料理と商売  

料理の有為転変

有為転変は世の常

人は世につれ、世は人につれ

料理人も変われば料理も変わる

料理を頭で憶えるか、手で覚えるか

板前も随分変わりました。
そして板前が作る料理も変化してきました。

アカ抜けし、小奇麗になって行ったのが昭和後期。
平成に入りますと、他の要素が加わり「多様化」が加速。

しかしおいらはこの傾向をね、
【表面的で薄い】
そう思っております。

厚みが無いのですよ。
今はその多くが故人となった和食の先生方が、最盛期に手掛けていた料理に比べますと、明らかに奥行きに欠け深みがないのです。

その理由は単純明快。
料理人自体に奥行きが無くなってきてるからです。

料理は人が作るもの。
したがって「人次第」なのです。


おいらが尊敬していた和食の先生達はね、
例外を除きほとんどが中卒かそれ以下の学歴。
十代前半に板前修業に入った方が圧倒的に多い。

なのに驚くべき達筆であり、
今の人間が知らぬ【日本の事】をよく知っておりました。

今の日本人が知らぬ事、それはね、
四季の草花の名であり、庶民の文化であり、
そして「日本人が食べ続けてきたモノ」です。

料理以外の事柄をも吸収し、その知恵が浅薄ではない。
つまり「地に足がついた知識」です。揺るぎがない。

電気通信技術により大量に得る知識、厖大な情報。
そんなものではなく、
自分の足を使い、目で確かめる。
それが彼我の差なのでしょう。

経験で得た知識は忘れる事がないのです。

料理技術もまったく同じ事でしょうね。
ひとつひとつの手順を「叩き込まれる」から忘れない。

その反対に「目だけで得た知識」は身につかない。
目から吸収した技術は「即座に手で再現する」
そうしないと手に伝わらない。
手に伝え、体に覚えさせないとすぐに忘却するのですよ。

「大量に得る知識、厖大な情報」
そんなモンは何の役にも立たないのです。


逝ってしまった大いなる大先輩達と、
我々現在を生きる板前達の差。

それは「自分に厳しくできる者と出来ない者の差」
簡単に言えばそうなると思います。


でもね、時代が逆行する事はあり得ない。
この傾向が逆転する可能性は薄い。

冷蔵庫が普及したから町から氷屋が消え、
テレビやパソコンを使う人間が増えれば本屋が衰退。
この流れは止める事が出来ないし、
それが時代の流れって奴なんでしょう。



料理と商売

【料理人が有名になるメリット】

そんなメリットは何もありませんな。
逆にデメリットの方が大きい。

「でも商売=事業拡張を目指すならプラスでしょう?」

大きな間違いですな。それは。

有名になって顔が売れる、
するとお客が多くなる、
信用も増し、運転効率も上る、

事業は拡大し、お金持ちの仲間入り。

そんなもんは「脳ミソの無い人間」が思い描く妄想です。

分かっちゃいませんな。
そもそも何で料理人になったってんですか。

【自分の料理を作りたい】
【料理を極めてみたい】
【それを食べさせて人様を喜ばせたい】

それ以外に何があるってんです?

生きてる間にね、
名前が売れたらば、そんな事に集中できんでしょうよ。

マスコミは「ハゲタカ」
浮ついた「にわか通」は本来のお客の邪魔

空騒ぎは仕事の邪魔なんすよ。

料理はね、
作れる量に限度があるんです。


「工場長」になりたいのか。
それとも「料理」を作りたかったのか。

それだけの事ですよ。


賭けに出る

世の中って奴はジリジリして動かない。
思い切って「勝負」に出たくなります。

だが「ギャンブル」ってのは娯楽です。人生じゃねぇ。

「乱数」の意味も、「大数の法則」も知らぬ人間はね、「胴元を儲けさせるために存在するカモネギ」です。

一生涯、死ぬまで金を吸い取られるだけなんですよ。

ピエール・シモン・ラプラスの【ラプラスの悪魔】はいないんです。
「イフ・もしかして」は、無いんです。

運命論も結構。
だが確率は収束する以外の道を選べない。

宝くじで三億円。
その期待の殆どは天下り役人の給料に消える。
競馬で大穴。これも上と同じ。

パチンコを始めその他のギャンブルでも同じこって。
それで「10年以上メシ食える人間」はね、
99、999999999999999999%いない。

それが「大数の法則」でね、
いずれ胴元が決めた確率に収まる様になってます。

時たまマグレでプラスになる事もあり、
【ラプラスの悪魔】の存在を信じることもありましょう。
何も知らぬ人間は、
「俺はギャンブルの天才かも」
そう思うかも知れません。

しかしながら、
「大数の法則」も知らぬ人間はギャンブルをすべきでは無い。

いずれ必ず確率は収束に向かう。
ほぼ皆が「負ける」ってことです。

勝ち続けることは出来ないんですよ。


有名になるってってのは、
パチンコの「大当たり」、競馬の「大穴」なんすよ。

言葉を変えれば「運が良かった」です。

マグレで当たった大金ってのはね、
定着性が無く、いずれ散財して霧消します。

貯金できる人間はまずいない。
それを俗に「アブク銭」と言います。



おいらが何を書いているか分かりましょうか?

「世の中の人すべてに自分の料理を食べて欲しい」
それは無理だと言ってるんです。

日本を先頭にアジアは可哀想なくらい「個人の意思」ってのが無い。

なぜそれほど「個」ってモンが無いのかおいらには分からない。
だからおいらはブログを書いています。

「料理を作るのが好き、だからそれに集中したい」
それ以外の事を考えた途端にね、料理は出来なくなる。


チャンスは必ず来る
チャンスは何度でもある

悔しがっても無駄
少量でもプラスに持っていけばよい

これはギャンブルのセオリーです。
しかし現実の世界ではこれにもう一つ加えなきゃいけません。

「自分は料理を作るのが好き。それに集中したい」

それがゆえ、逆に「商売」が成り立つのですよ。

今の世は「商売好き」の数が勝り、「料理好き」は少ない。
なので需給のバランスが壊れているんです。

貴重だって事ですよ、料理好きの料理人はね。


だからってバランスを失くしちゃいけない。
「商売」ってのを卑下してはいけません。

尊大に芸術家ぶり、商売を馬鹿にする料理人は偽善者。
人は商いをしないと飯が食えないのです。

自分はどこの位置に立って生きるのか?
それが分からなくなればね、
自分に向かい、「料理が好きか嫌いか」そう問えばよいのです。



おいら自身の話しになりますけども、
いつまでも若くはいられませんな。どう頑張っても。

そろそろね、
「店を手離した時の損益計算」とか、
「田舎で一人で回せる小さな店を出すには」とか、
漠然と、あるいは緻密に、そんな考えがチラホラ。

生まれた街で死んで行くのもいい。
それも悪くはありません。

でも、もう少し「自然」を感じたいんですよ。
セメントに囲まれて死んで行くのは寂しい。

すなどり(漁)をしたり畑の土を掘り返す。
その体力がまだあるうちに、動きたい。

でも現実を整理するには問題が多すぎます。

義理人情のみではなく、しがらみが山積。
簡単にそんな真似は出来ません。

キツイところですなぁ。

お客さんを長い時間かけて開拓した。
20代の頃はギリギリの時期もあった。
なんとか自分の作りたい料理で商売できる様になった。

そういうものを全部放って去れるものなんでしょうか?


「ありがとうございました」
そう言って頭を下げる時の幸せは何にも換え難い喜びです。

料理を作る仕事を選んで良かった。そう思います。



しかしまぁ「有為転変は世の常」
生きている以上、いつか変化の時期が来るのでしょう。


2010年06月22日

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