板前になる条件  

板前になる条件

「板前になりたい」「板前になれますか?」
板前稼業を何十年もやってますとこうした質問にやたら遭遇致します。

もちろんその人を見て返事は変化します。
しかしまぁ、ほぼ確実だと思うことを書いておきましょう。

最低でも3年
どんな辛い事があっても耐え抜く
板場は辛い下積みの場、仕事は自ら習得する
仕事を盗む目を持ってなきゃ10年やっても無駄

こうした態度で3年ケツを割らない事が最低条件です。

つまり「根性」がなきゃできる仕事じゃありません。
こうした経験を越えなきゃ「板前」と呼べるモンにゃなりません。

甘えた考えならば最初から別の道を選んだ方が賢明でしょう。
どうせ途中で耐えきれないし、それは時間の無駄ですからね。


もう1つありまして、実はこれが一番重要だと思います。
それはね「礼儀」です。

おいらは元々「やんちゃ」でして、人の言うことなど聞かない若者でした。けども、そんなもんが通用する世界ではないんですよ、料理の仕事は。

「礼儀」が何か分からぬ方の為に書きますとね、

【「受け」を用意せずに人様に物申さぬ】のが礼儀です。

予習ですな、つまり。

何かを他人に言う場合ね、その概要の受け皿はすでに出来上がっているって事です。手前の準備もなしに、口を開いてはいけないんですよ。

「兄さん、八寸を教えて下さい」
そう口に出す時はすでに「かつらむき」等の基本くらいはマスターしてなきゃいかんのです。人に何かを願いでる時はね、準備を終えてるのが礼儀なんですよ。

『自ら習得する』は、そういう意味です。

自分は「空」のまんま人に何かを願い出るってのは「無礼」なんです。

これは全ての事柄に当て嵌まる基本でもありましょう。
想定できる事柄に準備をして掛かるのが礼儀なのです。

この基本を押えていない人とは、付き合わぬが賢明。

板前に限らず、「自らの苦行を由とせぬ人」と、本当の意味で心が通い合いましょうか?

ちなみに、おいらはリンク依頼等の為にWEBメールのアドレスを公開してますが、数百と溜まったメールを大きく二つに分類しております。すなわち、礼儀のあるメールと、そうでないものです。最近の傾向として、きちんとしたメールは送るが、後はナシのつぶてってのが多い。一体何を考えてるのか見当もつきません。


けっこうショッパイ事を言いましたが、実は最近もまた面倒を起こした板前がおりましてね、ソイツ自身に問題がある事は分かりきっているケースでも、「そりゃ自分のせいでしょうよ、おいらは知らないね」、ってな感じで捨てる事はできないんですよ。たとえヨソで働く板でも、かつての仲間ならね。

なにしろ「同じ釜の飯を食ってる」んです、文字通りね。
要するに「苦痛に満ちた3年」を乗り越えてきた同胞なんです。

「何でこんなに人は変わるのか、時の流れはかくも無常なりき」

そう思いつつ面倒を見るしかないんです。

それはやはりね、その板前が「礼儀」ってモンを持っていると信じているからですよ。「時代が悪すぎる」とも思い、気の毒にもなります。

本当に嫌な時代になってしまいました。
腕のある板前ですら行き場が無いって状況など、昔は想像すらできなかったもんなんですけどねぇ。今までとは違う意味で「板前などなるな」って言葉が出る時代ですよ。


しかしどんな逆流でも乗り切ってくる魚がいます。
遡上する為に己の命の全てを出し切る。
命を使い果たし、次世代へ継いだら屍となり流れ去る。

人間は他の動物と違い何か「高尚」なもんだと思われてますけどね、実はこの魚達と本質的に何も変わらないのではないか。

むしろ「精一杯生き抜く」って事を、逆に魚から教わるべきではないでしょうか。暗闇の中、先の予定すら立たぬ息のつまる様な日本社会が目の前にあります。そこで必要なのは「無駄な知恵」ではなく、「鯉の生命力」だとおいらは思います。

板前の道も当然ですが、どんな人でもね、「目の前にある滝」を越える力が必要なんですよ。これからは滝を姑息に迂回する道が閉ざされるからです。そして真の体力は強靭な精神力が不可欠で、その精神力の核は「礼儀」なのですよ。

 

滝の鯉

『鯉の滝登り』は一種の寓話であり、事実を反映していません

雄渾で生命力溢れ、姿も立派な鯉は昔から様々な儀式に使われてきました。魚の王者が海の鯛なら川では鮎が女王、鯉が王様って感じですね。

中国の【三秦記】に、「鯉が竜門を登り竜と化す」という記述があり、それが「登竜門伝説」の元だった様です。

しかしながら鯉の生息場所は主に沼や湖であり、流れの無い濁った水を好みます。急流を遡る生活など縁が無いのです。

急峻な渓流を遡り、堰や小さな滝があっても川を遡り続ける魚は【鮭】であり、鯉はそもそも川を上る事はありません。

これなどは「イメージ先行」の典型であり、鯉は川を勇壮に登る魚だと思っている人が結構多いように感じます。この魚の姿形も、そう思わせる見事でもありますからね。

事実よりも伝説の方が面白く含蓄深い例ではないでしょうか。


2010年02月17日










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