泥酔、喧嘩、失業、愛する者の貌  

泥酔、喧嘩、失業、愛する者の貌

歩道にうつぶせに寝ている。
身体が鉛の様に重い。
頬っぺたをアスファルトにめり込ませ口をだらしなく開けている。
起きなければいけないと思う。
何故この状況になっているのかが分からない。


しかし麻痺したように身体は動かない。


道路の向かい側に店の明かりが見える。
あそこで働いていたのだ。つい先ほどまで。
暫くして気力を振り絞り転げる様にして道を横断する。


店の入り口まで来た。が、敷居が高い。
想い出した。些細な事で上司と喧嘩をした。
そして捨て台詞を吐き店を飛び出した。


自分はよく働き店に貢献している。
上司や同僚の受けも良い。
ならばと扉に手をかけるが、またも躊躇する。


何度目なのだ。こういった事を起こしたのは。


もう暖簾を潜れない。帰ろうと想う。
その瞬間自宅で待つひとの顔が写真の様に頭に浮かぶ。


どう説明すればよい?
幸せにすると約束したではないか。


割れ鐘のように痛む頭と忸怩たる想いが交錯。
佇んでいると後輩が外に出てきた。


「大丈夫ですか***さん!」
「いや・・・・・**さん(責任者/店責)はいるの?」


「います」
「悪いけどちょっと呼んでくれないか」
「ちょっと待って下さい今すぐ呼んで来ます」


暫くして戻ってきた彼は気の毒そうに言う
「***さん、忙しくて手が離せないそうで・・・・」
「そうか。すまなかった」


自分の年齢はまだ若い(のか?)
どうにかなる。どこでも勤まるはずだ。
自分自身にそう言い聞かせるが、どこか虚しい。
初めての経験ではないからだ。
そして愛する者に言い訳する理由が見つからない。


よろめく足取りで反対方向に踏み出す。
その瞬間背後から太い声がした。


「おい」


店責だった。大先輩でもある。
逃げ出したい気持ちだが足が動かない。

 


その店責が自分(おいら)だったところで目が覚めました。夢ではよくある入れ替え・主従逆転現象ですね、一人称というか、何なのか分からない夢独特のやつ。

あまりにリアルで目が覚めても暫くは現実との境界がはっきりしませんでした。
浮かんだ女性の顔、そのひとに対する申し訳ない気持ち、なさけない自分、麻痺したように動かない体と痛む頭。それらが現実としか思えないほどの重さでのしかかって来ました。


なぜこんな夢をみたのか考えてみました。
結論から言いますと、「男なら誰でも持っている普遍的な焦燥感」が具体化した場面であるって事ですね。生きていればいつこういう目に遭うか分からないし、起きても不思議ではないシーンなんですよ。
これと同じような経験や、まったく同一とも言える場面を実際に味わった男性も少なからずこの世にはいるはずです。

小賢しい「夢分析」なんぞするよりもね、まだ他人の気持ちに立てる想像力の欠片が自分に残っている事に安堵する想いでした。

ひとの痛みをまったく想像できない人間になるのが一番堪えます。
そんな人間ばかりだからと、自分までもがそうなっていいわけではない。


繊細に脆い神経では思春期の子供と同じで他人と渡り合えないのは事実。だからこそ齢相応に「図太さ」もなきゃいけない。青臭い青年ではいられませんからねいつまでも。

しかし図太さイコール無神経・想像力の欠如であってもいけない。
無神経で無礼な人間が多いから腹がたち、気がつけば自分も無神経になっているのはよくある話です。

図太さとは「柳に風」であって、腹をたてることじゃありません。


傲慢であってはいけない。
なんだか得体の知れない漠然とした不安を完全に失くしてしまった時に、人は傲慢になってしまうんじゃないですかね。
自分は井の中の蛙で不勉強。何も知らない無知である。おいらはそう思いますし、この思いを失くさないのが肝心であるとも考えていますが、それと同時に無神経な人間に対して心が折れる様な軟弱さは捨てるべきであるとも思っています。

愛する者の貌。それが頭に浮かばなくなった時、人生は黄昏時を迎えるんじゃないでしょうか。あるいは「人間」としての終わりと言えるのかも知れません。


Posted by 魚山人 at 2006年










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