る板ってのはそれこそ半分以上離婚している。
飲む打つ買うで自業自得な面はあるが、労働環境も一因でしょう。

去年一年で見知ってる板前が4人「孤独死」しました。
店に出てこないので行ってみると亡くなっているってパターンですな。
勤める店もなく、人知れず亡くなった「元板」はどれくらいになることか。


なんて仕事なんだろうなぁ。
これじゃますます若い板前志願は減るだろう。と思う。

外食のほとんどは企業基盤が脆い。つまり低資本。
長く従業員の面倒をみる余裕はないのが実情です。

あとは独立して自分の店を持つ方法があるが、はっきり言って博打。
誰もが軌道に乗せれるわけではありませんからね。

「どうせ年金も出ねぇんだろうし、まだ働かなきゃいけねぇんだろ?」
「どっかあったら頼んどくから、とにかく体を治してよ」

そう言って病院は出たものの、
二人とも腹の中じゃ分かっております。

「無理だ」ってね。


正確に言えば「板前としては無理」ってことですな。

まだ素人の方が仕事はある。皿洗いでも何でも出来るんでね。
年季の入ったいっぱしの板前にはそれなりの「手間」を払う必要がある。
なので高齢の板は敬遠されるんですよ、何処の店でもね。
長年そこにいりゃ話は違うが「新規」は難しい。

おそらく何処に頼んでも色よい返事は無いでしょう。



駐車場で車に入り、しばし胸が切なさに軋みます。
うすら寒そうな東京の空は何故か晴れ渡っている。

今年は関東平野にだけ雪が降らない。
目を細めて蒼穹を見ようとすると、ぼやけているのでやはり東京の空。

自然に言葉が口をつく。
「この街にゃ、もう雪さえも降らねぇかも知れないね」



二段目の人生に向けて点火

この記事をUPした後、銀座の空に白いものがチラホラ。
気温は0℃に近く、週明けには氷点下になるという。
自分の中で「シンクロニシティ」を感じます。妙なもんですな。
風情はあるが実際に降雪すると都会はすぐに麻痺する。
降らない方がいいってのが正直なところかも知れません。

店には年配の板前が一人おります。
和食板としてベテラン中のベテラン。
縁があってうちに来てくれたんですが、もう20年以上無欠勤。
律儀な上に生活も真面目な人間ですから、老後の心配はまったくない。
今すぐ引退してもかみさんと二人悠々自適で生活できるはずです。

この爺さんと、まだ30代の二番がいれば、店においらが居なくてもまったく支障なく営業できます。おそらく爺さんとしては息子や孫の面倒を見てる気で勤めてくれてるんでしょう。実際に本当の父のような感じもするし、実の親のように人生の最後まで見届けるつもりでおります。


30年近く一度も前年比でマイナスにならなかったのは幸運でした。
自分の考え方、やり方に、数字から裏付けをもらった気がしてます。

だが一人の人間が稼働してられるのは人生の半分足らず。
人には寿命ってもんがあります。

晩節の過ごし方は人それぞれでしょうね。
多くは隠居同然で日々を無為に送るしかない様です。

おいらはね、そんなもんまっぴらごめんです。

「次の人生」「もうひとつの生き方」
これを「言葉だけ」ではなく実践したい。

言葉だけで終わらせない為には「布石」つまり段取りが要る。
しっかりとした準備が必要だってことですね。

その分岐点になるのが今年だと思ってます。
船ってのは舵をきってもすぐには曲がりません。
即時方向転換は物理的にも出来ないんです。

舵をきる前に、
面舵なのか、それとも取舵なのか。
それを確認するのも航海士と操舵士を兼ねた船長の役目。

段取りを恙無く終わらせ、「宜候!!」(よーそろー)と自分に言えたその時、おいらは第一の人生をスタートした頃のように若さで漲っているでしょう。


2011年01月30日

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