握り鮨との縁  

握り鮨との縁

鮨職人になろうと決めたのは比較的早く、8歳くらいの頃です。祖母が贔屓にしておりました店がございまして、子供のおいらもよく連れて行ってもらっておりました。都内のある老舗です。

その店は昔の江戸前仕事をする店でしたので、煮てあるネタも多く、子供の口になじみ易いという理由もありましたが、海老だのズケだのサヨリだの、そして鞍形に包む様に握ったギョク。

そんな寿司ネタがガキのおいらにはまるでオモチャ箱をひっくり返した賑やかさと申しましょうか、見て美しく、食べてもこんな美味しい物がこの世にあるのかってなもんでしてね、驚愕の思いだったんですよ。


そしてなにより鮨職人です。
その店の先頭板(一番板)が粋で格好が良いんですよ。
姿勢が良い、声がよく響き心地よい、鮨は美しく旨い。
ついでに役者の様な引き締まった男前ときてる。

祖母はこう言ってました。
「あの板さんは性根が優しいのよ。でも仕事では出さないのさ、隠しているんだよ。でも隠しきれるもんじゃない、だから色っぽくて男らしいんだよ」

ぞっこんだったわけですな。
うちのばあちゃんは。

でも流石に祖母です。
冷静に内面も見抜いていたって事でしょうか。

男前とは言っても当時その板はすでにかなりの年齢でした。その後独立し、鮨屋の看板を出します。
結局それがおいらの親方ってことになります。

そしてこの人の実家は日本料理のお店でして、父親は和食一本の板前でした。鮨から和食に移行したおいらはその店を選びました。つまりその板前がおいらの和食の親方って訳でして、この親子がともに師匠って按配です。

変な親子でしてね、性格がよく似ておりました。
だからなんでしょう、親子仲はあまり良くありませんでした。
間に立ったおいらは色々気苦労したもんです。
まして鮨をあがったおいらが移動した先が父親の店ときますから、仲の悪さに拍車をかけるみたいで気を揉んだものですよ。

「頑固」でしたな二人とも。
常識や固定観念を嫌うところがありました。
おかげでおいらは何度も「島流し」ですよ。

おいらが独立した後ですら同じこってすよ(笑)
「弟子を流れ板にしてどうしようってんだよ、もう」

その当時はそう思っていましたが、今になってみればそれがなければ現在の自分は無かっただろうと考えております。

「型にはまった物の見方」しか出来ない人間になっていたでしょう。例えば江戸前職人は「回転寿司」の仕事を嫌います。
「速いが鮨じゃねぇ」ってわけですな。
そういったのが「はまった考え方」です。

おいらは友達の回転職人に頼んであえて回転に出向いた事があります。「一手握り」を習得したかったからです。それには一日10本前後の舎利を握るしかないからですよ。江戸前じゃ出来る話じゃない。極めて少数ですが、高速で握ってもちゃんと形に出来る職人が存在するんですよ。そこに興味があったんです。

確かに鮨は四方から包み込んで整えないと形になりません。でも早い握り方を憶えておいても損はしない、別にそれを自分の店でやるわけではないが役にはたつ。

おかげでホテルの宴会場などの催事すし屋台で、100人前を超える鮨を助無しで一人でこなせる様になり、時々声もかけてもらえます。

江戸前板「あんな雑なもんは鮨じゃねぇ」
回転板「タチ板は遅すぎて使いモンにゃならねぇ」
こういったのが固定観念であり、おいらにはそれがありません。

だからと言って回転の寿司が鮨なのかって訊かれるとね、
「はいそうです」と頷く気にはとてもなれませんけど。
1割にも満たない特別な回転職人は別ですが。


*少し補足をしておきましょう。
例えば一般の和食屋や鮨屋では鰻をあまり使わないものです。しかし季節の献立に加えるときもあります。活物を使いたいので冷凍の開き鰻ではどうにもならない訳で、裂かなければいけません。でも普段は使わないし、ましてや鰻屋みたいに量を捌けるわけでもありません。板前といえどこうした物を最初からスムーズにさばける訳ではない。慣れはどんな事でも必要です。

そこでどうしたかと言いますと、鰻屋に習いに出たわけではありませんで、中卸業者を通じて「河岸」に出るわけですよ。午前二時に起きてね。

何故だかお分かりでしょうか。河岸では鰻屋の何倍もの【量】を扱えるからですよ。ムキやサキ、それに丸鮪の解体は河岸の人間にかなう訳がないんですよ。こなす量が全然違うからです。鶏のほどきだろうが同じようなものです。若い時はそうしていましたし、生きたマグロはマグロ船。それをさせてくれた親方がいました。

これが【量をこなす】ということになります。
料理も鮨もある面でこれと変わりありません。
量をこなして「手が荒れた」人になり、雑が身についてしまうのか、それとも違う何かを「速さ」から見出し、自分を一回り成長させるか、それは本人次第ではないでしょうか。



今日も日本のどこかで同じ料理の仕事に携る板前だのコックだの同士が互いに、「あいつの鼻は高い、低い」とか、「あの料理は偉くて、この料理は貧乏臭くチンケ」とか、喧々諤々やってる声が聞こえます。
まぁそりゃあ仕方がないのかも知れません。

でも自分には遠い響きでしかありません。
日本料理の板を現役でやっていても、そして料理人を引退しても、おいらは鮨を握り続けます。
それが三度の飯よりも鮨を好み、人生の全てを教えてくれた敬愛すべき人、亡き祖母へあてたおいらの気持ちだからです。


初春握り二種

シオゴ(勘八の若魚)の握り






雨波貝(北寄貝:和名.姥貝)の握り







Posted by 魚山人 at 2008年


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