夏の夕暮れ、橋の上、木遣りの声  

夏の夕暮れ、橋の上、木遣りの声

父が逝ってから、もう随分になります。
「遠い過去」と言えましょうが、人間の記憶ってヤツは年代順に遠くなり薄れるというものではなさそうです。

ふとした瞬間鮮明に蘇るのは、昨日の事よりも、遥か昔の光景だったりします。

父は無口な男でしてねぇ。
まともな会話をしたことが一度もありませんでした。
親子のくせに三分以上話したことがないという(笑)

家業を継ぐのが嫌で大学に行き、卒業してからも書生っぽみたいな事をやってたそうですが、諦めて家業を継ごうと修行を始めた途端に若死にしてしまい、息子は家業と関係のない料理の道に進み板前になってしまう。

チグハグな人生だったと言うしかないでしょうね。
そんな自分の人生をどう思っていたのか・・・
それを知るすべはありません。

 

気難しいヘンクツというわけではなく、頑固でもありませんでした。むしろ穏やかで優しい気質だったと思います。

仕事をおっぽり出して神田の古書店あたりでフラフラしてるところを、母の命令で捕獲しに行ったオイラにとっ捕まった後など、慌てるでもなくノンビリしながら2人で帰る。

その帰路で大判焼きとか飴菓子とかを買って「食べなさい」と。そのツラは「穏やかな良い顔」だったと思うんですよ。

なんだか映画とかTVドラマでは、父が子に向かってやたらと「スピーチ」するようですけども、あれは演技だからということでもなく、現実に今はあんな感じなんでしょうかね? 少しばかり違和感を感じます。

しかし、「どちらが良い」というものでもないでしょう。
日本人があまりに「語りベタ」なのは、無口な親たちのせいでもありましょうし、そういう文化が背景にあるせいだと思います。

だからと言って、男の親と男の子が「フレンドリーすぎる」という風潮にも疑問を感じるのですよ。

友達に好かれるような感じで、我が子にも好かれようとしてしまう親もいるでしょう。そうならぬように注意していても、近すぎれば自然にそうなってしまう。

なんで努めて好かれようとしなきゃいけないのか?
その理由は容易に想像できます。
そういうのは人の親としてどうなのか。

子供には誰かが厳しく「世のルール」を教えなきゃいけない。日本では母の役目になっているが、本来は父親の役割でしょう。特に男子にはね。

厳しく当たれば、疎まれて憎まれるもんです。
たとえ親子であろうとそれは同じ。

そんな面倒を避けるために仲良くする。
譲歩して、子の言うことを受け入れ続ける。

で、小学生であろうが「欲しい」とおねだりされればスマホを買い与えるという。あれがネットにつながる道具であり、ネットとはどういうものかという深慮もなしに。

考えてみてくださいよ、オヤジが憎まれ役、嫌われ役をしてくれなきゃ、どこの誰がやってくれるんです。学校の先生ですか?

少し脱線したしたようです。
ま、いつものこってすが(笑)

今の東京じゃ「世界一高い電波塔」とやらが人気のようですが、おいらはアレにまったく興味がありません。

権力を監視し、市民の知的レベル向上、啓蒙という使命を持つ筈の報道機関までが、独占体制を作り上げて新陳代謝できない自浄作用の働かない権力組織になり果てる。

その組織がこれからも日本国民を「白痴化」していくという驕り高ぶった勝利宣言。そのシンボル。

今後もさらに「電波脳」を増やして行くつもりなんでしょうな。

この国は何から何まですべて利権と独占で成り立っているという点で北朝鮮とそっくり。

その事実を「見えなくしてしまう」のがメディアの役目。
哀れな国民を象徴するバベルの塔ですよ。

考えてみりゃ、コイツも同じだったんですよねぇ。

おいらたちは東京タワーと一緒に人生を送ってきたようなモンでね、まぁこの光景が「ふるさとの景色」というわけです。

母がアイロンでキチンと折り目をつけてくれた半ズボンに開襟シャツ。
父を連れに数キロもチャリをこいで汗をかき、暑さにたまらずシャツを脱いでチャリのハンドルに巻きつける。

ランニング姿でチャリを押しながら父と並んで歩く。

橋を渡る時に遠くから木遣り唄が聞こえてきて、橋の真ん中で立ち止まると、残照が世界の色を変えていることに気がつく。

数分だけ二人立ち止まり、橋の欄干から暮れていく街を眺めている。東京タワーに水路、天から落ちてきた巨大なマッチ箱のようなビルの群れ。

ふと気がつくと、父の手がおいらの肩にのっている。
それをはっきりと憶えています。

しかしやはりというか、
その数分の間に父が喋った言葉は一言だけ。
「さあ、帰ろうか」


時々勉強を教えてくれた隣の優しいお姉ちゃんの部屋に、やたらと置いてあってフォーク・ソンググループのLP。
お姉ちゃんは大学生だったか高校生だったか・・・

おやつのクッキーかなんかを鼻タレガキのおいらに分けてくれながら、「この歌がとっても好きなの」と、ある曲を聴かせてくれました。

お姉ちゃん
「どう?良いでしょ魚クン」

おいら
「なんか男の歌手のくせに女っぽくてヤだよ」

生意気にも程があるってモンですが(笑)
それでもお姉ちゃんは微笑むだけで怒りはしませんでした。

暮れゆく街を家路に向かう時に頭に浮かんだのは、この時お姉ちゃんが聴かせてくれたメロディです。

歌詞がセンチすぎて、「どうなんだ?」という思いもあるんですが、お姉ちゃんの部屋に『チッチとサリー』なんていう漫画が並んでいる時代でもありましたので、当時はあまり違和感がないのも事実でした。

そのフォーク・ソンググループのバンド名は『NSP

後でお姉ちゃんからカセットにコピーしてもらい、数枚のLPをじっくり聴いたりしました。
早熟なおいらは小学の高学年で「彼女」をつくり、その女の子から2メートルもあるマフラーをプレゼントされ、ソイツを二人で首に巻いて歩いていたりしたもんです。
そんな時代によく合っていた音楽でもありました。

当然と言うか、社会にでる前くらいの年齢になると音楽の趣味は完全に変化しており、柳ジョージとかそういう傾向になってますから、NSPのことはほとんど忘れています。

何十年も時間が過ぎ去り、ふとあの時の曲を思い出す。でもね、メロディと心情だけはハッキリ憶えているが、曲名が分からない。そして誰が歌っていた曲かも思い出せない。
「う~ん、確かアレは小椋佳だったはず?」

曲名も歌手名も思い出せないのでYouTubeでも探しようがない。
それでもやっとこさ見つけることができました。

なにやら殺伐ギスギスした今の時代。
「自己責任」という言葉を勘違いして、他人を思いやる気持ちが風前の灯みたいなアリサマ。
他人を責めることに生き甲斐を見出す連中や、他人を虫けら同然に扱う連中がはびこる、冷たい風が吹き抜けるような社会。

そのど真ん中で生きる若い人は、おそらくこの歌が持つ世界観を素直にとらえる「感受性」は無いものと思われます。 でもまぁ、貼っておくことにします。
時代は変わっても人間の心はそうそう変わらない、そんな気がしますのです。

この曲を聴くと、夕暮れの街並みを背景にした父の後ろ姿と、お姉ちゃんの優しい微笑みがダブって浮かんできたりします。

NSP 『おとぎの国のお話』

ついでにNSPの好きだった曲一覧を。
とても良い曲ばかりです。

あせ
みつからないように
弥生つめたい風
赤い糸の伝説 
  線香花火
夕暮れ時はさびしそう
さようなら

雨は似合わない

posted by 魚山人 at 2013年08月04日

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