美味い野菜を  

美味い野菜を

商売の原点は人と人の交流です。
人間同士が自分に必要な物を求めて、同じ事情の人と取引する。魚と野菜を交換する、あるいは獣肉と米かも知れないし、塩と水かも知れませんが、その本質は等価交換です。

食べ物は等価

すなわち自分にとって価値のある品物を、自分の持つ何かと交換する。交換する相手はこちらの持ち物を求めていて、なおかつ「同じ値打ちがある」と認めるから交換に応じるわけです。

現在の流通機構と販売のシステムはこの本質が壊れています。
例えばおいらは「ニーヨンパ/248円」とか「サンキューパー/398円」とか、そもそも「98円」とかいう世に蔓延る値段設定が大嫌いです。

【消費者を馬鹿にしている】
【商品と値段の因果関係が何も無く根拠薄弱】
【販売側だけの都合でしかない】
【勘違いの押しつけでしかない】
【語呂あわせは品物に愛情の無い表れである】
【本質は小売同士の競争の為で消費者への配慮ではない】

「一円でも安ければ喜ぶ」は人間を軽んじた軽薄な発想。
それに気付かぬ企業と、悲しき事ながら消費者の大部分。

等価交換の原理がまったく無いのですよ。
「消費者ニーズで値段を決定した」というが、「消費者ニーズ」などという言葉は日本語ではない。消費者が作った言葉ではなく、企業がこしらえた造語にすぎません。

分かりやすく言い直します。
「買いたいと思う商品」を「買ってもよいと思う値段」で売っていないのです。

その極めつけが食品で、特に生鮮食品でしょう。
「小売思惑値段設定(○○キュウパー)」の品物はマガイモノだらけ。
たまに本物があれば常識外れの高値で売っている。

なぜそうなるのか?
生産者と消費者が等価で付き合っていないからです。

人(生産者)と人(消費者)の交流がトイメンではなく、その間にある様々な流通業者が利益を出す。その構造に答えがあるのですよ。

流通が巨大になって行った過程でそれに比例して圧殺されてしまったのがその生産業者。つまり漁師、そして農家です。

海産物も野菜もね、生産者は自分で値段を設定できない。生鮮品の価格は「市場」で決まります。もしくは小売店の都合で決まります。ぼったくられるのは消費者と生産者。

市場(しじょう)価なんてものは乱高下するもの。安定は無い。
一次産業の農業や漁業がギャンブルになっちゃ国は滅びる。

食糧は人間の基本ですよ。
バクチ扱いにしてほったらかすモンじゃありません。
そうして来たから自給率四割なんてお寒い国になっちまった。

 

等価交換に戻る

自信のある品物だからそれに見合う「価値」が欲しい。

「なるほど確かに値打ちモンだ。いかほどだね?」

「○○くらいなら私も助かるし、これは値すると思う」

「○○なら納得できる。払おう。」

「ありがとう。苦労したかいがあった。」

「こちらこそ、よい物をありがとう。」

この原点に戻ればよいのです。

しかし漁師の現実は厳しい。
皆さんが想像してる以上に日本の海は荒廃しております。
アテにならぬ回復を待つより育てる漁業に向かうしかありません。

例外的に佐賀関漁協の「関サバ・関アジ」などのブランド化の努力が実った成功例はあるものの、魚は日本人の「天然指向」という頑迷さが解消されるまで先が長いし、天然物はいずれ枯渇する。そもそももう日本にはいないと考える状況にある。

その点、農業は元々育てるもの。まだ見込みはあります。
荒廃から抜け出し得る途があるのです。

農家の努力が報われるシステムを構築すればいい。

良い野菜を求めているのはおいらだけじゃないでしょう。
納得できる野菜なら高値でも買います。

極論ですけどね、
農協とスーパーが無ければ農家は農薬を使いません。

いくらハンパなく苦労する有機無農薬の作物を頑張って作ってみても、小売でイチキュパーで売られて赤字になるんじゃモチベが湧かない。農協の偉いサンの高給払う為に腰を痛めてるわけでもない。江戸時代じゃねぇんですからね。努力が報われない商品に愛情は湧かない。

ですがまぁ両者は簡単にはなくならないでしょう。
ではどうすれば良いか。簡単なことです。

欲しがっている人に直接売ればよい。

現在「無農薬」を謳う野菜は巷に溢れております。
しかし「巨大流通機構」が間にはさまれてりゃ信用できない。

何故か?
「大きな利益が必須」だからですよ。
それが「企業」の宿命だからです。

超大型の店舗に「でかいなぁ~」と感心ばかりしてないで、こんだけの店をこんな場所に作ればどんだけ厖大な金がかかり、そしてその金はどこから生まれた金なのかを考えるべきでしょうな。

ならば生産者から直接買うしかないわけです。
生産者は基本的に「もの作り」です。
億万長者を望む人もいるかも知れませんが、ほとんどは「苦労に見合う対価が得られればそれでいい」って考えです。丸の内に本社ビルを建てて、銀座にアンテナって人はいない。

生産者から消費者へ「良い物を」は、実は80年代から散発的に日本中で試みられており、今でも踏襲する人々は大勢います。大きく伸びるところもあるが概ね顧客を拡大出来ずにいます。

その理由は色々なんですが、最たるものは「安くて良い食品」と言う「妄想」を大手小売に信じ込まされている日本人って構造でしょうか。

そんなモノはありません。

なぜかと言えば「等価交換」はどこまでも真実だからです。
値打ちのある物はそれなりの価格が当たり前。

手抜きの作物しか安くできません。

しまいにゃ「安ければなんでもいい」って具合になる。
他の消耗品ならそれもありでしょう。
しかし食べ物ではあってはならぬ事なのですよ。

野菜だけではなく、海砂業者に肩入れして漁師の味方をしない漁協を通さず、消費者に直接販売できるルートがあれば、漁師だって魚の高品質化を目指すでしょう。関サバみたいな感じです。

そしてもうひとつ。face to face。「顔と顔」です。
商売は人同士の交流。

直売は「市場」でなければいけません。
人同士が交易できる場所です。

会社が仕切るべきではないし大型化・企業化してはいけない。
大型化は団体の利益を訴求し、生産・消費の両者からピンハネする体質に変貌し、結局は既存の企業と同じになり、「等価交換」から遠のいていく運命にある。ここを誤るから失敗例が多い。

楽天が人と人の等価交換を意識してるのかどうか分かりませんが、あの発想には脱帽します。商品を提供するという考えは持たず、販売者と消費者を結びつけるだけの「市場」の本質を貫いている。今後は分かりませんけども、一貫してブレがない。成功して当然でしょうな。そして楽天のショップで成功してるサイトは「人が見える」サイトです。生産者が見えれば見えるほど成功率が高い。

流通の祖とも呼べる「ダイエー」が、創業当初は「産地直送・流通システムの破壊」を標榜していた事実を忘れるべきではないでしょう。「ミイラとりがミイラに・・・」ですな。

生産者と消費者、この中間に入って「見えなくしてしまった」のがダイエー衰退の原因でしょう。企業病もありますが。 楽天は「見える」努力をしている。ここが分かれ目でしょうか。企業病に罹患しない限り(懸念すべき点はけっこうあります)、成長は続くかもしれません。


「野菜は露地物・有機物」
そういう幻影・思い込みを捨てることです。

自然に近いほど良いってのも妄想です。
元々農作物はすべて人工物で天然物ではありません。

美味い野菜を探すのは、美味いラーメン屋を探すのと同じ。
作り手が努力しているところです

食べると美味さに感心するラーメン。
野菜も同じなんです。

美味い理由は生産者の資質と向上心と汗。
それに見合う金額は出しても惜しくない。

その事を深く理解して実践してるのが、先日テレビでも紹介された茨城県つくば市の「みずほの村市場」あたりではないでしょうかね。時々車を出してはるばる出かける理由は、「市場」の意味をはき違えていないからです。美味い野菜が欲しいですからねおいらも。

広く展開する予定だそうですが、早く全国に広まって欲しい、そう思う気持ちと、拡大したあげくの「企業病への罹患」の心配。少し複雑なものがあります。

野菜を摂らないと人間は確実に不調をきたします。
人の病を克服する薬は元々ほぼ全て野菜からです。

だからこそ毒をあびて育った不健全な野菜は本末転倒。
そんなものはいりません。98円でもいりません。

まともな人が作って売っている野菜が欲しい。

その気持ちに「信頼」で応えてくれる農家の人。
そんな人になら「努力と汗の分」を上乗せして払います。

それが「等価交換」ですし、モノゴトの本質だと思います。

2009年08月11日

雪菜と地産地消
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