板前を採用する側の苦悩  

板前を採用する側の苦悩

「板前がすぐ辞めてしまいどうにもなりません」
「募集してもマトモな奴は来ないし困ります」
「これはと思った板に辞められるとキツイ」

こうした愚痴をよく聞きます。
まぁ典型的な愚痴としか言いようがない。

板前が店に居つかないのは店のせいであって、それは多くの場合人間関係に起因するもの。結局は経営方針に根ざすものであり、ひいては経営者、つまり愚痴を言っている本人の責任なのですから。

なので同情する気にはなれないのですが、そうは言っても面接の段階で板前の良し悪しを判断するのは難しい事であり、「すぐに辞めるなこの人」などと、即座に分かれば苦労はしません。

真面目そうにしか見えない人間であっても、この情報化・画一化時代ですから、表面を真面目そうに繕うことなど誰でも簡単にできます。

そして、やっかいな事に「本当に生真面目な人ほど思い詰めやすく、辞めてしまう事が多い」とくれば、これはもう経営者としてはお手上げに近いものがありましょう。どうしていいやら分からなくもなる。




少し前の話ですが、まだ川魚などが棲息している土地の廃屋を安くで買い取り、それを庵ふうに改造したことがあります。

囲炉裏を切って自在鉤を吊るした土間と、これも炉を切った茶室がメインの狭い日本家屋です。

生活空間用としての寝室兼書斎は現代的な造作で設け、これは前者と融合させることなく独立した感じにしました。

この工事を誰に頼むか少し迷ったのですが、知古(※)の建築家先生が良い大工さんを紹介してくれましたので、この棟梁にすべてお任せすることにしました。

この棟梁、かなりの高齢だが腕は確かで矍鑠としており元気そのもの。その人柄が好きになり、工事の進展を見るふりをしながら実は棟梁の話が聞きたくて何度も現場に足を運んだものです。

材木に関してのウンチクとか古風な日本文化全般を現場目線でよく知っていて、ものすごく勉強になるんですよ。言葉はやや聞き取りづらいが、ジョークのセンスもあるし、話が面白い。なによりもカンナとかノコなどの道具類の話題が面白いというか、教えられたというか、為になりました。

その棟梁との会話で特に記憶に残っているものが、建売住宅に関する話題でした。

「数千万も出してアレを買う人達の考えが分からない」というんですね。

なぜかと言えば、建売の「部品」は殆どが大手の住宅メーカーが工場で作ったものであり、現場の大工はそれを「プラモデルのように組み立てるだけ」なのだそうで、問題はその部品だと言うんです。

要約すれば以下のようになります。

・大手宅建メーカーは大企業である
・大企業は効率化のため工場の規模が巨大
・巨大なので人が沢山必要になるが、それが問題を引き起こす
・自動車組み立て等のロボットも加わるような流れ作業であれば厳しい規定から逸れることもなく同じような規格の製品が製造できる
・しかし、住宅用部品はそうはいかない。どうしても人力作業が必要な工程が多いからだ
・熟練したベテラン工員が不可欠である
・だが、そういう社員は一つの工程場に1人いればマシな方で、殆どは派遣社員とかパート・バイトが行っている
・経営側に都合の良い季節工・期間工も多く、そいう人のほとんどは「シロウト」である
・どうなるかと言うと、ネジが欠けていたり釘が歪んでいたりするのは可愛い方で、アングルを逆さに付けたり左右が非対称になっていたりする
・外から分かるモノなら現場の職人が対処するが、見えない部分はそのまま住宅に組まれてしまう
・そういう欠陥部品を見分けられない現場の職人も増えている
・そんな建物に千万単位の金を出す
・おそろしい世の中だ


材木から家を一軒建ててしまえるようなベテランの大工でも、雇われだとせいぜい月給50万で、年収は600。 かたや大学を出て工場から遠い本社でネクタイを締めていれば、30歳そこそこで年収(月収自体はたいしたことないでしょうけど)は倍くらいになるわけで、世の中とはそういうもの。

そういうものだとしても、せめてドイツのように職人を社会全体で育成するような仕組みに出来ないのは何故なのか。

「世の中とはそういうもの」で済ませていれば、現場で働こうと思う人間などそのうち消滅するでしょう。

正直「バカバカしい」と思うに違いないからです。

インターネットという電脳空間に「仮想の家」を建設する”スキル”とやらを持った人間を増やすのも結構ですが、人間が住む現実の空間を誰が作るんでしょうかってことになりますね。

電脳空間だけで事足りるという社会は、早くても百年以上未来にならなきゃ無理な話。いまだに赤ちゃんのような動作しか出来ないロボットや、基本的に19世紀と変わらないインフラからすると、百年でも無理かも知れません。

ということは、あと百年以上は誰かが現実的なモノ造りをしたり、労働を伴うメンテナンス作業を人力でしなきゃ人間は生きられないってことです。

流れからして、今の日本人から労働者・職人になりたがる人が増えるとはとうてい思えませんので、「そういう労働はガイジンに」という方向に持っていくというか、それ以外の選択肢はないでしょう。

でも、
「日本人の失業者が多いのにガイジンを入れるのはケシカラン」とか

何をどうしたいんだか、さっぱり分かりませんな(笑)

ガイジンが嫌いなら自分たちが労働者になればいいこと。労働現場は常に人手不足なので、働く気持ちがあれば失業者にはならない。そうすれば移民を増やす必要もない。


先ほど書きましたように、「バカバカしくてやっていられない」というのが大きいんでしょうな、やはり。報われない事をやりたがらないのは当然。

見合った報酬や待遇が得られるのであれば希望者も出ましょうが、キツイだけで安月給とくれば敬遠されても仕方がない。

モノを作ることなく現場にアレコレ指図する仕事が選好され、その職につけなかったら無職の方がマシというズボラも増えるわけですな。「仕事が何もないんですよ」と言いながら、親のスネを齧り、あるいは生活保護を申請したり。

そこまで根性が曲がっていないにしろ、ホンネの部分では似たり寄ったりでしょう。楽をして儲けるというのがこの国の風潮になって、もう30年以上ですから。


板前のテリトリーである飲食業界も同じ。
その酷さは離職率の高さを見れば瞭然。

中小は過当競争によって資本が不安定でゆとりがないし、大手は背広組を養うため現場に効率化というピンハネを強いてくる。

大企業のやり方というのは、例えば近頃話題になっている「サラ金の金利を元に戻そう」という動きに特徴がよく出ていますね。

目ぼしいサラ金業者の殆どが淘汰されるか「大手銀行の傘下」になった時点で昔に戻そうと。

ま、自民党のいつもの手口ってわけで、昔から自民・大手資本・官僚の常套手段ですな。独占禁止法などは絵に描いたモチってわけで、そのつど官僚が好きな様に解釈してるだけ。

うまい部分は根こそぎ強奪しますよってことで、国家権力を背景にしたヤクザってところでしょう。中小零細などは虫けらと同じことで、潰れようがどうなろうが無関心なんでしょうね。

多かれ少なかれ、大手企業のやり方は、どの業界でもまったく同じ原理。「Win-Winで」という大企業の甘い言葉に騙され、後々とんでもない目に遭わされた中小経営者がどれだけいることやら。旨いところを全部吸い取りまくった挙句、冷酷に放り出す輩の言うWin-Winとは何かってこと。

紳士ヅラした詐欺師だと思えば間違いない。
詐欺師の片棒を担ぎたくなきゃ、できるかぎり関わらないようにするのがマトモに生きていく為の知恵というものです。それが小さなリアル商売における方法論の一つではあるでしょう。大手に依存するしかない業種だとかなり難しいとは思いますけどね。



そんなこんなで、現場の給与水準は底を彷徨うだけ。
「人を育てる」という環境は絶滅寸前という見方もできましょう。

「きちんとした人にはきちんとした給料を払いたい」
こうした気持ちが「理想論」になってしまいがちな現実が目の前にあり、それは個人の力では動かしがたいように思えます。

でもね、「可能だ」と思うんですよ自分は。
理想論だと諦念するのは早い。

簡単に言うなら「あれもこれも欲しがるから」身動きが取れない状況に追い込まれるだけなんです。

「絞り込み」ということでしょう、やはり。

人件費を削りたいのならそうすればいい。
だだし、その反動を覚悟できるならですが。

何が必要で、何が無用か。
それを選択するのが経営者の仕事。

ヒトは欲しいが金は払いたくないというセンスでは、どうせ先行き詰まってしまうだけです。

板前という名に値する、つまり職人のレベルと言えるような板前は、それなりに遇してやらなきゃいけないでしょう。

名前だけの板前か、それとも職人なのか、そこを見極める眼力がなきゃ、経営者として失格だと言わざるを得ませんし、腕の良い職人を安く使おうなどというケチな考えでは板場のレベルが下落するだけです。

収支が黒字にならないのは理由があってのこと。
人件費にだけにしか目がいかないのは無能というもの。

お客が来ない、売上が悪いというのはそういうことではありませんでね、いくらでも原因が見つかるんですよ。探しさえすればね。

まずはそれを探す努力。
努力すれば「視力」もよくなり、見えなかった「理由」が次々に見えるようになる筈です。

何がムダで何が足りないのか。

無駄なもの。
それは「職人」「ヒト」ではないと思いますよ。

見えてなかった癌がどこかにあります。
それに気づけるような感覚を持っていたい。

簡単な事ではありませんで、かなり厳しい努力になるかと思いますが、何かに依存しないで自分たちの力によって道を切り開き、経営を安定化させるというのはそういう事ではないでしょうかね。

己への自戒も込めて、こうした姿勢を続けなければと、そう思う次第です。


2014年04月21日

※「知古」は、「知己」の誤表記ではありませんか。
そういうメールを頂戴しました。
確かに「知古」は、「知己」を”古くからの知り合い”という表現へと特化させた「造語」です。 なんの断り書きもなく造語を挿入させていることを反省しつつ、ここで造語であることを表明しておきます。 ご指摘して下さった◯島様にはお礼を申し上げます、ありがとうございました。

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