節食記 六  

節食記 六

26日目から重湯と味噌汁で補食を始める。
思ったよりも消化器官に負荷を感じない。それで翌日から五分粥にしてみた。朝はジュース、昼は蕎麦。夜に五分粥を小茶碗一杯。梅干とおろし大根にみじん切りのメカブを少し。

30日目からは思惑通りに朝昼抜きの夕食だけという形にできた。
しらすおろし、芋と豆腐と烏賊の煮物、味噌汁という次第。これに梅干を入れて一汁三菜。

このような品は普通酒の肴にすればペロリと消える程度でしかないのだが・・・・なんという贅沢で嵩の大きな料理である事か。和食の惣菜とはなんと滋味に満ちていることだろう。


玄米はまだ食べない。主食は適度な蛋白と炭水化物をお惣菜風の煮物で摂る。煮物だけでは厭きるので、日替わりで鮭や鰹や鮪を蒸し焼きにしてほぐした身を食べる。焼物にしたほうが食味は良いが、蒸す事で余計な脂が抜けるからである。揚物は当分の間避ける。


健康面は良好なのだが、精神面に少し揺らぎがあるように感じる。
物事の捉え方が変化している様子である。宇宙との一体感を感ずるのかといえばそんな奇特な現象が自分に起きるわけもなく、むしろその逆であり、矮小感とでも言うべきか、あまりにも全てが小さく感じてしまうのである。なんとういう些事に日々捉われて我々は生きているのか・・・


そして「食欲」とはいったい如何なる欲であるのか。

 


最初の人であるアダムとイヴが善悪の知識の木の実を食べたせいで、人間は額に汗して働かなければ食料を手に出来なくなったと旧約聖書は云う。さらにはそのせいで食欲から派生するかのように次なる欲望、性欲も誕生した。そこから独占欲や我も派生したのであろう。しかし神が真におそれたのは善悪の知識の木ではなく、命の木の実を人間が食してしまう事であったともいう。しかしそれならなぜ神は善悪の知識の実を食べてはいけないと命令しておきながら、命の木の実を食べるなと命じなかったのか。


【命の木の実】とは何か。


ロシアやインドに多数存在するブリザリアン(BRETHARIAN)
かれらがその実を食べているのでないのか。


まぁこれは妄想であろうが、しかし人間をみるに「食欲」という罠にはまったとしか思えない気もする。酒を飲みすぎれば必ず気持ちが悪くなる、少量ならば血流が良くなり気分爽快で調子が上がるのに、量を過ごせばそうなるのである。(個人差はあるがそれを論じても意味が無い)食事でもまったく同じなのだ。満腹して気持ちが良いと言うのは錯覚で、これは脳がヒトを欺いているといってよく、体内は危険なくらいグズグズになっているから本当は気持ち悪いはず。脳は人体に寄生してる生物のような振る舞いをする事もあるのだ。ブドウ糖を求める自己中心的行動。(断食中はこの逆に脳の満腹中枢を刺激する物質が血液中に現れて脳を誤魔化す)


変な寄り道をして変な文を書いてしまった・・・・・


自分でも驚いたのは胃腸休眠状態から徐々に食べ物を摂り始める補食期間である。予定で10日かかるはずであったのが、わずか4~5日で固形食に戻れた。(米は食べていないが)この短さは極端な節食を約1ヵ月続けても体内器官がどこも異常を起こさず、健康でいたからだと思う。その最大の理由は人参ジュースと考えても間違いあるまい。たぶん水だけ断食であれば仕事を維持したまま補食するのは困難だったと思う。
人参と林檎、それにゴーヤ等の青野菜を皮付きのままジュースにしたものだが、脂肪・蛋白など一部を除けばほとんど完全食品ではないかと思う。


これだけ飲んでいれば他に何も食べないで生きてゆける確信に近い思いがあるものの、今はまだそうする事は出来ない。
朝と昼はこのジュースのみ、夜に和の一汁三菜をアゴが疲れるほど何度も噛んで食べるというスタイルを当分続けてみる。週一で完全断食をはさむ。


この時期の注意点は胃が活動を始めた事による「食べ過ぎ」である。
胃がつねに鳴り、「もっと食べ物を入れてくれ」と騒ぐのである。また何を食べても以前より非常に美味に感ずるからやっかいである。しかし催促に負けて誘惑のままに食事をすれば、節食期間が無に帰するだけではなく、それ以前よりも健康状態は悪くなり、しかも間違いなく節食前にはなかったデップリ脂肪腹になるのは分かりきっているので、胃の叫び声は無視しなければいけない。
もし仮に白米を丼の一杯食べたら、快感は食べてる瞬間だけで、その後は苦痛でのたうつ結果になる。最悪の気分が数日続くであろう。

 

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