【動物愛護=菜食主義】の矛盾  

食の深淵とサルの魂

~~善悪は存在せず、
人々が善とか悪とかを決めつける根拠は
【立場の違い】のみである~~


先に結論を書いてしまったので、もしツイッターならこれで話は終了です。しかしここはBlogですので、もう少し先を続けるとしましょう。

物事の善し悪しを誰がどうやって決められるか?

悪いと云われる事が何故悪いのかを説明できる言葉があるかというと、そんなものは存在しません。

「いや、存在する」
そんな方もいるかも知れませんが、それは「矛盾」の意味を理解してないか、「独善・偽善」に頭が偏向した一種の「宗教脳」だからだと思います。

「殺しは絶対悪。これは決定的で反論できない」

ではお訊ねしますが、合法的な殺しである「死刑制度」が許容されているのは何故です?

「あれは悪いことをした罪人なので仕方がない」

でもね、戦争では罪人でもない人が殺されているんですが、アレが許される理由は何です?

「戦争とはそういうもの。敵国を制圧する為に犠牲が出るのはやむを得ない」

さっき「殺しは絶対悪」とか言ってましたが?
絶対悪なら、どんな理由があるにせよ殺した側は「悪」という意味になりませんかね?

百歩譲って、「敵国は悪」だから罪人に等しく、死罪もしかたないという理屈を受け入れるとして、それを認めるなら、「相手国から見た我々は敵」という事実を認証する事になりますな。

敵は悪でしょ? 
なら「両者とも」悪ってことになりますが。


 


クジラを殺すなと主張するなら、「ステーキ・ハンバーガー太り」している自分の姿はどうなのか?

牛とクジラの本質的な違いを「感情抜き」で説明できますかということです。

「クジラは脳が大きく知能があり文化もあるので、人間に近いか人間と同等。だが牛は同じ哺乳類でも完全な家畜動物である」

この程度でしょうかね。
この論理がどう破綻してるか、まぁそれには気づかないでしょうな。

そもそも行動原理が「感情」だということを糊塗する為の理論武装しかしてませんので、論破されようがお構いなし。そういう人々です。

「なにも好きでクジラを殺しているわけじゃない」
「仕事を離れた日常では可愛いとさえ思っている」

そう反論されても、出てくる言葉は

「虐殺者のくせに何を言う」
「可愛いと思うなら仕事をやめろ」

今流行の嫌◯◯連中とそっくりなオツム(笑)



菜食主義それ自体は悪いことではない。
だが「肉を食べるな」と騒ぎ立てる行動は解せない。

「生きているものを食べるのは残酷」
それならば「植物が生き物ではない」と証明しなきゃいけません。

出来ないのなら「無機質」だけを食べて身体機能を失うか、ブリザリアンのように絶食すればいい。


この世で一番嫌悪される「殺し」を例にしましたけども、これさえも「善悪」を決めようとすれば矛盾が生じるということです。

この世は矛盾で成り立っていると断言してもいいでしょう。いや、正確にいえば矛盾に満ちているのは「人間の社会限定」ですな。

人間以外の存在はべつに矛盾などしていないからですよ。

主に地球の循環系を指すNatureも、さらに広くUNIVERSEも、まったく矛盾などはしていない。

元々ヒトもこれらの「仲間・一部」なので、人間にも本来は矛盾が無い筈です。

星々は破壊と再生を繰り返し、地球上の動物たちは生存競争と共生を形成しつつ遺伝子を進化させている。

肉食獣、草食獣、魚類、昆虫、植物、ミクロの生物から果ては無機質さえも。これらがまるでひとつの鎖のようにつながっているかのような連鎖。

食べて食べられて

養分として吸収されるもの

養分として吸収するもの

そのサイクルに無駄や矛盾はありません。

それで生命を維持し、次の生命につなぐ。
たぶんDNAを効率良く書き換えて、果てしなく進化して行く為でしょう。


進化の目的?

マルちゃんの答えは、
「神のような存在を宇宙が待っているから」
「神じゃなく 母 かも」
だそうですが、
おいらの考えは違います。

進化の目的はただひとつ。
「環境に滅ぼされない生命体になるため」です。

これはカンブリア紀、デボン紀と生き抜いて来た生物をみれば瞭然でしょう。ま、最終的には「マル子的宇宙」になるのかも知れませんが。

問題なのは、ヒトだけがサイクルから外れていることです。

誰がどう考えても、地球の自然からヒトだけが切り離されています。
その証拠に現代人は山で単独遭難すれば確実に死にます。

ヒトはもう環の一部ではないということですね。

「Natureに仲間はずれにされた」というよりも、「ヒトが自ら自然を捨てた」と考えるべきかも知れません。



どこかの若い板前がこんなことをおいらに相談したとします。
「『崖の上のポニョ』観たら魚が捌けなくなりました」
「冗談じゃなく、マジです」
「どうしたらいいんでしょうか?」

おいらはこう返事するしかないでしょう。
「そうかい、そりゃ困ったな」
「板前をやめて違う仕事を探しなさい」

こういう事を他人に本気で言えるってことはね、真剣に仕事に向き合っていない証拠だからです。

もうひとつの可能性は【精神のアンバランス】

おいらもポニョは観ました。
本当に可愛いと感じましたよ、「マジ」でね。

でも魚は捌けます。
板前ですからね、職業が。

そして、「ノーマル」だからです。


おいらは昔から「活き作り」って奴が嫌いでしてね、ピクピクと動いてる魚介を見ながら食べるってのは悪趣味もいいとこ。度が過ぎている。

若い頃にあれをやらされると、上記の若い衆みたいな気持ちになりました。今は作りません。そもそも不味いし。

ただし、作って提供している人に嫌悪感を持つとかそいうことは一切ありません。仕事でやっていることで、趣味でアレをやっている人などいないからです。

おいらだって活モノを捌くことは日常ですしね。
ただ「ピクピク」を提供してないだけです。

もし趣味でやっているなら異常者ですが、きちんと働いている人間にそんな変態はいない。

異常者というのは「極端に走るヒト」のことです。
精神をニュートラルに出来ないからアブノーマルなんですよ。

上の若い衆に感じるのは「極端な性質」

つまり、趣味で生き物を殺したりするサイコパスと同じく「端っこ」に行きやすい人間性という意味です。

ノーマル(中間)から見れば、両極端は似た者同士でどちらでも同じにしか見えない。

「殺して愉むサイコパス」
「殺しを過剰に嫌悪する潔癖」

どちらも「端に行き過ぎてる」という点で同じなんですよ。

「バランスが壊れている」ということですな。

板前どころか、どんな職業でも長くは勤まらないでしょうし、よしんば勤まったとしても歪みは生涯なくならんでしょうね。

ネチッこ過ぎる「嫌煙ファシスト」とか「絶対に動物を殺すな。肉を食べるな」とか主張している方々がおりますが、「ご同様」と言うしかありませんね。

いつだったか「命のたべかた」というDVDを紹介したことがありますが、あのドキュメンタリーに出てくる屠畜業の人がいますね。ああいう仕事をしてる人間は世界中に沢山おります。

で、「ご同様」の方々はそういう職業の人を責めたりするわけですよ。
シー・シェパードが漁師を攻撃するのと同じことです。

誰だって嬉々として哺乳動物を殺しているわけではない。職業だからやっているにすぎない。つまり「食べていくため」です。

そこを理解できないファンダメンタリストが個人攻撃の挙に出るんですな。

正常な思考ができる常識人であれば、そんな行動原理は「差別主義」であるとすぐ気がつくが、「ご同様」の人々は気付かない。

屠畜という仕事を「穢多・非人」に押し付けてきた歴史も知らんのでしょうな。

論理的に考えれば誰かがやらなきゃいけない必要な仕事であると分かる筈ですが、「穢れ」などという感情やオカルトのようなモノが先に立って差別的に扱う理不尽さ。

仮にこの歴史を知っていたとしても、自分たちの主張と行動が既に「職業差別」なのであり、それは容易にあらゆる差別につながる危険があるという想像力がない。

【他者を認められない】
そういう思考タイプというか人間性なのでしょうね。


野菜だけを食べて生きるのであれば、自分がそうすればよいだけの事ですよ。誰も邪魔をする人はいませんし、好きなように実践すればいい。

しかし、それを他人がやらないからと言って「非難・抗議」する思考回路が分かりません。

自分の生き方は邪魔されない、なのに何で他者の邪魔をし、職業にまで干渉するのか。

これはね、「布教活動」をしてると思い込んでいるからですよ。

つまり自分が「正義」だと。
「我は善である」ですな。

こういう人に、「善も悪もなく、それは自分の立場から見た一方通行にすぎない」と言っても、まったく理解できんと思います。

これは「偽善」とは少し違う。
先に書いた「バランス」の問題ですな。

棒磁石に群れる砂鉄の様に、両極に向かうんですよ。

位置がN極であれば「Nが正義で善」
S極であれば「Sが正義で善」

両極に行きやすい人は思想が浅い。

なので「簡単に反転する」という傾向が顕著。

共産革命を起こした筈が、すぐに独裁者になって富を独占する資本家のようになってしまうのと同じように、N極であってもS極であっても「端っこが好み」なんでしょうね。

だからこそ「洗脳されやすく」「思い込みが激しく」なり、感情の赴くまま「右でも左でも」砂が沢山集まっている場所に向かうのでしょう。

砂鉄のごときは「脳幹で思考する人」だと思います。

ようするに【感情に流されている】ということです。

おそらく「前頭葉で思考できる人」は、砂鉄のように磁極に引き寄せられるという事が殆どない。


さて、自分はどうかと言いますと、
いずれにしろ将来は完全に合成食品だけで生活するようになるだろうと思っています。動植物の生命を奪わなくても生きれるなら、その方が望ましいし、そうなって欲しい。

だが、その将来とやらは多分23世紀とかそんな時代の話であって、今現在の科学力では夢でしかありません。

今を生きる我々は、目の前の現実と向き合っていくしかないでしょう。個々の判断力を磨きあげ、流されることなく自分で判断して行動できるように頭を柔軟にしながら。

気がかりは近年の「砂鉄タイプ」の増加です。
クレーマーやモンスターが増えているのは、「口をつぐむ日常」への反動からでしょうか。

「中央でバランスとって極に流されない」でいる為には努力が必要で、踏ん張るパワーが疲れを呼ぶかも知れません。

砂鉄のように軽く引き寄せられるのが「楽」なのは確かでしょう。自分で「思考を積み上げ」「確かな判断力」を構築するのは疲れるといえば疲れますからね。

「楽な方向に流される」
それはつまり「弱さ」ってことでしょう。

人間は誰しも弱いもので、それは仕方がない。
だが、自分の弱さと向き合うことなく「強がると」どうなるのか。

捌け口を外に向けてしまうのです。

つまり他者を攻撃することで自分の弱さを消せた気持ちになってしまう訳ですな。

事実は決して消えません。

面倒で疲れる事ではありますが、正面から事実を受け止めて、それを改善していく努力を続けて欲しい。

脳幹で反応するサルではなく、
我々はヒトなのですから。

2013年08月27日

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