若いときゃ何でも許されるもんです。
別の言葉で言えば、何をしてもカッコイイし、カワイイ。
食事だって例外じゃありません。
ガシガシと精力的に食う男は逞しく見えるし、
多少ハシタナク喰らう女の子も、それはそれで可愛い。
ガツガツと食う姿は「若さの象徴」って訳ですな。
大昔ですが、某観光地の大型ホテルの和食に助で出向いて一ヶ月弱お世話になった事があります。そのホテルは有名な全国チェーンですが、和食はテナント。
そのテナントは名前を言えば誰でも知っているお店で、当時浅草にも店を構えており、そこはうちの親方に関係がありました。その縁で頼まれ仕事ってわけです。
各20席の三種類のカウンターを持ち、板前総勢30数名。
ホールと座敷で300名、宴会場は150~800名ってとこ。
典型的な「バブル期の造作」ですな。
今じゃ有り得ない。
そこには料理長の他に「本社付きの責任者」ってのがおりました。
体育会系の大学を出て料理の世界に入り、板前を経て常務とかそんな類の役員になったってわけ。
この方の仕事っていうとね、「食うだけ」(笑)
まあ、他にも色々やってたんでしょうけどもね。
立派な体躯をしてましたので、そりゃもう食い方は半端じゃねぇ。
河豚のコースは前菜。鮨をつまみ、鮟鱇鍋を食い、「しゃぶしゃぶ」までたいらげる。ひとつひとつが厳選の国産素材。料金にすりゃあなた、30万を超えちゃう(笑)
たまたまカウンターに出てそいつを見たおいらは、あきれ果てて思わず二番に訊ねたもんですよ。
「もしかして、いつもあんな感じ?」
「そう、一年中あんな感じ 笑」
この「関取さん」、当時40半ばくらいだったでしょうか。
まだまだ若く、精力に溢れてオーラーみたいなもんがあり、食う姿もある意味で逞しくさえ見えたもんです。まぁそんな料金を自腹って訳は無いので、板前達は陰口叩いてましたけども。
なんにせよパワーがあり、仕事もできたからこそ、その地位にいたのであり、大メシ食らいはその象徴みたいなモンでもあったのでしょうね。
東京に戻り、多忙な日々を過ごすうちにそんな事は忘れておりました。ところがそれから10年もすぎたある日、都内の大学病院にてその方と偶然再会しました。
おいらはまったく忘れてましたので、相手から声をかけられたって事です。ところが声をかけられても誰だか分かんないで困りました。
「あ~、こりゃどうも」 内心《誰だっけこの人、うーん》
相手は悟ってくれたみたいで、「**の**ですよ」
それで思い出しはしましたが、まるで変わっていて別人。
顔は浮腫み、どす黒い隈が出て生気が無いし無精ひげに覆われている。
手足は痩せ衰えているのに、太鼓腹。ゾンビそのもの。
聞くと、糖尿の他にメタボの満艦飾。カルテには20近い病名。
別れ際にね、ポツリ。
「魚山さん、あんたの鮨と、淡雪蒸を食いたいな」
「じゃあ是非元気になって店にいらして下さい」
「ああ、必ず」
パンダのような顔して仰いましたけども、風の便りにそれから半年もせぬうち亡くなったと聞きました。ついでにその会社も経営がコロコロ変わり、今では消えてしまったようです。