庖丁と料理人と和食板前  

庖丁と料理人と和食板前

庖丁の事をどんなふうに語ろうと、そのほとんど全ては既存の書物に書かれていると思いますし、専門家が著した専門書を探索すれば奥行きの深さはキリがないくらいでしょう。つまり、「書き尽くされ」「語られ尽くして」いる訳です。

そうした物事を「二番煎じ」にならないよう、ブログ記事に自分の言葉で書くというのは難しい。どんな角度から切り取り、どんな尺度で庖丁を紹介するかですが、考え過ぎますと一行も書けなくなってしまうものです。

結局いくら考えても、ここでは「おいら流」で語るしかないと結論します。だがおいら流で書いておりますと、「こんな浅薄で下らない記事を書いて、いったい何の意味があるってんだ」という事後感覚に見舞われる。「内容の薄い記事ばかりじゃねぇか。ダメだなオイラは」、それが「ブログの毎日更新」が出来なくなった最大の理由ではないかと自己分析してます。

しかし、心が慰められる事象もあります。
それは「鯔次郎氏」や「たいら氏」の様に「庖丁好きの板前」の存在を知れたことでしょう。彼等は「自分の言葉で」庖丁を語れる板前。しかも「コメント蘭への書き込み」だけでそれを証明してみせる。これは考えてみたら驚くべきことですね。ツイッターではないが、ブログのコメなどそれこそ「つぶやき」と同じで短い挨拶のようなものでしかありません。そんな場で存在感と主張をはっきりと示し、「庖丁に拘る板前」であることが誰にでも分かる内容になっている。それだけ個性があるから言葉を読んだだけで見えて来るものがある。ついでに「一本気で男気のある人間」だっていうのもはっきり分かる。こんな板前を2人もサイトを介して知れただけである意味幸せです。

関東圏に限らず、今ではこのような板前は貴重な部類ってのをおいらは知っております。多くは自分が使用する包丁の名も知らない。

コメントを書く事はないが、他にもこのような庖丁好きが存在し、このブログの記事を読んでくださっている気配もあります。

世の中捨てたもんじゃないなぁ、なんてちょいと嬉しかったりします。その事だけでもブログをやってて良かったと素直に思えます。

 

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庖丁は野菜を切り、肉を切る道具です。
切れないよりは切れ味の良い方が好ましい仕事用の刃物。

しかし世界中の料理人の中のほんの何パーセントだけは、「なんで食材を鋭くカットしなければいけないのか」を考える様になり、その中から「庖丁は単純な道具」ではない事に気付く者が出てきます。

そして「庖丁とは自分自身の姿、姿勢を反映しているもの」と悟る。

背筋をピンと伸ばして仕事をする姿。
その姿は鏡のように手入れした庖丁のみに映るんだと知るのです。

鋭い切れ味は旨い料理の一部だと気が付く。

そのような料理人が作る料理は必ずいつか水準を越えます。自分を磨く人間だけが、見る眼のある人を喜ばせることが可能だからだと思います。美味い料理を追及したいという料理人なら必然的に庖丁に眼を向ける。

不潔な格好をし、切れない錆びた庖丁を使う料理人が凄く美味しい料理を作るという例だって世の中にはあるでしょう。でもね、そんなモンをおいらは食う気になりませんし、それはおいらだけではないはずです。

化学実験場のような工場で、大学出の科学者とトレンド分析係の営業が作り出す味は大衆を満足させる出来栄えかも知れません。しかしそれで満足しない人間が世に中には大勢いるのです。

この食材にはこの庖丁が適し、この調理法にはこの庖丁を使う。
自ら庖丁を砥石に当てつつ、その段取りを頭で組み立てる。

殊に、日本料理を作る板前は、和食とは庖丁が「組み込まれている」料理なのだと段々分かってくるのかも知れません。

手水&出刃庖丁

日本家屋&柳刃庖丁

和室の緋毛氈&本焼庖丁


2010年09月06日

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