節食記 一  

節食記 一

和食に魅せられて板前業界に飛び込んだのが10代。その後曲折はありましたが、幸運にも今まで板前を続けてくる事ができました。長い年月だった様な気もしますし、あっという間だった気もします。

野の菜を嗅ぎ、畑の野菜を漬け、沿岸に押し寄せる魚を焼く。そんな和食に関われたのは日本人として料理を作る立場じゃなくても幸せなことでした。

しかし時代はもう取り返しがつかない地点まで来てると思います。
日本人は少々鈍感でありすぎたとしか言い様がありません。

農地を担保に外国に製品を輸出し、農家を壊滅に追い込む。
沿岸をコンクリートで固めて、砂浜を浚い沿岸を荒廃させて、漁師を廃業に追い込む。美しい国土と自然を外国に売ってるのと同じですよ。なんで後世の事を考えないか。
これが売国奴じゃなくて何です?
その結果現在の食糧自給率はどうです?危険レベルもいいとこですよ。子供達の未来を切り売りして殺風景な国土を残し、わずかばかりの経済大国になったからってそれがどうしたんです。国民が幸せになりましたか?企業にしか金が回らないこんな世よりも、少々貧乏でも地に足が着いた生活の方がいいじゃないですか。

金があれば食糧には困らないってのは幻想ですよ。地球人口はまだまだ増えるし、農作物は基本的に自然が左右します。
何で天変地異が起こらないと断言できるのか判りません。国民の命の糧である食糧を外国ばかりに頼る神経が信じがたい。命を何が起こるか分かりもしない貿易なんてものに預けて不安を感じないのは何故なのか。国の安全保障に関わるからこそ外国は農業や畜産や漁業を保護するのが当たり前なんです。日本はなんでこんなに危機感がないのか。

原油高騰で漁師が困ってるのに政府はまるで他人事。自業自得で凹んだ銀行やゼネコンには天文学的な税金を投入してやったくせにですよ。狂ってますよこの国は。コメ農家にも野菜農家にも外国と競争しろと言う。できる訳ないでしょうが。米や豪みたいな広大な農地が日本のどこにありますか。馬鹿な競争原理に振り回され自分がコメを食べる民族って事を忘れ、マックを生涯食べてろって言う。冗談じゃありませんね。

薬まみれの野菜や肉を買わされなきゃならん立場になっても、今の日本人は逃れる方法すらない。

食糧も原油も天変地異だけじゃなくて今じゃ詐欺師の様な金融屋が値段を好きな様に動かしています。泥棒に命を預けてるって事に気づかなきゃいかん頃でしょう。

しかも必要以上に飽食して、身の丈に合わない脂肪を身体に纏う現在の姿はどうですか?日本人の美とはとても思えないんですよ。


腹満つれば魂失う

食はそれでいいんでしょうか?
そうではない気がいたします。今まで美味を追いかける人生でしたが、【枯れた井戸の底にある水】が真の美味しさなのではないかと思うようになってきました。美味珍味を追いかけすぎて、根本が狂ってきたとしか思えんのです。
求める物が違っていたのかも知れませんね。

自分にできることは何か。
それを考えてみれば、結論は「食を減らす」しかありませんでした。
実験的なもので先はまったく分かりませんが、板前の仕事にも多分支障は出ないと確信しましたので、節食の日々を、書き方を変えた日記ふうにしながら綴ってみます。


なぜ 摂食 ではなく、 節食 なのか
本来は「節食日記」ではなく、「摂食日記」と表記すべきものです。しかしながら、摂食という語は栄養科学などのテクニカルなイメージが強い。それも勿論大事なことではありますが、自分は「結局いかに精神のストイックを維持できるか」 これがすべてだと考えます。己の欲を抑制できるかということですね。どうやって自我を節すればよいのか。これがないとテクニカルも意味がありません。
字義的には【摂生】になりましょうが、【節制】のほうがこの目的に適った字であると思うのです。


 

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本当の美食とは何か 【節食記開始】

美食とは舌を汚す事ではない。
洪水の様に味蕾に情報を与えることではないのだ。
むしろ情報を捨てていくのが美食である。
つまり【浄化】である。

愚鈍化した舌は肥満した肉体と同義。
鋭敏さを期待するのは愚かなことでしかない。

これが積年の結論である。
金にあかせるグルメは笑止。


2008年7月。
想いは確信となる。
あとは実践してみるのみ。


「霞を食べて生きる仙人」は伝説ではない様だ。(霞=水)
人が水だけで生きられるのは事実なのであろう。
現実に目の当たりにしては否定することもできない。


しかしいきなり自分がそうなれる可能性は薄いし、そうならなければいけない必然性もないし、食を追求する人生を放擲する気持ちもない。


【人は食べなくても生きられる 山田 鷹夫著2004年】 という本は読んでいない。ページをめくり違和感を感じたからで、少なくとも自分が読むべき本ではないからだ。必要なのは栄養専門書であろう(信頼にたる種の)
神がかりや宇宙エネルギーなどには関心がない。宗教的側面は冷静な判断を狂わせるのみ。そういった方面への興味は皆無。関心があるのは現実的側面であり、科学的に証明可能な事象である。

興味が無いわけではない。断食療法に治療効果があるのは承知しているし、体質を改善することも知っている。
断食療法は基本的に「期間断食」である。一週間から三週間くらいの間水だけないし少量の栄養補給もしつつ過ごし、体内の老廃物を排泄せしめ、自己治癒能力を引き出す。

断食に入る期間と通常食に移行する期間が大変に難しく、素人がやれば危険ですらあるのは、この期間の難しさにある。また無事に通常食に移行しても栄養不足に追い込まれた肉体は脂肪を溜める方向に向かう為にリバウンドの可能性も高まるのでダイエット狙いだと失敗もしやすい。
だが概ね身体に好影響を与える治療法なのは過去6回ほどの断食実体験により確認している。

しかし「不食」と「断食」はまったく別次元の話なのだ。
不食とは「継続的に食を断つ」ことを指している。期間断食ではない。

常識では不食=(栄養失調・飢餓・餓死)になる。
宗教家やハンストならばそれでよいし、地球上には望んでないのにその立場に追いやられる人々の数も多い。食糧不足による飢餓である。一部に全てが集中してしまう人間世界の浅ましい原理による被害者である。

これらとは別でなけばいけない。
栄養失調・飢餓を回避し体質を変化させてしまう事に要諦があるのだ。
それが可能か不可能かは他人の事例をいくら観察しても意味がない。
自分でやってみる他はないのだ。

しかし自分の目で確かめたとはいえ、いきなり水だけ生活に入って、無事にあのような人々の仲間入りができるとは思っていない。
「失敗した」と笑ってすむ事でもない。

食を断ち突然BRETHARIAN達と同じ独立栄養生物になれるなどと考えるのは間違いだと思う。
基礎代謝量1600キロカロリーは必ず消費する。
食物を摂取しなければ基礎代謝量は1200キロカロリーに落ち、筋肉、そして脂肪が分解されエネルギーに使われる。
脂肪量が多い人間なら理論的に3ヶ月ほど水だけで生きてゆけるだろう。
しかしそこまでだ。ブドウ糖、グルコース、脂肪酸、ケトン、すべてはいつか底をつく。その後は組織の破壊しかない。つまり死ぬしかない。
BRETHARIAN達はこのケトン以降に何らかの栄養補給装置のスイッチが入ったと考える他はなく、それは特異体質への移行であり、誰にでも普遍的に現れる現象だと思うのは危険すぎる。普通は移行に失敗するからこそ人は餓死するのである。

組織が破壊される瀬戸際で肉体に変異が起きたかどうかを察知できるかが全てなのだ。この判断を間違う事は絶対にできない。
それは自分の身体が教えてくれるはずだ。肉体的な快調が持続しつつ食への欲求が消えたら成功なのであろう。(BRETHARIANの多くは「快適」な移行は無いと言う。「死にそうな不快感」を乗り越えるのが常らしい・・・)
どちらにしても長い時間をかけるべきだと思う。


低栄養状態を持続させてみてはどうか?


節食である。
断食療法みたいな急激な変化は起こらないかもしれないが、スパンが長くなるだけで効果は同じだと思うのだ。

まずは一日一食から始めてみる。
決して完全不食を目指すものではないと自分に言い聞かせる。
今までの経験から二食を断つ事に対して恐怖心はない。
疑念も不信もないし、万が一の場合の対処知識も頭にある。
低血糖発作を避ける方法も考えている。
体重減少が著しく、止まらぬ場合はストップするべきだ。
肥満体型ではないし体脂肪もあまり無いので多分マイナス15~20%あたりで止まるはずだ。死線である45%減などにはならないと思う。

難しいのはたんなるダイエットとの境界線である。炭水化物ダイエット等に酷似してしまうからだ。痩身法などに関心はない。結果的にダイエットに終わらぬ様な配慮をすべきである。

当面の具体的目標も必要である。
血液の酸化(アチドーシス)だ。一定期間ごとに尿を検査してもらい、「ケトン体」の有無を調べてもらう必要があるだろう。

大病を患った経験は一度もなく、健康を維持してきたが身体に支障がないわけではない。
5~6年前から右肩甲骨の辺りの広背筋に炎症が現れて時々激しく痛む。いわゆる四十肩・五十肩(肩関節周囲炎)に近い症状だがそうではない。5年も続く五十肩は無いはずだ。病院や針灸治療も効果が無いし原因も分からない。ただし自分で思い当たるふしはある。発症に遡ること数年前に受身の間違いなどで首に大きな衝撃を与えた事が何度かあるのだ。おそらくそれが原因で頚椎がわずかに損傷し、加齢によりへたりとして現れたに違いない。レントゲンでは確認できないが、第三頚椎あたりに支障があると思う。おそらくムチ打ち症に近いものではないか。

これが快癒に向かうのかどうか。ひとつの目安である。
炎症が老廃物によるものであるなら効果はあるに違いない。

断食によるメカニズムはこうだ。
もっとも重要なエネルギーであるブドウ糖は半日分しか体内には存在しない。それが補給されなければ身体は副腎皮質から糖質ホルモンを分泌してグリコーゲンを求める。余剰物質を溶かし糖に変換するのだ。炭水化物(糖)を食べなければそうなる。この余剰物質に病変を起こしている組織も含まれる。

また生命維持に重要な臓器は常にたんぱく質を必要とする。摂取が不足すれば浮腫や腫瘍や炎症といった病気の細胞をたんぱく質として消費してしまう。これが「自家融解」である。

もっとも重要な点は食物吸収に使う大量のエネルギーを排泄や解毒に振り向ける作用である。結果的に血液の流れが良くなる。人体を覆いつくす血液が浄化される意味は考えるまでもない。人間の生命は血液が左右しているのだ。(正常な組織まで分解し始めたら〈飢餓〉である)



最終的には腸内に新たなる「菌」が発現するかどうかである。
栄養学的にはあり得ない必須栄養素体内生成はあるのか。
体内細胞たちはいかなる変化をみせるのか。
長い時間を覚悟しなければいけないだろう。
いずれにしろ1ヵ月に一度は検査が必要だ。
医師に説明するのは難しそうだが・・・

具体的にどんな方法を選ぶか。
必須ミネラル・ビタミンはいきなり断つべきではなかろう。
微量のたんぱく質もだ。急激に筋肉を破壊してはいけない。
ブドウ糖を補給しなければ仕事ができるわけもなく、卒倒する。
逆に言えばこれ等を最低限補給していれば食事の必要はない。
有名な石原先生のジュース断食法を手本にしようと思う。
これなら血液の電解質バランスが崩れる怖れもない。

基礎代謝量と栄養失調・飢餓のギリギリの線に自分を置いておく。
つまりはそういう事になる。
最初はともかく、いずれは日に一食の「楽しみの食事」はする様にもっていく。【美食】を放棄する意図はない。それは経過を見ながら判断していく。

一番大事なことは自分の職業が料理人である事との折り合い。

しかし料理人として重要なのは舌であり、胃腸ではない。
舌自体は調香師の鼻と同じ。調香師は対象を体内に入れない。

体内の浄化は舌の浄化にもなるはずだ。
したがってこの行為に矛盾は感じない。
健康を損ないそうならば止めるだけだ。


食事例
煮豆
椎茸戻し汁だしの自家製国産大豆味噌汁 具は生海苔
人参や林檎と野菜青汁のミックスジュース

2008年7月
一日目

人参二本と林檎一個を皮を剥かず芯も抜かずそのままミキサーでジュースにする「石原式ニンジンジュース」を飲む。
これによりほぼ全てのミネラル・ビタミンを補える。

夕方頃軽い目眩がしたので、生姜湯(葛・黒糖入り)をコップニ杯。
その後黒飴をしゃぶる。目眩はすぐに治まった。もちろん炭水化物が不足したことで血糖値が下がったことによる。半日でブドウ糖の体内備蓄は無くなるからだ。

夕食はたんぱく質の補給。大豆タンパク。
汲み上げ豆腐にあたり胡麻とネギと鰹節削りに特性ポン酢。
便意が無いので繊維質を摂る事を考え、ゴボウの叩きを食べようかと思ったが、胃腸を蠢動させる負担を避ける為、その豆腐(1丁)の上に繊維の塊である「ふすま粉」を振りかける。

夜に料理の味をみる為食べ物を口に入れなければならぬ事を再認識するも、嚥下しなければどうという事はない。口中で噛むだけで胃腸に落とさなければよいのだ。さっそくと言おうか味覚が鋭くなっている気がした。

この日口にした物。
野菜ジュースをコップ三杯ほど。
豆腐一丁。
生姜湯を三杯。
黒飴を五個。
水(茶やミネラルウォーター)はなし。
飢餓感はまだなし。

 

メタボは必然
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