和食器と盛り付けと飾り皿  

和食器と盛り付けと飾り皿

和食器はとても不思議なものです。
一般的に日常食器として使う安価な器はそうでもありませんが、少しお高い器ときたら、見た目に歪でデコボコであり、どう考えても合理性が皆無。
もしくはド派手な文様や前衛のような抽象的絵付け。

「なんだこりゃ。どこに料理を盛ればいいんだよ」
「盛れないよ、こいじゃ」

だがしかし、確かに「お手上げ」ってのが有りはしますものの、極めて筋の良い器があり、そうした品は同じように一見「ぐちゃぐちゃ」ですが、実は「料理をよせる力」がございます。

その差は何か。
器の作者が「茶」を、あるいは「和食」をどう捉えているかでしょう。

そうした器はどんなに抽象的な景色であろうが必ず「間隙」があります。料理が座る場所であり、茶を服する掌に吸い付く場所です。

その意味はね、一見料理を寄せ付けない非合理な造作であろうと、料理を作る人間にとっては、非常に合理的に見えるって事なんです。

それは「料理を配置する場所が自ずと決まっている」からですね。良い器はほぼ決まってるんですよ、盛る個所が。

つまり料理が散らないってことになります。
それがつまり「料理を引き寄せる力」だと思います。

おいらは値段の桁が違う「美術品」にはあまり興味がありません。嫌いではなくむしろ好きな方ですが、どんな物であれ「機能性」がなくては意味が無いという考え方だからです。ある面で骨董趣味とは正反対。

どんな良い器であっても、「破損に怯えてビクビク」しながら使用する品物は骨董ではあっても「食器」もしくは「茶器」とは言えません。

そんな物で「無心」を楽しめるのは「殿様」くらい。
普通の人間は気になって緊張しまくりでしょう。

そうなると料理の敗北であり、本末転倒。

料理を盛り、食客がその料理を食べ、洗って仕舞う。
この流れに不自然な「滞り」が起きてはいけません。
この繰り返しがスムーズなのが「器の機能」です。

「ならばプラ製の丸皿で充分じゃない。給食用のランチ皿みたいな」
そうではありません。
「美の機能」と「仕事の機能」がどちらも欠けないのが和食器です。

まん丸のプレートには主張と焦点がありません。
それゆえに盛る料理が全て。世界の中心です。
これは【個】の主張になりましょう。

和食器は器と料理が両立してるから面白いのです。
空の器自体に「味」があるが、そこに料理が「お邪魔」する事で、より一層味が深まり、器が持つ「趣」が完成するのです。

これはまさしく【和】であります。
『天地和合』ですな。陰陽が合致する。

空空漠漠にオアシスか。
山紫水明に桃源郷か。

自然の成り立ちは「個」ではありません。
自然は、まったく意味のない配置ながら、実はとてつなく合理的にできております。最近はそれを「生態系」などと言う様ですが、昔の日本人は経験と感覚によってそれを深く理解していました。

良い和食器とは、
「一見非合理だが実は合理的に料理を盛られる」
だと思います。
作者がどう考えるかですが、美術品はまた別のものでありましょう。

 

有田焼(伊万里)と唐津焼

一般的に有田焼は佐賀県有田町で作られる磁器。
一方で伊万里焼は肥前地方(佐賀と長崎の一部、有田・三川内・波佐見など)で焼かれた「肥前磁器」です。

有田焼(伊万里焼)と言えば、柿右衛門様式を思い浮かべます。上品な赤、見事な余白、時には金彩、ある意味で威圧感のあるこの文様が伊万里を主張しています。しかし意外と実用性がありますのは古染付ですね。
伊万里の赤に料理を合わせるのはかなり難しいですよ。

「柿右衛門様式」も残した純白の磁器の素地に描かれた華麗な絵付け。やや「金襴手」が勝るか。


金彩伊万里

景徳鎮からの影響を受けた有田焼初期を思わせる渋い染付。これがけっこう料理とマッチするから不思議。


有田焼 古染濃唐草高台向付

実用と言えば唐津焼でしょう。
磁器の有田も良いが、陶器の唐津はまことに渋い。
向付やぐい呑は見ていて飽きがきません。

茶器処として名を馳せたからか、全ての器に侘びを強く感じます。控えめなグレイを基調とした素朴さはいつまでも眺めていたい気持にさせるのです。

有田に押されて窯元が廃窯を続ける衰退の時期もあったそうですが、現在は多くの窯が復活し、新しい作り手が見事な品を次々発表。古唐津の技法を受け継いだ素晴らしいものばかりです。

久々にご当地を訪ね、色々視て周りました。
大変勉強になるのは良いのですが、欲しくなる様な物ばかりで、どうも困ってしまいます。そんなに買っても置く場所がねぇってのを忘れてしまう。

まぁそれを見越して財布は軽く、カードは持たず。
なにしろ衝動買いを堪えるのは難しい。
なんせこちとら江戸人の末裔
(つまり貧乏性ってこと 笑)

紹介されたお店に顔を出し、呉豆腐を山葵醤油でつまみながら、小城町の天山酒造が造る【七田】をチビリ。当然「ぐい呑」は唐津焼。

「う~ん、こりゃなかなかキレる」
「これが九州、これが佐賀だっての」
(昼間っから酒喰らって、何を意味不明な事言ってんだか 笑)

和食器の寸法は号数で表す事が多く、1号が約3cm、つまり約一寸です。だいたい10号・約30cmくらいのものが多く、それ以上になるとかなり高額になって行きます。

40cmを超えてきますと、「飾皿」が多くなりますね。
下のは金襴手で純日本美人達が花を楽しむ図が描かれた飾皿です。

変な構図ですが、これはおいらが小さすぎるからではなく、皿が大きすぎるのです。なんと90cmを超えている大皿です。林九郎窯タッチの古伊万里様式で、まさに飾り皿ですが、このサイズになればお値段がウン百万円になってしまいます。

飾りとは言っても、いつ頃だったか30名程の宴会にて、このバカでかい皿に『皿鉢料理』を盛った事があります。そのときの感想は「やっぱ飾皿は料理を盛るモンじゃねぇな」でした。

さて、この飾皿もそうですが、一見したとこ我々には『九谷焼』なのか『伊万里焼』なのかとっさに判別がつかないものです。鑑定士ではありませんからね。なにしろ北陸の絶品磁器として名高い「古九谷」は、「実は佐賀の有田で焼かれたのではないか」という話もあるくらいで、このへんの問題はまだ解決されてない様で、それくらい似てる部分があります。逆に有田焼に「古九谷様式」があるからなおややこしい。

それでも『九谷庄三』以降の九谷焼は、伊万里風の金欄手とは確かな違いがありますね。「際立つ明るさ」とでも言いましょうか、「ノイズ」が無いのですよ。くっきりした感じです。対して伊万里は「背景に溶け込んでいる」と申しましょうか、全般に朧な感じがします。

器は衣装。
外出着がおしゃれなカジュアルやしっかりしたフォーマルなら、普段着はトラックジャケットやスウェットで充分。つまりはフッションなんです。したがってセンスを問われるものなのでしょう。

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