旬の豆を剥く板前の手  

旬の豆を剥く手

板前見習いが入りました。
新入りなんてぇご時勢じゃありませんが、元々「景気」なんて胡散臭いモンに左右されない商売を心がけて来ましたので世の浮き沈みは関係ありません。あくまでもおいらの気持ち次第です。面倒をみる気力がまだ自分にあるかどうかだけですね。

もうその気力はありません。残っている気力は別の事に使いたい。
引き受けたのは「孫弟子」だからです。彼の親方の店がわけあって当分の間営業不能になったのでウチで預かることにしたのです。その店は東北の某県。再び営業が可能になれば、この若者もそこに戻るでしょう。

まだ板前らしい仕事は何も出来ませんので、やる事は調理補助的な作業ばかりで、所謂「追い回し」って係です。

魚もせいぜい「水洗い」まで。

持ち方に出てますな、魚を扱った経験がゼロってのが(笑)
まだ「商品」に触らせるのは無理ですが、こうして数をこなさないと上達はしない。

今日はアンちゃん達に教わりながら空豆の莢を割っているようです。

それにしても、手が若い(笑)
おいらの節くれだった手とは比べもんにもなりません。

この若々しい手に「安堵」の想いが胸をよぎります。
この手がゴツゴツした逞しい手に成長する頃には、この子達の町も元のように、いや前以上に元気な姿になっている。その想いです。

手を動かせる人間がいる以上、必ずそうなります。
もともと人の手はそのために存在してるのですからね。
楽をしてあぶく銭を稼ぐ為に人間の手はこういう形をしてる訳ではない。



天豆

ソラマメが日本に伝わったのは天平八年(736)だと云われ、中国経由で渡来したインド僧が持ち込んだとか。

夏豆とか天豆とか四月豆とかいう呼び方がありますが、文字は空豆、あるいは蚕豆と書きます。空豆の由来は豆果が空に向かっているからで、蚕豆は蚕のかたちに似ているから。

使う品種はほとんど「一寸ソラマメ」です。別名「於多福」。
旬は5月で、3~4個の大きな種が入っております。
晩生の品種で「讃岐早生」という品種は6~7個の種入りです。

和食で使うときは形や色を生かす調理方法が多くなります。前菜や碗種です。中皮とあま皮は用途によって剥いたり剥かなかったりします。椀種は中皮だけ剥き、旨煮はあま皮も剥くとかね。漉して使うケースも多いです。魚の「春山蒸し」とかスープ、流し物などですな。

一般的にはさっと茹でて塩を振って食べる事が多いでしょうね。新鮮ならばサヤのまま焼くと、中の豆が程よい。揚げる酒肴なら「いかり豆」。雲丹で和えるのもオツ。

乾燥した品も使うことがありましてね、これも揚げて食べますが、柔らかに煮るには灰汁に数日浸してゆっくりと煮ていく必要があります。

良し悪しはやはり「鮮度」で、鮮やかな緑色が目印になります。
ソラマメの実は若いうちは目も鮮やかな緑色ですが、実って老成すると黒くなって行き、これを「烏(からす)」と呼びます。

老成と変色(変化)は生きる物の定めでもありましょう。
若々しさ溢れた健全な手を見るとね、「この手もいつか成熟し、やがてガチガチになって行くのか・・」そう想います。人間も生き物、老成は避けられない。

だが人間には「考える力」と「記憶」がある。
「あるはずだ」と思います。

見た目が「烏(からす)」になってもね、「腹まで黒くならない余地がある」

そう思うんですが、おいらの考え違いなんでしょうか。

2011年05月01日

そら豆、旬は三日間

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