和食の盛り付けのセンス


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盛り付けのセンス

若い板前の、料理人としての素質や将来性を判断する最も良い方法は、市場に連れて行くことです。

魚河岸や青果市場にどういう適応をみせるかによって、その若い衆が先々どの様な料理人生を歩んで行くのか見事なくらいよく分かるのです。

早い者は一年以内に仕入れを任せられる様になっちまう。
これは本人が強い興味を抱き、食材や流通などを熱心に勉強しているからなんですね。

まぁそれだけじゃなく、何らかの鋭い勘を持っているからなんでしょうが。その証拠に勉強しても駄目な者がおりますので。これは多分「勉強の仕方」そのものが別方向を向いてしまうからでしょう。

【瑣末に拘らず全体像を把握する】が出来んのだと思います。自分が板前だって事を忘れちまうんでしょうなぁ。

予習的に食材の色々な点を学んでいるので、市場中卸のアンちゃんとの駆け引きも面白くなり、人間関係の結び方も上手くなる。仲買商の若い者と切磋琢磨し、互いに成長する。友達になり、鰻や泥鰌の裂き方を教えてもらうちゃっかり者もいます(おいらもそうでした)
駆け引きは数字を把握してなきゃ出来ませんから、原価計算を素早く行い、儲けを出す方法も敏くなる。

実際に商売をやってみますと、重要なのは「人間関係」と「計算の速さ」の二点だと分かります。

儲けを出さなきゃ食べていけません。
計算は速い方がよい。
人間関係を疎かにすれば、いずれ店にて閑古鳥が鳴きます。

要するに市場には「商売」の基本が全てある訳ですよ。
ですので、市場での仕入れを安心して任せられる料理人ってのは大概において独立が早く、自店を軌道に乗せるスピードも早くなるし、経営を安定に持ち込む者が多いのです。

商売のセンスはそれでだいたい分かりますが、料理人としてのセンスはどうやって判断するか。それは「盛り付け」を見れば分かります。

料理の盛り付け

人間の目は左右についております。
ですから右側と左側の視界は同じであるはずですね。

ところが同じではありません。
人間はほぼ必ず「左側の視界が大きい」のです。
右側の視界は若干狭くなります。
従って自分から見て左側の世界が主体を持っています。

※これは右利きが大半を占める事や、右脳左脳の働き加減に因しているのでしょう。
→視界と盛り付けの関係:和食と健康・目の健康

※庖丁使いもこれに影響されます。
左右を均一に切る庖丁

※「動き」はこれと逆になりますね。つまり庖丁で材料を切る場合など右から左が普通です。これはおそらく脳が左と右の半球ずつに分かれている事と関係があると思います。行動と感覚って事でしょう。

※ちなみにWebサイトのデザインも左上に一番重要な情報を配置します。訪問者は左上から見始めるからです。

日本料理の盛り付けも左が主体です。
「流して盛りなさい」と言われれば、それは左上から右下へ傾斜させて盛る事を意味し、これが基本中の基本『流し盛り』です。右上が淋しくならない様に注意しつつ、実際は左上から右下に流れるように盛ります。したがって下の場合、一番のポイントは鯛の御頭ってことになりますね。

なぜ視線は左から右なのか。
上に書いた様に人間の右利きに大きな理由がありそうですが定かなことは分かりません。ただし漢字の書き順から「しめ縄」を始めとした各種の結びなど、あらゆる部分で左に始まり右で終えるというのが古来からの礼法になっております。

頭が左で尾が右の注連縄(しめなわ)

和食にも色々な面でこの「右から左」に関連した作法があります。
その一つの例が【海腹川背】になりましょう。

海腹川背(1)姿盛り

姿の魚(尾頭付き)を盛る場合、頭を左にし、背を上(向こう側)に盛りますけども、これは「海の魚」のみです。
(カレイだけは反対向きに盛る)

では淡水魚はどう盛るかと言いますと、頭の向きは同じく左です。淡水魚の場合は背をこちら側に向けます。しかしこれだと様になりませんので、実際は「立てて」盛るケースが多くなります。背が上になっている訳ですね。今では多くの店で海魚も川魚も左向き背向こうになっておる様ですが、昔の仕事を守る料亭などで鮎の塩焼を食べてみれば多くがこのケースになりましょう。

海腹川背(2)焼き魚

【海腹川背】という言葉には、二つの意味がございます。
上の盛り方の海腹川背とは無関係にもう一つ違った意味がある。

★魚を割く場合、海の魚は腹から割く。反対に川の魚は背から割く。
★焼く時に海魚は腹(身)側から。川魚は背(皮)から焼く。

川魚は概ね皮が厚くて丈夫なので先に皮を焼き十分火を入れ後で身を焼く。逆に海魚は皮が薄く火の通りが早いので身から焼き始める。

そんなような意味ですが、現実にはこの通りに仕事をしている板前はまずおりません。諸条件によって割き方も、そして焼き方も変化するのが当たりまえですな。

一般的に淡水魚とされる魚は内臓を包むガンバラの構造などにより背開きの方が後の仕事がやり易くなるのは確かですけども、関西と関東で鰻の裂き方が異なるように一概には何とも言えません。焼き方も「盛り付け表から」焼き始めるのが全国的に主流。

さて今日は盛り付け「センス」の話ですから、料理の細かい事から少し離れましょう。「センス」なんていう実体のなさそうでありそうなモンを語るには少々工夫が必要でしょうからね。

まずは人間の視界は左中心である事を確認しましょう。
下の二枚の富士をご覧下さい。どっしりとして安定感があり、いい構図ですなぁ。いやまぁ美しいし、寂も感じさせる荘厳さには言葉が出ない。

ところが同じ富士山でも、下の富士を見ますとなんとなく空虚であり、威厳というものを感じません。

お分かりですな。
左上が抜けて主体が右に寄ると、頼りなくなってしまうのですよ。中心がやや左に寄っていた方が、見た目に重さを感じるのです。

その重さとは「安定感」であり「充実」などです。
構図が左右にずれただけで大きな違いを生みます。

和食盛り込みと日本庭園

日本料理の盛り付けには手本となる存在があります。
それは「日本庭園」です。

日本庭園が表現しているものは、極めて簡単に一言で表現しますと「山と海」です。要するに手本は日本各地に在る「景勝地」であり、それを屋敷の庭で再現したものですな。

どんな名庭園だろうとその基本は同じ事。
「山」が向こうにあり、手前に「海」がある。

手近にある【毛利庭園(六本木ヒルズ)】を見ながらそれを簡単に説明しましょう。

ビルの谷間にかろうじて残る庭園跡は、もう日本庭園と呼ぶにはあまりに寂しく、おいらは可哀相な気がするのでほとんど行く事はないのですが、それはまあ別の話ですのでここでは書きません。

上から見ますと毛利庭園のひょうたん池が「海」に見えませんか?

「山」から谷の合間をぬって流れる川は「海」へ注ぎます。

この庭園の泣き所は上の銀閣寺のような「山」となる建築物、あるいは「山」が無いことです。「跡地」ですので仕方がないでしょうな。屋敷が存在した往時は、素晴らしい造作だったに違いありません。実は小山はありますが、隣接するビルが超高層では存在感は無。

それをカバーしているのが画面中央あたり、正面から見れば「左上」に位置する大きな樹木です。

これによって日本庭園にあってはならない「平板さ」を打ち消す効果を感じる次第です。つまりメリハリが保たれているのです。

複雑精緻で奥行きの深い日本庭園をメチャククチャ単純化して乱暴に説明しておりますが、ここであなたの「センス」を試してみましょう。

これは毛利庭園の「山肌」に相当する箇所を切り取った景色。

これは海の水を砂利にて表現した庭。

「島」も見えますな。おそらく「立神」でしょう。

この二枚の画像を見て「料理」がイメージ出来たら、あなたは盛り付けのセンスがあります。

それ以前に、ここに書いて来た日本庭園のランダムな配置が実は海と山の間に展開されているという内容が理解できれば、それだけでもう盛り付けのベテランですよ。

※和食の盛り付けは和食器との関連が深いものです。
こちらも参考に
和食器の基本

何を目指すか人によって違いましょうが、おいらが目指すのは、下の様な静寂の風景をそのまま料理の盛り付けで再現する事です。



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手前板前.魚山人:The person who wrote this page筆者:文責=手前板前.魚山人