包丁を鏡面にする  

包丁を鏡面にする

 

この出刃包丁は、八寸で青紙の霞焼きです。

なかなか良い物で、バランスも自分好みです。

ところで、大きな画像にしたのは「細かな線」を確認して頂く為です。
鉄の部分、平と切刃に注目して下さい。

切刃は刃先のハガネ(青鋼)との境目から鎬にかけて霧が掛かったように霞んでいます。(だから霞焼なのですが)

そして平の部分には全面に斜め線が入っています。
遠目にはピカピカですが、目を近づけると線がくっきりと見えるのです。

これは「木砥目」とか、鉄の繊維とか、そういうものであったりするのですが、包丁を作った人の苦心の跡だと思ってもいいでしょう。

意味もなく線が付いているのではなく、これには色々な「役目」があります。ハガネを補強するとか、大事な役目です。

つまり、これは「完成品」ということなんですね。
線跡が有ることが、この手の包丁の「美」だと思ってもいいんです。

充分にピカピカだし、なにしろ包丁職人が「これでよかろう」と仕上げてくれた訳ですから、このままで機能も申し分ないのですよ。

鏡面」にするには、これに手を加えないといけません。

これはね、
「仕上がった霞焼の美を壊してしまう」
そういう見方もできるのです。

なんで専門家の包丁職人が仕上げた姿を壊す必要があるのか

そういう疑問が出てくるでしょう。

これには二通りの答えがあります。
「わざわざそんな事(鏡面)する必要はなかろう」
「いや、気に入ったからこそ鏡面にしてみたい」

正反対の解答ですが、実は両方共「正解」なんですよ。

要するに、【持ち主が決めること】なんです。

他人の意見など意味がないし、関係ない。
決定できるのは包丁のオーナーだけです。
どうするかは、包丁を使う本人が決めればいいこと。

霞焼包丁を鏡面にする

霞の完成品は木砥目も美しいし、見方によっては「渋い姿」なので、このまま使用するのが正しいでしょう。おそらく包丁の寿命も長くなる。

しかし、おいらはこれを鏡面にすることにしました。
理由などありません。
「この包丁が気に入ったからピカピカにして使う」 それだけです。

さて、平線の有る霞は、平も霞んでいる大半の霞焼き包丁に比べると「かなり上等」だとも言えるんですが、鏡面にする場合、これが大きなネックになります。一般の霞の方が楽なんですよ。

なぜかと言うと、これを顕微鏡で超拡大して見るとすれば、高く鋭い山と、大地の亀裂「地溝帯」のような深い谷が、地平線の向こうまで延々と連なっているようなもの。

とてもじゃないが「平坦」などと言えるものではない。
水平ではないんですよ。

まずはコイツを「地ならし」しなきゃ、何も始まりません。

この地溝帯が残ったままでは、どんなに磨いても時間のムダ。
いかに研磨しても、鉄が鏡面になる事はありません。

この山脈はヒマラヤ連峰のようなモンでね、ちょっとやそっと擦ったくらいで平坦になるようなシロモノではありません。

ですから、「不安になるくらいの勢いで荒っぽく線を消す」必要があります。この山脈がある限り、平坦でなきゃいけない「下地」は出来ませんからね。

いくつかの手段を使い、まずは線を消して平坦にする。

次に下地を完成させる。

ここまで来るのにも苦労します。
が、「鏡面研磨」の始まりはここからです。
先は果てしなく長い。

あらゆる方法を使い、磨いて磨いて、みがき抜く。

この段階ではどんな磨き方がよいのか。
このステップではどの研磨剤を使えばよいか。
どういう力加減で、どの方向に動かせば、霞、雲、鱗などが上手く消えてくれるのか。粉をどう配合すれば輝き始めるのか。

それはね、実際にやってみないと分かりません。

「包丁に同じものは無い」からです。
それぞれに個性が違いますので。

試行錯誤しながら、ひたすら磨き続ける。
その過程で次々と「発見」するんですね。
その包丁がどうすれば輝くか分かってくるんです。

それでも、簡単に鏡面になったりするわけがなく、繰り返し何度も何度も磨くしかありません。

でもいくら磨いても新しい雲が出来るだけで、いったい何時になったら鏡になるのか見当もつかなくなるんですよ。

しかも途中で「磨き傷」が入ってしまう事もある。
300番あたりで傷を消し、それを再び2000番くらいまで戻す。

次は、気に入らないとこが出てきてやり直しとか(笑)

「さすがにウンザリしてきた」

この辺りでしょうかね。
ふと包丁に自分の顔が映っているのに気づく。

人相の悪い野郎がコッチを睨んでいるんですな。

大洋で難破しかかった船の甲板からやっと陸地が見えた。
そんな気持ちになります。

ようやく仕上げの段階ですが、まだまだ終わりではありません。
仕上げにも「前」「中」「仕上げ」「超仕上げ」「艶」などいくつものステップがある。

バフにしても、「ここでは純毛よりもフェルトの方がこの包丁に合う」とかね。ここでもその場その場の試行錯誤と判断が必要です。

ようやくにして、霞んで何も映さなかった包丁が鏡になりました。



鏡面になったらなったで、今度は研ぎ方に苦労します。
霞焼き包丁は「研ぎやすい」のが良いところなんですが、これがまったく正反対になるのです。なぜなら普通の研ぎ方をしたら「霞が戻ってしまう」からですよ。すると鏡面が消える。

でもまぁ、鏡面にする必要のない包丁を無理やり鏡面仕上にすると決めたのは自分の意志ですので、きちんと後々の面倒も見るのは当たり前のことですよ。

「鏡面にしたいから、鏡面にした」

でも仕上げてしまえば終了で、飾り物にしてしまう。
好事家はそれで構わないと思います。

でもね、自分は板前ですから。
いつも鋭く研ぎあげて使う。それが当然なんですよ。


※鏡面が難しい霞焼き包丁

いくら磨いても鏡面になりづらい包丁もあります。
まず不良品として、「練りムラ」のある奴。
イメージとしては「スの入った豆腐や茶碗蒸し」ですな。

貼り合わせた鉄にそういう箇所があったりするのです。
これがそのまま新品で売られているケースもある。

ぱっと見は気づかないが、角度を色々変えて目を凝らすとすぐに分かるような雲です。顕微鏡のミクロ世界では、こういう鉄は火山岩と同じでね、アバタ面の溶岩をいくら磨いてもムダってもんです。

不良品ではありませんが、「紋鍛錬」なども難しい。
同じ意味で「ボカシ」なども無理でしょう。
これは霞とは限らないが「積層(ダマスカス)」も出来ません。まあ層を鑑賞するダマスカスを鏡面にする人はいないと思いますが。


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