食材への贖罪



人間の原罪を食から考える

【動物とヒトの未来】人間と自然は絶対に共生できない

~【野生】の動物
野牛は自然保護区にしか存在せず、日本には犬すら存在しない。
人間以外の動物の運命は2つしかないって事だ。
「人間に食われる」か「ペットにされる」(動物園など施設の奴も含む)

自然界で人間と距離をおいて生きようにも、地球上の陸地(あるいは海も)はすべて人間がその権利を有している。

つまり全て人間様のものってわけだ。
静かに暮らそうとしても必ず人間たちが介入してくる。

いつの日か、全てを「喰らい尽くす」のは必然だ。

そうなれば「製造する」しかあるまい。
げんに牛などはもうはるか昔から「製造」されている。

「魚だけ例外」
それは無理なのだよ。

人の世の「経済」と「人間の数」が膨張を続ける限りね。

ヒトにおいては「動物」も稲や麦と変わらない。
育てて食う。それだけの存在。
それが「文明」であり、我々はその延長線で生かされている。

その「ヒト文明の本質」を問わずに、動物の保護や環境保護を唱えても意味はあるまい。

本当に「自然と動物の環境」を残したいのなら、人間側の社会構造を変革させる運動をすべきだ。

牛肉を食べて肥え太った連中がクジラやマグロを守る姿は偽善の度が過ぎて、まるで漫画。

ヒトの人口が適正化に向かい、果てしない経済成長という欲を縮退させる。
それで自然に地球の動植物は復活して、自然界は繁栄する。

人間の側をどうにかするしかない。
それが本当の「環境保護だ」

具体的には貧困や格差をなくし、欲張らなくてもすむ社会を目指す。だろうね。安定して不安が無くなれば、人口は必ず減っていく。

不可能に近い課題だろうが、この世には「環境保護団体」が山のようにある。その連中がすべてこの問題に取り組めば、少しは良くなるかも知れないね。

【料理とヒトの耐性】コメントより

人は昔から動物に様々な比喩をあてはめる。
最たる例が「このケダモノ」とか「犬畜生」とか。
まぁロクなもんじゃありません。

ハモもそうですがね、「お前らヒトにだけは言われたくねぇ!」でしょうな。何故かと言えば人が動物にあてはめる悪行は「ヒト特有の性質」だから。

動物の代りに言いますとね、「ケダモノはお前たちヒトだよバカヤロウ」です。

必要もない食を喰らい
必要もない争いをして
必要のない殺戮をする
意味もなく他者を襲い、欲の為に他者を蹴落とし犠牲にする。

そんなもんは人間の特徴であり野生動物にはほぼ見られない。

つまり自分達人類の悪い部分を全部動物になすりつけている訳です。
(逆に言えば、「動物への愛情」も「おしつけ」の1種なのです。

「あなたは動物の気持ちを考えたことがあるのか!」とヒステリックに怒る人がおりますが、動物が人間の言葉を喋らないかぎり、それは「自己投影」にしかすぎず、その人の「妄想」以外のなにものでもありません。つまり「自分はこう思っているから相手もそう思うに違いないという"傲慢さ"の裏返しなのですが、ヒステリックになってしまう人にその事実を指摘しても無駄というものです。

それは野生動物の世界を観察すればすぐに理解できること。

言うならば人類は「暴君」。手に負えない「破壊者」です。

自然保護活動をされてる方を否定するものではありませんが、おいらは【人間と自然は絶対に共生できない】と思います。

人間が自然に入れば「破壊」せざるを得ません。
動物たちとは違う「根底から根こそぎ壊す」破壊です。

そうしないと人間は生きる場所を自然界に確保できないのですよ。

人類が滅亡しないと考えて遠い未来を予測するとね、

①自然を完全に破壊して地球から野生動物と緑が消える

②自然保護に成功。人は都市に引きこもる

このどちらかでしょう。

②を少し説明しましょう。
SFによく書かれるモチーフですが、外界と切り離した「自己完結型」の巨大都市の事です。

初めは緑の自然から離れた場所に外部と切り離した都市を構築して、人類はそこから出なくても生きていけるという形。

やがて未来技術が成熟すれば都市そのものを巨大ドームで覆い、外気とも遮断してしまいます。

これによって人類と地球の自然は「完全に住み分ける」ことになります。人類に自然保護の気持ちがあればこの道に進むでしょう。

自然を残したければ「人間がいっさいタッチしない」方法しかないからです。

ですがまぁ、大勢の人様に放射能を浴びせておいて、警察にも引っ張られずに、誰一人責任も取らず、おまけに賠償金まで被害者であるはずの国民から全部ぼったくって、自分たちは一銭も払わず済まそう(電気代値上げと税での賠償)

ナンテコトがまかり通る狂った世の中です。
まず①に決まりでしょうな。

記事 [麦藁蛸に祭鱧、中秋に忘人] から引用