自分に向く職業  

自分に向く職業

人前で喋るのは大の苦手です。
ですからそういった状況が予想される話は全てお断りしてます。
しかし世の中には【義理】っていうやっかいなモンがありましてね、どうしても断れないケースが出て来るもんなんです。実演を交えた講義とかですな。

仕方がねぇですから前の晩にフーテンの寅さんのビデオを観ましてね、車寅次郎を自分に憑依させまして、当日はシャツの下に「サラシ」をギチギチに巻いて出かけます。(勿論キ印に刺される事を慮った仕儀ではなく、気合いを入れる為です(笑)

で、そういった場所に行きますと、周囲から当たり前の様に「先生」呼ばわりされる訳ですが。これがもう嫌(笑)。何故かって言いますと、おいらの中で「先生」ってのはイコール「嫌なヤロウ」だからですよ(その理由は後述)。だから小馬鹿にされてる気がするんです。「おりゃあ、おめえの先生やった記憶なんぞねぇ!馬鹿にしてんのかこの野郎」って腹で思うわけ(←偏屈っすかね、これって(~_~;)

しかしまぁおいらだって大人です。
いちいちそんな気持ちを表面に出してたらば子供ですな。それで歩ける程世の中ってのは柔らかくありません。靴を履かないで歩けないのが浮世なんですよ。なのでまったくクールに受け流しております。

それで酸素不足の金魚みたいな講義を済ませた後で庖丁なんぞを出して野菜を切って見せたりするんですが、ある生徒さんが挙手をしてこう問うわけです、

「先生、自分はどうしても大根の桂が剥けません。さんざん練習したんですが駄目です。どうしたらいいんでしょうか。もう料理人はやめた方がよいですか?」

 


言いたい事、そしてその気持ちも凄く分かります。
ですが最低の質問ですな。
いっちょうまえの板前やってる連中はスルスル剥きますよそりゃ。
けどね、その板たちが「最初からスルスル剥けたわけじゃない」って事。

その連中は「どうしたらいいんでしょうか」なんて言葉を黙って呑んで、そして越えてきてるから現にスルスルなんですよ。出来るまでやるか、あきらめるか、二つきりしか答えは無いでしょうよ。

まぁそんな本音を言ったんじゃ授業になりませんので、その場では基本的な構えと力の加減、ぶれない持ち方などを教えました。そして件のその方には終わった後に声をかけてみました。捨て置く事ができない困った性格ですから。

「確かに先天的に器用な人不器用な人がいて、手先を使う職人仕事はそれが大きなウエィトを占めますが、要は集中力の問題なんですよ。剥いている時に何を考え、目はどこを見ていますか?」

「はぁ・・食べ物ですし、失敗したら無駄になるなぁとか・・。目は指先を注視しています。」

「いいですか、人間に何も考えず集中しろというのは無理です。だからね、食べ物ウンヌンは忘れて下さい。2メートルの白い帯を作っているんだと考え、目はその伸びて行く帯を見ておくんです。指先を見てるとほぼ失敗します。」

「でもね、難しく考える必要はありませんよ。何十年板前やってても上手に剥けない人も大勢います。つまりだから料理人になれないって事ではないんです。」

「料理を作るのが好きか嫌いか。自分に問うのはそれだけでいいです。迷いが生まれたときはいつもそれを思い出せばいいんですよ。私は心に迷いが起きたときはひたすら庖丁を研いでいますよ(笑)」





でね、暫くしてその人から便りがありました。

「拝啓、自分は料理人を辞めました」

ありゃりゃ(~_~;)ですよ。

「おっしゃられた言葉が忘れられず、何度も考えた挙句転職を決め、小さいながらも自分の会社を立ち上げました。おかげさまで軌道に乗りつつある様です。先生の言葉を肝に銘じて励む毎日です。」

う~ん。嬉しいやら忸怩たる気持ちになるやら。困りましたが。

今まで若い衆を沢山いじってまいりました。
考え方もある程度は読めます。
「今やってるこの仕事が半端なら、他のどんな仕事しても半端」
そう言聞かせます。
でもね、「自分には他の職業が向いているのかも」そう考えてしまうんですな。それは強ち「逃げ」とばかりは言えず、案外真実をついている時もあるんですよ。(十中八九はただの弱音ですけどね)。転進して成功した板前もいます。だけどそれは「例外」でしかないんですよ。
人間、二兎は追えないんです。
ですから料理人って職からすっぱり足を洗って、新たな仕事に全力投球できるってんなら賛成します。だけど未練を残してる様じゃ覚束きません。出戻りすんのが関の山ですわ。失敗したらまた戻ればいいって考えだから、新天地に集中できんのですよ。

自分がおかれた立場にウンザリし、人間関係にもウンザリし、職場を変えたり職業を変えたりするわけですがね。新しい場所に行けば何か変わると思うのは「錯覚」にすぎません。居場所を変えるたびに成長していく人間もいますがね、あれは「場所」のせいではないんですよ。自分を太くしていく方法を身につけているからに他なりません。

つまり環境で成長してるのではなく、自分自身の力で大きくなってるんです。

ひどい例え方ですけども、
ほっておいても育つ子と、過保護で外気に触れたら死ぬ子の差ですな。


そんなタフな人間でもね、最初は足腰に筋肉がありません。
しかしどの部分を鍛えればよいか知っているんですな。
足腰、つまり基礎です。
職を移動しようが何だろうが絶えずそれを鍛えている訳です。
だから歳月で自然に太くなる。
太くなりゃ「環境」や「人間関係」なんぞに影響されなくなるんですよ。

細いままでは何処に動いても同じ事で、また前と同じ悩みに直面するだけです。

分かりますかね。
要は自分の問題は職場や環境とは本来関係が無いって事なんですよ。その部分に気付かずに、苦境を他人や職場環境のせいにするのは大きな間違いって言ってるんです。(最悪の例外もあり、そんな所はさっさと辞めるべき)
人間としての根幹を太くしなけりゃ何処で何をやってもダメなんです。
それが細いままで生きてるとね、結局人間性を「歪める」しかないんです。自分が傷つかない為の防衛本能が性格に翳を作るんですよ。人間の悪い部分を引き出してしまいます。

なんでこんなに長々と書いているかと申しますと、この考え方を演繹してまいりますと、 21世紀中葉の日本は「なんでもかんでも他人のせい」がキーワードになりそうな気がするからですし、もうなっているかもしれないからです。翳だらけの人間ばかりが増殖して世の中を歩いているからだと、おいらはそう思います。

一歩外に出れば全て悪いのは他人。
自分を省みないってのは醜い。が、それが当たり前の世界がそこにある。

職が無い。
金が無い。
一握りの金満家と大多数の困窮者の境界線がはっきりしてくる。
都市部や集合住宅がスラム化していく。
当然社会不安が起き、おちおち出歩けない。
そしたら息を弾ませるのは警察権力ですな。強権復活の好機。

考えたくもない話でして、
もしこうなったらおいらは一足先にいかせてもらいます。

自分以外の他者を認識しない、出来ないってのは、文明以前への逆行に他なりませんけども、なぜかこの国ではインテリ層にそのタイプが非常に多い。そして「先生」と呼ばれる人達にそれが顕著に現れています。
外気に触れる暇もなしに、勉強だけをしなければいけないからでしょうな。
そうした人種が国の舵をとっている。従ってそれに身をまかせる船員達もだんだんと人間味を失う。

この螺旋階段を下りられない日本人の姿を、やがて雪を冠する荒涼たる関東山塊の尾根を眺めながら、おいらは遠望しています。

Posted by 魚山人 at 2008年

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