板前エッセイ



手前板前 blogてまえ、板前、男前の記録

21世紀も20年をとうに過ぎました。
しかし、何故だか知りませんが世界の姿は「平等とか平和」というモノからどんどん遠ざかっているように感じます。その逆の方向に向かって加速している。

これはひとえに世界中の人間が目先の欲望に振り回され続けているが故の当然の帰結と言えるでしょう。

21世紀の始まり頃にはインターネットが普及しはじめて、「もしかしたら人間社会を大きく変革させるのではないか」という希望を持ったものです。

でも所詮ネットも「人間が使うツール」でしかなく、人間そのものが劣化していてはどうにもならない。しかもSNSなどをみるに今のネットは人間の劣化を酷くさせるだけあるとさえ思います。

技術がいかに進化しても、人間そのもののマインドは100年前と変わっていない。

強欲・独占欲、差別意識、優越感と虚栄心と劣等感が混合して他人に優しくなれない心のあり方、そして最終的には暴力。

哀しい話ですが、それらの欲望の部分が、人間は全然変わらない。

21世紀の今も千年前と本質的な部分が同じです。どんなに技術文明が進化しても、人々のその部分は絶対に進化しない。

これは何なんでしょうかね?

これから人間の世界がどうなるのか、それは誰にも分からないことです。しかしこれだけは言えるでしょう。「人間の本質が進化しないと世界は絶対に良くならない」

主に経済的欲求によって人生をがんじがらめにされて、心の余裕を失いつつある今の人間達に、進化が期待できるかどうか、それも誰にも分からないでしょうが

以下の板前エッセイ記事は10年以上も前に書いたモノばかりで、古びています。でも本質の部分はおさえていると思います。そして人間の本質は数十年程度では変わりようがないのです。

板前稼業



板前修業

要するにいつか出て行かなきゃなんない訳ですよ。
独立して成功するって保証が何処にあります?
多分5割以上の確率で店を潰します。

そこを悟った板前は足を洗ってしまうんですよ。
まだ若いうちに将来の生活を確保しておこうと動くんです。
【元板前】の激増です。

上であげた将来性の問題や職場環境はまったく変わっていないからです。不安があるから板前は腰が浮つく、そんな浮気性を企業は使い捨ての根拠にして労働環境を改善しない。悪循環ですな。

さらに今はね、個人が低資本で商売を始めて上手く行く時代じゃありません。大手資本があらゆる分野を飲み込んでいるからですよ。

考えてみりゃ、こんなのは板前の世界だけじゃなく全職種、いや、この国全体を覆いつくしているのかも知れません。

どうしてこの国はこんなに「夢」の無い国になっちまったのか、誰かご存知の方がおりましたら教えていただけませんかね?


どうやって若い板前に未来を語りゃいいんですかい。


新しい「若者言葉」が辞書に載り、日本古来の言葉がどんどん消えて行く時代です。それが進化か後退かおいらにゃ分かりません。
でもこのままじゃ、そのうち「板前」って字ズラがこの世から消えて無くなると思います。


時々このブログをやってる意味が分からなくなる瞬間があります。

疲れるばかりで自分にはほとんどメリットが無い。アクセスが増えたら増えたで今度は苦情なんぞも増えるし、疲れる部分も多くなる。

誰かの役に立ってるかどうかすら確信がない。
そんなサイトを続けて行く理由を喪失してしまうんですな。

そういう気持ちに捉われた時に、思い出すんですよ。
つらい修行時代にはね、自分のメリットだのどうこう言う発想なんてしてなかったって事を。

「どんな事でも勉強」それだけでした。


このブログは修行の続きなのかも知れません。


若い板前にはこう言いましょう。
「修行をやめない事。そうすれば生活は後から必ずついてくる」

始めた事は途中でやめない。このブログも同じなんでしょうね。

死語化へ向かう「板前」の呑む酒→ より

この世知辛い社会は辛苦だらけですが、それでもめげることなくへこたれず不屈の精神で生きてほしい。何度失敗しても諦める必要はなく、折れたとしてもまた接げばいい。何回でも立ち上がればいいのですよ。
心機一転、新鮮な心で立ち上がれば良いのです。
打ちたての蕎麦のようにね。
 蕎麦の三たて


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