麦藁蛸に祭鱧、中秋に忘人  

麦藁蛸に祭鱧、中秋に忘人

 

人間を食材(食肉)と考えた場合の旬はいつか?
これは当然多くの動植物と同じく秋から初冬です。

では逆に食べて一番不味い時期はいつか。
夏という事になりましょうかね。


★夏バテの正体は「食べ過ぎ」

だいたいお水入りの時期(梅雨)からヒトは「代謝が落ちる気分」になって行き、盛の7月頃から盆過ぎくらいまで「食欲が減少」いたします。これを俗に「夏バテ」と言いまして、皆さん疲労感を増すことに。

「痩せてゆく感覚」になりますな。
まあ、食べても美味しくはないでしょう。この時候のヒトは(笑)

実はこれ、「代謝が落ちる気分」「痩せてゆく感覚」も勘違いではないのか。
「土用の鰻」などに顕著ですが、多くの方は「間違い」を犯します。
「バテないように食べないといけない」、という思い違いです。

人間は恒温動物。
外気温に関係なく体温はいつでも30℃半ば。

ものを食べる行為はエネルギー消費と密接な関係があり、エネルギーは体温と深く関係しております。簡単に言いますと、体温が下がればエネルギーが必要になり、上昇すればあまりエネルギーを使わないという事でしょうかね。

暑い夏は外気温が上昇し、ヘタをすれば体温を超えてしまう。
汗をかいてクタクタに疲れますけども、体温は低下してませんわな。

つまり体内のエネルギー消費量はそれほどでもないってこと。
だから体は食べ物を求めていません。

体が求めるのは水分。

だが、ヘベレケになり「食べなきゃバテる」という思い込みが出る。
なので体が求めてない食を口に押しこむ。過剰摂取です。
必要のないエネルギー。それは消費できず過剰在庫に。

おまけにアナタ、ふにゃふにゃで口当たりが良く、水を飲むがごとき食品の氾濫。もしくは砂糖水に色をつけたもの。そいつを腹にガボガボ。黙っていても糖質が過剰になるってアンバイです。

つまり夏は肥満になりやすい時期って事です。

糞暑い盛、自分の太鼓腹がさらに太鼓になって膨張してるのを感じておられる方は少なくないと思います。秋にダイエットしても無駄で、夏場が痩せるチャンスだと思うんですが、多くは逆を行っているわけです。

これは極めて不自然かつ不健康なことでね、野生の動物はこの時期痩せるものです。痩せなきゃいけないんですよ。

人間は「野生」ではないが、体内のシステムは動物のまま。
だがヒトだけは「自然の摂理」を無視しているわけです。

「精神の飢え」が胃袋を変形させるの図、ですな。
まぁどこか壊れているんでしょう。
ヒトの精神と消費社会の構造そのものがね。



秋の風が吹いてきますと、
『天高く馬肥ゆる』です。
(実はこの諺、警告であり食欲とは関係ありませんが)

植物は糖度を増し、動物は貪欲に餌を漁る。
冒頭に書いたように人間も本来は同じだと思います。

低体温になれば死にます。
なので冬場を通じて膨大なエネルギーが必要になる。

雪に覆われ食の摂取が望めない動物は秋に皮下脂肪を蓄える。
そうでない動物でもやはり体内からの要求で食を求める。

ミクロから始まり動植物たちは連鎖的に「美味しくなっていく」のです。その連鎖の頂点にいるヒトも例外ではありません。

やがて訪れる厳しい冬を乗り越え、繁殖の春を待つ。
生命を育む夏から秋にかけて神は省エネの恵みを与えているのですな。

麦藁蛸に祭鱧

関西には【麦藁蛸に祭鱧(むぎわらだこにまつりはも)】という、なんとも語感の良い言葉があります。旬を表現する言葉であり、むぎわらダコというのは麦藁ができる麦秋(ばくしゅう)の頃に旨くなるの意、ハモは夏祭の頃が旨いという意味です。頭に「桜鯛」をつけて「桜鯛麦藁蛸に祭鱧」とすることもあります。

最近は関東でもハモを出す店が増加しておりますが、一般家庭ではやはり馴染みが薄く、食卓に出るなんてことは殆ど無いと思います。はっきり言って骨だらけで食べにくいし美味しくないってのが関東人のホンネでしょうな。同じように小骨だらけの「コハダ」は大好物ときてますがね。食文化が違うってことでしょう。

京都の祇園祭は別名「ハモ祭り」
他の祭りでも関西ではハモがつきもの。

西日本各地で水揚げされますけども、関西の板前が好むのは淡路の沼島産でした(昔の話で、現在はどうなんでしょうか)

この「沼島鱧」は6~7月が最高。祇園祭に向けて値も上がります。
市場に出るのは卵を抱えた雌。雄は小さく殆ど値打ちがありません。

骨切りをして湯引きってのが一般的な食べ方ですが、関東人の口に合うのは蒲焼の方かも知れません。


★自然と人の交点(責任転嫁の果てに)

ハモは貪食な生き物だと思われており、悪食として知られるお仲間の穴子に比べても口が大きく、鋭い歯はまるでサメのよう。『鱧』という文字はそこから来ていると云われます。

「ハモる」は食べるという意味です。豊かに食する魚。
良く言えば口福な生物って受けれるが、まぁ「食いしん坊」「食い意地がはっている」ってなもんでしょう。

人は昔から動物に様々な比喩をあてはめる。
最たる例が「このケダモノ」とか「犬畜生」とか。
まぁロクなもんじゃありません。

ハモもそうですがね、「お前らヒトにだけは言われたくねぇ!」でしょうな。何故かと言えば人が動物にあてはめる悪行は「ヒト特有の性質」だから。

動物の代りに言いますとね、「ケダモノはお前たちヒトだよバカヤロウ」です。

必要もない食を喰らい、
必要もない争いをして、必要のない殺戮をする。
意味もなく他者を襲い、欲の為に他者を蹴落とし犠牲にする。

そんなもんは人間の特徴であり野生動物にはほぼ見られない。
つまり自分達人類の悪い部分を全部動物になすりつけている訳です。
それは野生動物の世界を観察すればすぐに理解できること。

言うならば人類は「暴君」。手に負えない「破壊者」です。

自然保護活動をされてる方を否定するものではありませんが、
おいらは【人間と自然は絶対に共生できない】と思います。

人間が自然に入れば「破壊」せざるを得ません。
動物たちとは違う「根底から根こそぎ壊す」破壊です。
そうしないと人間は生きる場所を自然界に確保できないのですよ。

人類が滅亡しないと考えて遠い未来を予測するとね、
①自然を完全に破壊して地球から野生動物と緑が消える
②自然保護に成功。人は都市に引きこもる
このどちらかでしょう。

②を少し説明しましょう。
SFによく書かれるモチーフですが、外界と切り離した「自己完結型」の巨大都市の事です。初めは緑の自然から離れた場所に外部と切り離した都市を構築して人類はそこから出なくても生きていけるという形。

やがて未来技術が成熟すれば都市そのものを巨大ドームで覆い、外気とも遮断してしまいます。これによって人類と地球の自然は「完全に住み分ける」ことになります。

人類に自然保護の気持ちがあればこの道に進むでしょう。
自然を残したければ「人間がいっさいタッチしない」方法しかないからです。



ですがまぁ、大勢の人様に放射能を浴びせておいて、警察にも引っ張られずに、誰一人責任も取らず、おまけに賠償金まで被害者であるはずの国民から全部ぼったくって自分たちは一銭も払わず済まそう(電気代値上げと税での賠償)ナンテコトがまかり通る狂った世の中です。まず①に決まりでしょうな。

2011年08月27日

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