板前修業旅~沖縄の女性と北海道の女性 


矜持の彷徨

薄刃包丁を持ち  芋や大根の皮を剥く

刃線が親指の腹にくい込む

目はそれを見ています

皮膚は包丁の鋭さと冷たさを感じている



研ぎあげた鋭い包丁なのに皮膚を割かない

長年やってますのでタコになってもいる

一般人よりもその部分の皮膚が丈夫かも



もちろん当てたまま包丁を引けば

その部分は切り裂けて血だらけになります


だが 包丁は圧すだけじゃ切れない



剥き終えた時の達成感やささやかな満足感

頭はそんな事を考えているのかも知れません


次の段取りを組み立てていることもある

何も考えず手だけを動かしてる時もある




野菜によっては音がする時もあります

しゅっ

しゅるっ

しゃ しゃ 


包丁の手入れ次第で音色が違う

それに気づいたのは板前になって20年目です








駆出し板前の頃  よく旅をしました

全国各地の板場で助仕事 板前修業

あの頃が良い時代だったか悪い時代だったか

おいらには判りません

誰にも分からないでしょう


ひとつだけ確かなのは

まだ矜持をもつことができた時代だったこと






いつの間にか21世紀も10年が過ぎている



幾層にも重なる厚い雲

その切れ間に見えるものは

朝日なのか それとも沈む夕日なのか





この国で生まれ 仕事を持つことができた

働くことに満足を感じる事もできました



疑問に思う心

好奇心か探究心かResistなのか


それを解決すべく試行錯誤を繰り返す

解決して試行が成功するとは限らない


疑問を持つことが「人生の邪魔」になる事もあります

それでもやはりあらゆる事象に疑問を抱く

苦い失敗をしたとしても

孤独な立場になったとしても

苦労を背負い込むだけだとしても


疑問を持ち それを追う気持ちを失くさない


妙な誇りや自負心なんぞよりも

それが矜持なんだと 自分は思います

飾らぬ美、テダの気質

テダとは太陽のことです。
沖縄では「テダ」「ティダ」「てぃ~だ」という感じで、奄美では「てだ」
そんな微妙な発音の差違があるようですが、沖縄・奄美地方で「太陽、もしくは日照」のことをテダと表現します。

九月も後半に入り、漸く朝夕は涼しさを感じるようになってきた按配ですが、昼間は夏の太陽ですなぁ、まだ。

暑いのは好きではないんですが、燦々とした太陽は好きです。まぁ明るく輝く太陽光線を嫌いな人はあまりいないでしょうけどね。吸血鬼じゃあるめぇし。

満ち溢れるエネルギー。
闇を払いのけてしまう明るい光。
そこに「力強さ」を感じるんでしょう。



北で出会った太陽

昔、まだ親方が存命で元気だった頃

親方
「おぅ、わりぃが今度は北海道まで行ってくれ」

おいら
「いきなり北海道って言われても・・・」

親方
「んだと!おめぇは親方の言うことを聞けねぇってか」
「黙って行ってこい。この唐変木!」

おいら
「はいはい」

偏屈カミナリ爺の弟子になったのが運の尽き。
従うほかありません。

そういうわけで、札幌のとある店で「板長が復帰するまでの間」という約束で、スケの仕事をすることになりました。

板場に出て数日、初日から気になっていた「板場をちょろちょろしてる小さな女の子」と、どういうわけだか意気投合。

「危ないから」という気持ちで声をかけたんですが、しょっぱなからえらく気に入られてしまい、おいらのそばを離れない。

柳刃持って刺身引いてる横で、おいらのズボンの腿のあたりをひっつかんでいる(笑)

危なくてどうにもならんのですが、追い払う気にはなれません。おいらが細心の注意をすればいいだけですからね。火の周辺にだけ近づけなきゃ大丈夫。

小学の低学年くらい、ちょうど学校がお休みの時期だったみたいです。

おいらが刺身を引くのを凝視し、切り終えたら、
「なかなかやるな。おぬし」
との仰せ。

言い草が可愛いいったらありゃしない(笑)

おいらも調子を合わせて、
「そりゃどうも、センセイ」


その子は、店の中居さんの一人娘でした。
よく働く女性で、その店の看板のような存在。

母子家庭のようで、長時間労働の中居という仕事柄もあり、母の職場に入り浸りという事情。

経営者の人柄などもあり、そのようなアットホームを許容する職場環境だったわけです。加えてお母さんの明るく仕事熱心な人間性もあったんでしょう。

最初のうちは母親が、
「板前さんに迷惑かけちゃダメでしょ」
「お兄さんの邪魔になるから向こうに行ってなさい」
そんなふうに叱っていたんですが、その子は何故か絶対においらから離れない。

子供の相手をするのは好きでしたが、これほどまでに懐かれたのは初めて。
慕われると当然ながら尚更に可愛く思える。

「構いませんよ」
「迷惑じゃありません」
「仕事を教えてくれる先生だし 笑」

ある日、寝てしまったその子をおぶって、母娘の家まで送る事になりました。
豊平川の、堤防のような道を、娘を背負って歩きながらその女性と色々な話をしました。

年齢は20代後半、出身は釧路”のあたり”、色々と苦労をしたが今は娘を立派に育て上げることだけを考えている・・・・そのようなことを語ってくれました。

理由はまったく分からないが「馬が合う」という現象はあるもので、娘とおいらはまるで生まれた時からの相棒みたいな感じです。
結局のとこ、仕事の合間にも、休みの日も、毎日その子と過ごすことになります。


四週間後、店の板長が戻ってきました。

おいらは、母親に「自分が東京に帰る日をこの子に教えないで」と頼みました。

ところが帰京の日、空港に二人の姿が。

そのひとは、おいらにそっと言いました。
「つらいのは分かっているけど、それがこの子の為になるから」

泣いている女の子よりも、実はおいらの方がもっと哀しいのかもしれない。そんな心の内を見透かされたような、あるいは「女性の強さ、逞しさ」を垣間見るような、「女そのものの優しさ」を感じたような、なんともいえない複雑な心境になりながら、小さな体が壊れるくらいに強く抱いた手を、なかなか解くことができませんでした。


テキパキと料理を運び、ハキハキとお客の対応をし、段取り良く仕事を流せる彼女には、太陽の光のような「陽性の強さ」があります。

その気質が娘にも受け継がれることを願って、おいらは飛行機に向かいました。



南で出会った太陽

今から数年前のある日、おいらは沖縄にいました。
那覇に一泊した翌日、コザに宿をとって休養。

本島中部は色々と面白い店などが多く、それはコザを中心とした半径数キロに集中している感があります。

市の中心部はシャッター商店街が多く、イマイチ賑るいませんが、そんなのは何十年も前(少なくとも80年代)から同じでして、日本の地方都市はどこに行っても似たようなモンです。

東京の賑わいが異常なだけで、これが普通ってもんでしょう。大型店舗がさらに大型化し、ドーナツみたいに中心が穴になるのが「経済成長」ってことでしょうな。メデタイことです。誰がどう「成長」してるんだか(←)

毎度のことですが、欧州から帰国しますと、日本の街並にため息が出てしまいます。
白くて大きなコンクリの箱が乱雑に無計画にデコボコに並んでいるだけ。
日本中どの街に行っても同じ光景。このセンス。だれがこの設計図をつくったんだ? そう思わざるを得ない。

日本の「縦割り行政」をそのまんま形にしたようなアリサマですな。全体像というものが描けない。
土建屋政治を「都市計画」とかいうし・・・・

ま、脱線はこんくらいで(笑)


沖縄在住の友人に連れられて、ある店に初訪問。
ちなみに、友人の職業は公務員。

その店はコザからも普天間からも離れた、かなり辺鄙な場所にある軽食店兼ライブハウス。民家を改装したような小ぢんまりしたお店でした。

山の中腹というか丘の上というか、テラスから太平洋がよく見える抜群のロケーション。湾の向こうに離島が見えました。

音楽のジャンルは沖縄民謡、ポップス、ジャズ、クラッシク、フォーク、まぁ要するにオールジャンル。

例外的に店の名前を紹介したい気もするんですが、それはやっぱりやめておきましょう。後述しますが、現在の状況がよく分からないし、どのような迷惑を掛けるか想像を越える場合もあるからです。

結論からいうと、その店を一発で気に入りました。

偉そうな事をね、
言う気はありません(←いつも言ってるくせに (笑)
が、食べ物屋に行くと、料理を口にする前にそのお店の良し悪しがおいらにゃ分かるんです。

造作、インテリアなどの佇まい、流れている空気、そして器類のセンス。それで主人の人となりが大体見える。

ぱっと見が豪華でもどこかにスキがあれば、そのような料理が出てくるし、雑然と散らかっていれば、料理もご同様。

簡単にいうと、「拘りというのは全体に出る」です。
店の門構えから入り口の先にある空間、それが料理なんです。「料理の味だけが特別製」なんてのは現実ではなかなかあるもんじゃないんですよ。

質素だが隅々まで清潔、全体に簡素だが上品かつセンス良い飾り物が雰囲気を引き締めている。そのような感じですと、「お客の視点に立ったおもてなし」を心得ている人ですので、料理もそのように作るのです。

「金があるんだ」とばかり、ひたすら我のみを主張して、「ヨソからどう見えるのか」を想起していないし、「心」がどこにあるのかさっぱり分からぬ、「お・も・て・な・し」など笑止千万。(←又余計なコトを・・・笑)


お定まりのチャンプルーと沖縄そばを注文しましたが、料理が出てくる前からすでに味も合格点。

店の雰囲気から予想はしてましたけども、やはりオーナーは女性でした。

この女将さんがね、「テダ」だったんですよ。

五十年配のようですが、年齢を感じさせない美人。
若い時はさんざん男どもを泣かせたに違いない。

愛想が特に良いわけではなく、むしろ客商売にしては素っ気無いとさえ言えそうなお人柄。

しかしすぐに分かりました。
人一倍情が濃く、繊細な優しさを持つ反面、大胆な行動力を持つ「陽性のひと」であると。

苦労を背負い込んでも、それを跳ね返してしまえるポジティブな思考と行動。「太陽の気質」です。

「うちのマル子が年齢を重ねていくと、このような女性になるのかもしれないな」、そんなことを感じました。

それほど言葉を交わしたわけでもないのに、何故だか肉親のように深い部分で理解できるという、不思議な「馬が合う」という現象。これはどういうモノなんでしょうかなぁ。

飾り気のない「すっぴん美人」
ブランドには興味がないがセンスが光る。
どんなものが自分に似合うのか理解できる頭脳。
他人のマネには関心ゼロのオリジナル精神。

その一方で、

周囲が茶髪だから自分も髪を染め、かと思えば貞子の黒髪、皆がミニスカだから自分も丈を短くし、レギンスが流行れば街中が黒い竹の子だらけ。入れるのが千円札だけであってもヴィトンの財布、とうぜんスマホは必需品。しまいにゃ「鏡を見ないで」シャネルの服を買う。でありながら、それらの行為を「個性」であると思い込んいる不可思議な都会の女子さん達。

この相違はどこから生じるものか。



思った通り若い時代は拓郎やレノンが好きだったそうな。音楽好きはそのまま続き、子供を育てつつ沖縄ロックのメッカであるコザ・センター界隈のライブ・ハウスに足繁く通ったと仰る女将さん。

裕福とは正反対の家で生まれ育ったそうで、何度も何度も「落ちて行きそうになった」ことがあるが、「何か」の力で這い上がる人生。最後は自分の好きな音楽に関わる仕事につけたわけですから成功者と言えましょう。

「何か」とは、ずばり太陽の気質でしょうね。
テダのような「熱いPassion」、「折れない気強さ」、ダークサイドに落ち込まない「明るさ」、そして暖かな光輝のような「深い情と愛」

太陽に照らされた植物は大きく真っ直ぐに育ち、大輪の花を咲かせるものです。
陽射し(テダ)は「母親」そのもの。
そんな存在を「無事に育った連中」「花を咲かせた人々」が放っておくわけがない。
必ず「お返し」をしてくれるんですよ。
それがヒトの繋がりってもんです。


少し気がかりなのは、この方の店のサイトが最近更新されていないことです。近況を知ろうと思えば問い合わせれば済む事ですけども、なぜだか躊躇します。おそらくは杞憂にすぎないでしょうし。

「テダのような美らむん」さん。
どうかお元気であって欲しい。
敬意を込めて心からそう願います。




使い古した盆ザル。
丈夫だった竹も擦り切れてしまっている。
そこからタネが漏れてしまうように、男の矜持って奴も蜉蝣のように儚い側面がある。その事に気が付くのは40歳代も後半に入る頃でしょうか。

彷徨が迷宮になり暗い世界に呑まれないようにするには、「明日を信じる気持ち」を強めるしかないように思います。

旅の終わりってのは、「とりあえず」でなけりゃいけません。本当に終わるのは死ぬ時だけ。それが人生ってモンでしょう。


2013年10月05日

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