壺鯛(つぼだい)  

【命を喰らう】焼き魚

生命というのはシャボン玉みたいなものです。
接するとすぐに融合してモコモコの塊になる泡。

我々が食べるモノに死んでいるものは何もない。
すべて生きていて横溢な生命力を持ってます。

無機質とされるものでも分子的にみれば生きている。分子の構造図がシャボン玉の塊に見えるのは、何か示唆に富んだ暗示のように思えます。

命を食べるというのはね、
「融合する」「生命を取り込んで一体になる」
そして、
「泡(命)と合体して新しい生命体(塊)になる」
そういうことだと思います。

そのサイクルを外部へも分裂させて繋いでいく仕組みが生殖行為で、誕生した新しい泡が塊を形成して成長し、また繋いでいく。

その「仕組み」に人間の感情など入る余地はない。

そう思うんですよ。




動物は好きなので、野生動物保護にも賛成です。しかし、保護派の方々の一部は勘違いをしていると感じております。

センチメンタルに傾き、「仕組み」を無視している。
共食いはアレですが、何を食べようが非難するのは間違っているのですよ。いかなる種を食べても構わないのです。

責められるべきはたったひとつ。
「種を絶滅させるほどの大量捕獲、乱獲」です。

そこを科学的に検証して、人類の飽食文明に警鐘を鳴らし、方向を転換させる活動。それが正常なる保護活動なのであって、「可哀想」という気持ちが心を占有してしまい、検証よりも大衆の感情に訴える活動は、本筋から逸脱していると言えましょう。

と、まぁそのような意見を自分は持っております。
冷静に考えれば偏りでしかないものを、感情が心を支配すると盲いてしまいバランスのとれた視線を失う。

今日この瞬間も、ニュースを眺めてもネットに繋いでみても、あらゆるシーンでそのようなバランスに欠けたモノが異様なほど目につき、ウンザリ。

「どうなってんのかねぇ」
ヤレヤレと溜息が出てきます。

さて、肉を最も美味しく頂く調理法は「焼き」です。
原初の調理なので遺伝子が反応するんでしょう。
魚も肉なので同じことですね。

キツネ色の焼き色と、滲む脂と、薫り。

この魚は壺鯛(つぼだい)英:Pentaceros japonicus
カワビシャ科の魚で、温暖な海にすむ底魚です。タナは100mから400m。

商業的に出回る魚じゃなく、漁師が特に狙うものではなかったのですが、魚枯れの現在、かなり市場に出るようになっています。量は多くないが底引き網に入ってくるのでしょう。パラオ等からの輸入も増加傾向ですね。

「つぼだい」の名で出まわっている魚のかなりの部分は「クサカリツボダイ(草刈壺鯛)」の仲間のようですね。かといって味がつぼだいに劣るわけではないので問題はないと思いますが。ツボダイとクサカリツボダイの違いは外見ですぐに分かりますし。

ツボダイはカワビシャ科の仲間であるテングダイやツバメウオのような体高のある菱型の姿が特徴。 対してクサカリツボダイはウミタナゴに似た魚らしい流線型でツボダイより違和感がありません。

ツボダイは菱型の勇ましい形と体表のゴツゴツした感じが平知盛の鎧を想わせるとして、高知などでは「とももり」と呼ぶらしいですね。鹿児島では「いんひしゃ」


つぼ鯛 amazon

旬は秋です。
8月に入れば秋はすぐそこ・・・だったんですけども、近年はもう何とも言えませんね。気象は年々異常さを加速させている様子ですので。

隅田川の花火が天候で中止になったという記憶はちょっとありませんね。初めてじゃないのかな。

アレで感じたのはね、最近の変な天気は「あんまり調子こいてんじゃないよ」という神々の警告なんじゃないかと。

まぁ昔から言い古された「迷信くさい神の怒り」ではありますけども、どうも近年はマジなんじゃないかという気がすんですよ。


いつまで「乱獲」を続けては「枯らす」というおんなじ事を、延々と繰り返して行くんでしょうかね、我々ってヤツは。

造るだけつくって、後の始末を考えない。
使い捨てるのはいいが、土に帰らないガラクタばかり。

人間の知恵とやらを「循環可能な文明」に本気で向けるのはいったいいつ頃んなんでしょうか。

そんな会話をしつつ、純米酒をチビリ。
適度に脂がのったツボダイさん。

「ありがたく生命を頂きますよ」
「美味いねぇ、おまえさんはドウモ・・」

2013年08月01日

Comment


お問い合わせ・サイトポリシー
Copyright © 2024 手前板前. All Rights Reserved.