自分の母親の年代ってのは手芸が必須。
にしても、うちのお袋は殊更手先が器用な方。
それを仕事にするくらいですから、普通以上なのでしょう。
高齢になった今でも、律儀に働いております。
「いい加減に辞めて悠々自適の余生を過ごしたら」
そういう声もあります。
けども、おいらは母の好きなようにさせております。
その方が健康で長生きできると思っているからですよ。
辛くて嫌々やってるならともかく、好きでやっていることですから。
母には長生きして欲しい。
それにも増して幸せでいて欲しい。
心底そう思うのです。
無理に仕事をとりあげる「勘違いの親孝行」などする気はない。
母は昔から、祖母に似ず穏やかで静かな女性でした。
祖母はどちらかと言えば「ちゃきちゃき」
おいらは祖母似です。
若い時の母。
やんちゃなクソガキ(おいら)のせいで、何度人様に頭を下げたことか。ペコペコと頭を下げる細い後ろ姿を忘れることが出来ません。
「子供の喧嘩に大人が出るなんて。あたしゃ許さないね」
そう息巻く祖母をなだめすかして家に閉じ込め、いつも母が出た。
(婆ちゃんを出すとお詫びどころか喧嘩になりますので (笑)
母は煮物が得意でしてね、真鍮色の大きな鍋を使い毎日と言っていいほど食卓に何かの煮物を出していました。お小遣いが欲しい下心を持つ鼻タレガキ(おいら)が、隣で手伝うフリをしながらカツオ節を削り、削りたてのカツオ節のあまりの美味さに片っ端からつまみ食いして逆に邪魔をしてたりしましたねぇ。
ある時ふと気がついて尋ねました。
「なんでそんなに沢山作るの?」
量がうちの家族分を超えているんですよ。
「美味しそうにできたからお裾分けよ」
後で思えば、色々と事情があった近所の家庭への差し入れ。
それに加えて料理上手の母は、「煮物は大量に作ると旨い」という料理の奥義を知っていたのかも知れません。
父の何周忌目かの法要の時、母がとても小さく感じました。
なぜだか締めつけられるような痛みが胸をよぎる。
子供の頃、あんなに大きく感じた母が、こんなに小さくなった。
それが凄く胸に刺さるんですよ。
そのあたりからですね、「本気で大事しなきゃ」と考えたのは。
関連記事 旅と母
母は魚が大好きでして、これは祖母もおいらも同じ。
祖母はコハダや貝が特に好きでしたが、母は白身魚。
キンキなんかが大好きなようです。
もうじき母の日。
少し季節は外れますけども、キンキの料理でも贈りましょうかね。
キンキは煮つけが美味い魚。
でも母には煮物は見飽きた料理。
煮物を上回るほどキンキの滋味を引き出すにはコレ。
キンキの干物です。