脳梗塞が果樹栽培のきっかけに



ミカン栽培と脳梗塞

園芸や農業とまったく縁のない人生だった僕が、いきなり果樹の苗を植えたりし始めたのが2020年。あれから4年になります。

失敗と試行錯誤を繰り返しながら、果樹たちも少しだけ成長してきて、先の見通しが立ってきた気がします。



奄美で植え付けた果樹苗の成長

スモモ

最初に植え付けた果樹はスモモ。空間的な制限があって長い間主枝と亜主枝を決めることが出来ないままでしたが、ようやく主枝を伸ばす方向が見えてきた段階です。

次の剪定で樹形を決定する整枝をする予定です。右が貴陽、左の紅葉はコチェコ。

地植えにしたスモモは実がなるまで年数がかかるといいますが、農家だったらもう収穫できてる樹齢なのに。
まあ気長にやっていきます。

温州みかん(上野早生)

カミキリにやられて一時枯れそうになった上野早生みかん。今年は実が収穫できそうです。

温州みかん(豊福早生)

予想外に豊福早生も沢山実っています。

南津海ミカン

南津海も数十個の実を収穫できそうです。収穫は来年の春。越冬する甘いミカンなので鳥に食べられないように気をつけます。

せとかミカン

接ぎ木をして再生させた「せとか」も順調です。試食用に数個だけ実らせましたが、あの美味しい「せとか」が本当に出来るんでしょうか。あと数か月すれば分かります。

スイートスプリング

植え付けた年から毎年実をつけてくれるスイートスプリング。疲れさせないように今年は半分以上摘果しました。

津之輝ミカン

畑のメインになる津之輝。個体差で成長が大きく違うので苦労してますが、少しずつ先が見えて来ています。あと2年もすれば樹形もハッキリするでしょう。

それにしてもプロのミカン農家さん達には感心します。あれだけ多くの苗木を植えて、同じように成長させ、3年もすれば収穫の段階にもっていく技術。素人栽培者には真似ができません。自分で育ててみて分かったプロの凄さです。

脳梗塞が果樹栽培のきっかけに

畑作業に興味を持った大きなきっかけは、脳梗塞を起こした事です。

ある朝、突然メマイと吐き気。その後起きられなくなり手足が動かずロレツも回らない。

脳卒中に違いないと救急車を呼んで貰うも、救急車到着時には手が動くようになり隊員の人に大丈夫だと告げ帰ってもらう。

しかし血圧は200超えだしマトモに歩けないので、夕方になり救急外来へ。

救急外来ドクターに「酔っぱらい」を疑われつつ、MRI撮影。脳に異常はないと診断される。

(酒など一滴も飲んでいないが、脳梗塞の症状は泥酔者と酷似しているので間違えられやすい。だけど酒の臭いで医者なら分かりそうなものだが・・・)

病院から追い出された格好だが、もはや車椅子がないと移動できないほど体はマヒ。

仕方なく再度病院へ。神経内科で検査してもらう。もう一度MRI撮影。しかしまたもや異常はみられないとの診断。

ではギラン・バレー症候群なのですか?と医師に問う。

島内の病院にはギラン・バレーに対処できる設備がないし、ギラン・バレー症候群ではないと思う、次は一週間後に来てくださいと、にべもない。

そんなふうに時間を無駄にしながら一か月経過。さらにMRI撮影をして今度は脳神経外科医に診てもらうが、「異常は見つからない。健康な脳です。」との診断。マヒの原因は分からないまま。

ラチがあかないので、鹿児島本土の病院に行くことに。

鹿児島市内の病院の先生。
MRI画像をみて一発で即断。
「脳梗塞ですよ」
「こちらにハッキリ写っているでしょ」

画像を見ると脳の下部に豆粒のような大きな白い影が見えました。

奄美市の病院はいったい何なんだ!
でした。

例え分かりにくい箇所(脳幹)の梗塞だろうと、奄美市で一番大きな総合病院の医師が三名もMRI画像をみて脳梗塞を発見できずに、一カ月も無診断のまま放置されるとは。

この経緯は詳しく記録していますし、ブログに書いて記事にしておいた方が良いと思ったりします。同じような事が起きた人の参考にもなるかもしれませんし。

でも記事にして具体的な名称等を公開するのも、すこし微妙なので迷っています。

今はただ、「離島医療の貧弱・脆弱さは確実に存在する」とだけ言っておきます。セカンドオピニオンの選択肢は無いも同然で、本土に渡るしかない。

奄美に移住したばかりとか、現地事情にまだ詳しくない方には、もし重大な病気になった時は迷わず本土の専門病院に行くことを強くおすすめしておきます。

もしも僕が本土に住んでいて、即救急車を呼んで経験の深い救急医に脳梗塞を発見され、素早く治療できていたら、後遺症が出なかった可能性が高いのです。

まあ発症から一カ月も経過すれば完全に手遅れだし、終わった事を「もしも」で語っても意味はありませんが。

脳梗塞を見抜けなかった病院には二度と行きたくないのが人情(実際あれから一度も行っていない)。しかしこの先は難しいかも知れない。小さな島に大きな総合病院は少ないからです。

御存じのように壊死した脳細胞は元には戻らない。脳卒中が治ることは無いということです。程度にもよるし個人差はありますが、完治はしないし後遺症も残る。しかも再発率は高い。

自由の利かない体のままだし、再発しないように薬を飲み続けるしかない。

その後、行動半径や人間関係が大きく変わりました。外に出なくなり、人と会う事もなくなった。

びっこを引いて歩く、明瞭な発音ができず酔っ払いと間違えられてしまう(酒はやめています)。これでは外出が億劫になります。携帯で他人と話すのも嫌ですね。

リハビリもやって、幸いにも杖なしで歩行できるし、乗り物の運転もできます。しかし健常者とはあまりにも違う身体の不自由さ。足腰と手足は90歳の老人にも劣るでしょう。

そういう時期に畑仕事を始めたのです。不自由な体の動作を人に見られず、自分のペースで作業できる環境が良かった。

もし梗塞が起きず健康なままだったら果樹栽培を始めただろうか? 分かりませんが、おそらくやっていなかったでしょう。

体がいつまで動くか分かりませんが、植えた果樹たちが立派な成木に成長するまで、なんとか動いて欲しいと願っています。

Posted by 旬爺 at 2023年◎管理者mail