鍋は裏から洗うもの 


鍋は裏から洗うもの

料理を作ると鍋が汚れます。

だから洗わなきゃいけない。
これは誰もがやっている事です。

汚れるのは材料や調味料と接する部分。
つまり鍋の内側ですね。

人の視線の90%はここに集中。
料理中は殆ど鍋の内側しか見ません。

そして汚れが集中する部分も内側です。
材料と調味料が混合され加熱されるわけですから、汚れて当然ですね。

料理を取り出した後、汚れが著しい。
そのままじゃ再使用できませんので、これを洗うことになります。


この時、どういうふうに洗っていますか?


先ほど、「人は殆ど内側しか見ていない」と書きましたが、それは洗う時も同じなんですね。

汚れの付いた部分だけに目が行くのです。
で、その部分を洗う。

その後どうするかは、人によってそれぞれ。
多くの場合、汚れを洗い流したら終了かも。


正しい洗い方を書いておきましょう。

汚れた部分(つまり内側)に水を少々入れてしばらく放置しておき、洗うときは最初に水だけを用いて固形状・液体状の汚れを流してしまい、それから洗剤を使って磨き洗いし、水で濯ぐ。

次に鍋をひっくり返し、裏側を磨き洗いする。
とくに注意して磨くべき箇所は、注ぎ口や取っ手の周辺など汚れが固着しやすい箇所。


実はね、「外裏側の磨き」にどれだけ力を入れているかで、その店の品格が一目で分かるのですよ。 誰もが認める一流店というのは、必ず鍋がピカピカに磨かれているものなんです。

鍋の外側の底の方は炎を直に受ける場所ですから、黒くなってしまいます。しかし通常の空気調整が正しいコンロの火ですと、そんなに煤が付いたりはしないものです。調整不良のいわゆる「赤火」だと煤で真っ黒になりますけどね。

つまり通常に使用している場合は、それほど黒くもならないし、汚れも目立たないのです。

したがって、ご家庭などでは殆ど裏を磨くなんてことは無いかも知れません。IH鍋ならなおさらです。

なによりも、上に書いたように「そこに視線が集中している・そこしか見ていない」のですから、当然というか「そこしか洗わない」という結果になりましょう。

それを繰り返せば、さすがに鍋底(外)も汚れが積層しますので、高価な鍋などは磨く方もおられるでしょう。しかし、積層した汚れはなかなか落ちないものですから、やがて変色。

そうしましたら、こういうものだという感じで捨ててしまうのでしょう。
「寿命なんだ」と。

最近はご家庭だけじゃなく、料理店においてもそのような傾向が見られるようになっております。

「表面上の汚れが落ちればいい」
ようするに、洗いはするが、磨かない。
そういうことですね。





一流の洋食店やホテルの厨房に行きますと、底光りする赤い銅鍋の輝きに圧倒されます。

和食の場合は、坊主鍋(手なしの丸鍋。別名やっとこ鍋)の大中小がそれぞれ重ねてあり、これもピカピカに光っております。

銅鍋は高価だし、磨くのも大変だし、内側に施してある錫メッキも定期的に張り替えなきゃいけない。この面倒を省略するために、胴板を仕込んだスレンレス鍋が最近は多くなっています。

ただ、昔から一般のレストランの大半はアルミ製の鍋を使っています。本場フランスでは圧倒的に銅鍋が多いが、日本では珍しい部類。

海外には、鍋だけを洗う専門職がおりまして、昔は日本にもいたんですが、最近は見かけませんので、もう日本では商売にならないのかも知れません。

かなり昔、鍋洗いのプロから聞いたんですが、彼が「鍋は先に外側から洗う」と言っていたのを忘れることができません。

どうしてかと尋ねると、
「鍋の美しさは鍋底で決まるから」だと。
つまり、本当の主役は「見えない(見ない)部分だ」と言うわけです。

テクニック的に説明すれば、一番洗いづらく頑固な汚れは鍋底(外)の煤なので、ここを真っ先に洗い落とさないと、水を吸って固着してしまい後から洗っても綺麗にならないのです。

ここをゴシゴシと洗い、次に内側の「普通の汚れ」をさっと片付け、それからが本番。再びひっくり返して外側を徹底して磨く。

これが、あのずらりと並んで輝く鍋の舞台裏。
なるほど、こうして並んでいると、「主役」の意味がよく分かる。鍋はひっくり返して収納しますので、ケツ(外側の底や縁)が真っ先に「見える」からですね。

この部分が光っているから、圧倒されほどの輝きを感じてしまうわけです。

ところが、これを見るのは内部の者だけで、お客はもとより、料理人でさえも仕事中にはあまり見ない部分なんですな。

いわゆる、「表面」「おもてヅラ」ではない。

それなのに、なぜフランスなどではプロまで雇ってピカピカにしているのか。

合理的な答から言いますと、赤鍋は手入れさえすれば、何十年でも、それこそ店が無くなるまで使えるからです。磨かないと長持ちしないからロスになる。なので手入れを怠らない。

合理的でない方の答は「誇り」でしょうな。
薄汚れた鍋で料理を作りたくないのです。

汚い鍋でも綺麗な鍋でも、出来上がる料理は化学的には同じでしょう。
でも、同じではないんですな。プロにしてみれば。
「お客に出す料理にスキがあってはいけない」
「だからこそ、高い料金を頂戴している」

輝く鍋は料理の代金に含まれているんです。
鍋の光具合が料理人に最も大切な「緊張感」を維持させ、モチベーションを喚起し、最高の料理にしようという意識を支えている。
それが一流の店であるということでしょう。




今日も日本の何処かの店で、板前の誰かが、シンクに向かい、坊主鍋をひっくり返し、磨き粉を振ってスコッチブライトでゴシゴシやっている筈です。

腰を入れ、両腕に力を込めて。

大変な肉体労働です。
忙しい時は、洗い物をしてる暇もありませんから、シンクの横の床に汚れた鍋が沢山重なっている。

だから何個も何個も洗って磨かなきゃいけない。

それでも、鍋だけはパートの洗い場さんに任せず板前が自ら洗おうとします。「自分の道具」だという意識があるからでしょうか。そんな板前は多くはないでしょうが


たとえこの国の人達の多くが、

スマホ画面のような「表面」だけしか見えなくなっていたとしても、

自分だけは「鍋底のような裏側の存在」にはならないから関係がないと呑気に構えているにせよ、

見えるオモテガワだけをさっと適当にナマ洗いして裏には目もくれず汚れたら使い捨てにすればいいと思っているにせよ、

そういう人が大半だとしても、

ずっと先のことを考え、見えない部分を磨く日々の努力こそが、結局は長持ちさせる秘訣であり、そして「美しく輝くという価値」をも高め、時間がたてばたつほど深みが増して美しくなって行く。

それを確信して、「浮ついた偽の美しさ」に惑わされることなく、鍋の底を丹念に磨いている人間が、今日も何処かにいる筈です。


2014年04月09日

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