トロボッチの南蛮  

トロボッチの南蛮

●駿河湾の深海魚

赤甘鯛(グジ)狙いで船を出すと、外道に【ヒメ】という魚が掛かることがあります。別名の「オキハゼ/トラハゼ」の方が分かりやすいかも知れません。この魚はヒメ目という分類。この目の傘下にはヒメ科の他に【エソ科】の魚がいます。「マエソ」「クロエソ」などですな。細くてワカサギ体型だが少し大きくなる。なにやら爬虫類を思わせる外見から「ワニエソ」「トカゲエソ」という奴もいます。

その親戚(※)で深海型にヒメ目アオメエソ科の魚がおります。
これがアオメエソですな。
生息域は水深200~300メートルの大陸棚斜面。
つまり深い駿河湾などが漁場って事です。

※人間による学術的分類であり、魚同士が親戚かどうか知りません(笑)

近縁種に『マルアオメエソ』という奴がおりますが、これは同じ太平洋岸でも関東より北に生息します。 ややアオメエソより小さく目が大きい。なので【メヒカリ】と呼ばれます。メヒカリは福島県いわき市が力を入れている魚ですね。

しかしアオメエソとマルアオメエソは特に区別しません。
両方とも【メヒカリ】の名で流通してます。

このアオメエソ、沼津あたりでは【トロボッチ】と呼ばれてます。
戸田温泉のある駿河湾の戸田漁港は冬場に深海魚が水揚げされます。それでこの魚も、この季節に市場に出てくるようになります。

金目ほどではないにしろ、小さいのに脂があります。で新鮮なものは刺身になりますが、深海魚特有の身質は揚げ物向き。天ぷら、唐揚が向いています。水分を抜けば、つまり干物にすれば他の魚同様旨みが増します。


メヒカリ





●料理は心遣い

和食はね、「包丁」と「器」で決まります。
それは、ほんの少しだけ余分に「心を込める」って意味です。

天ぷらよりも油を吸わない空揚げ。
揚げ方もできるだけ油を吸わないやり方。
揚げたらきちんと油を切る。

何故か。
「食べる人のために」です。
現代人はただでさえ脂の摂り過ぎ。
出来る限り揚げ物は出したくない。
だが揚という調理でしか決まらない料理もある。
だから細心の注意を払って作るのです。

加えて、【食べやすくする】
そして【箸を出しやすい盛り付け方をする】

上のメヒカリの南蛮漬けは「ひと口サイズ」にしてあります。

この小さな器をさらに「料理箱や八寸皿」に盛る。
こういう事が出来るのは「和食器」ならではです。

すべては「一手間」の連続。
「あとひと手間かけよう」の繰り返し。

なんでそうするのか。
簡単です。
それが「和食のおもてなし」だからですよ。

「包丁」と言ったのは切り方のことです。
たとえばカマボコや厚焼き玉子。
普通は真っ直ぐ直線にカットすればそれでいい。

ところが板前の中には「ほんの少し」包丁を動かす者がいます。
縁起の良い「扇の形」を出すためギザギザにするのですな。
あるいはそれが扇面だと知らず「ちょっとした飾り」の気持ちかも。

※これは浪切の一種で、言葉で説明するのは難しい包丁。ですが覚えておくと年末年始に便利な包丁です。もっと細かくした「小波切り」を参考にして下さい。やり方は幾通りかありますが、簡単なのは包丁の先をまな板に接地させたままで、中程の刃だけを左右に動かしなら切り込む方法です。
小波切り

こうした事は合理的に考えると「やらなくてもいい」部類に入ります。まあ、「余計な手間は必要ない」って話でしょう。

しかしね、「合理的」「やらなくてもいい」
それの積み重ねが今の日本の姿じゃないのかな。
と思います。

「人様への思いやり」も「無駄」だと切って捨て続ける。その結果が殺伐とした街の風景と、ギスギスした心根を持つ人々ばかりになった今の日本でしょう。

いいじゃないですか、多少ムダでも。
少しくらい余分に時間を食ったからって眼の色変えてどうすんです。その合理化で何円か利益を出すより、人様を喜ばす方が良い。

ほんのひと手間。
それで「雑」な料理が、人の目を楽しませる料理になるんです。

ナンボ合理化を進めて機械的な世になろうがね、
人間はロボットとは違うんですよ。
「心」がありますから。


もう師走に入りますねえ。
2011年も終わりですよ。
歳月の足はなんとも早いもんです。

今年は本当に色々な事が起きました。
そして思ってもいなかった人々が沢山逝きました。
世は儚いもんだと理解はしてますが、
やはり浮世に残された我々は心が重い。

「もう二度とあの人には会えない」
その現実を認識する。
それは長年心を鍛えてきた大人でも、重い。
それが今年の自分のBlogに反映してる気がします。
そもそも筆が重く、なかなか更新できません。

東京の中心部はやや喧騒を取り戻しつつあります。
けれども世界的な状況をみますと「終了前の蝋燭」という疑念も残る。怪しげな欧米の台所、それがアジアに飛び火しないわけがないからです。

それでもまぁ、
生きていかなきゃなりません。

何がどうあろうとね、コツコツ働いてメシを食っていくしかない。子供たちを学校に行かせ、カミさんの服代を稼ぐ。それ以前に朝晩の【食事】を食べさせる。それが基本です。

どうせ食べさせるなら、少しでも美味しい方がいいですね。
「気持ちが入ったほうがいい」って事です。

複雑な問題が山積した「この世」
だがそんなもん全て取っ払ってしまえば「人の基本は食事」
食べることが基本であり、そこからしか始まりません。

その「裸の基本」すら疎かにして雑になるか、それともほんの少し「心を込めて」作るか、それが「分かれ目になる」 そんな気が致します。

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