『差し水』と増上慢  

『差し水』と増上慢

ある目的の為の視察準備に忙殺される日々が続いています。
この種の事柄は実際の実行日程よりも常に下準備の方が手間が掛かるものです。「楽しみ」の一種だと解釈できるのかも知れません。子供でいえば『遠足前夜』ってところですか。

ところで固い物を加熱する際に、沸騰湯で一気に茹であげると「シン」が残ってしまいます。そこで考えられた料理の手法が、グラグラ沸き立つ湯を静める為に冷たい水を少々加えてやること。
これを【びっくり水】と言ったりします。要するに【差し水】です。
これが出来ない場合は「むらし」です。その代表が毎日食べてるご飯になりますね。炊きに20分、その後「むらし」に20分をかけないとシンのあるご飯になってしまうという訳。

これは何気ない料理の知恵でしかありませんけども、よく考えてみたら奥行きが深い知恵だという気がしませんか。

グラグラ沸き立ってしまうのは何も料理の湯だけではありません。

【場】もそうです。
【人】もそうです。

【沸点で荒れ狂う物質が周囲を包んだらシンまで火が入らない】

生半可なモンになってしまう。
じっくりと芯まで煮えていないハンパモン。

相手が【自然】ならばほっておけば収まりもします。
「嵐が去るのを静かに待つ」って言葉通りにね。

しかし人の手が入ったものは何処かで何か対策が必要。

それが【差し水】なんです。

祭りの時に若い衆同士頭に血が昇り喧嘩がおっ始まる。
そしたら大量の冷水を頭からぶっかけますよね。
これだって一種の差し水ですよ。

この冷水を人様の頭じゃなくて、
自分の頭にぶっかけなきゃいけない事もある。

色恋人情沙汰、勉強疲れの熱い頭、短気の虫、心に芽生えた悪事の種、裏切り、押さえきれない欲の疼き。
こんなものを鎮めるにも「びっくり水」は効果的です。

しかし「シンのある半端モン」を作らぬ為の差し水ですよ。
ですから一番の効果は「ピノキオ症候群」でしょうな。慢心です。

驕り高ぶりってのは中身が薄い事の裏返しです。
空っぽでシンが無いから増上慢につかまる。

芸能界を御覧なさい。とは言いません。
明らかにあれは大人の責任で子供達に罪はない。
水を差す人間が周囲に皆無だからでしょう。
可哀想に「シンの残った煮物」になってしまう。

他人にふってるだけじゃいけませんね。
自分自身に対して、何時、どんな形で、「水を差す」か。
それを忘れないのが肝要だとおいらは思います。

湯はね、沸騰させぬが良いんです。
水なら70度くらいがいい。
「煮えきらない人間」にならぬには、
温度が低すぎても、そして煮沸していても駄目です。

もちろん比喩で言っています。分かる人は解るし分からない人は判らない、これはもうどうにも仕方ない。物事は頂きを極めてはいけないものもあるんです。

魚山人と言う事象にも水を差し、おのれ自身にも冷水を浴びせる。
それが煮物を作る板前としての知恵なのではないでしょうか。
増上慢など無縁でいたい。
ですから、
沸かさぬ方がいいんですよ・・・・・


Posted by 魚山人 at 2008年

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